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第59話『抱きしめたい』(レン視点&ユイ視点)

 その日は、しとしとと雨が降る日だった。

 俺たちのクラスは、緊急ホームルームが開かれた。

 内容は、もちろんリコのこと。

 先生はぐるりと俺たちを見回して言う。


「七日市だが、夕べから体調が悪くなって入院したそうだ。もともと調子も悪かったみたいだな」


 病気!?

 食欲がなかったのは、そのせいなのか!?


 にわかにざわつき出す教室。

 俺は思わず立ち上がる。


「先生! リコは……リコは、どんな容体ようだいなんですか!?」

「……うむ、意識が戻らないらしい」

「そんな……」


 全身から力が抜けていく。

 俺は、崩れるように椅子に座った。


「私……レンが好き」

 そう言ってくれたリコの姿が頭の中に蘇る。

 笑顔だった。

 でも、それは悲しそうな笑みだった。


 俺は、もっと優しくできたんじゃないかとか。

 もっと言い方があったんじゃないかとか。

 自責の念が込み上げてきて、胸がきゅっと音を立てた。


 先生が病名を言っていた気がするけれど、俺の耳にはもう何も入ってこなかった。




 放課後、タクヤに校舎裏に呼び出された。

 そこは、しくも昨日リコに告白された場所だった。

 雨の中、傘もささずに立っているタクヤ。

 濡れたい気分なのか。


 ……俺と同じだな。


 タクヤは俺をにらむ。


「なぁ、レン! 昨日、リコがお前に何か言ってなかったか!」

「……告白、された」

「それでどうしたんだよ!」

「……断った」


 ギリッと、歯噛みする音が響いた。


「なんでだよ! なんで断ってんだよ!!」


 断った理由、それは俺の心はまだ前のところにあって。

 でも、そう言葉にするのは告白してくれたリコに対して不誠実に思えて。

 俺は何も言えずに、ただ目を逸らすしかなかった。


「……チッ! 話す気もねぇってことか!」


 苛立いらだちを隠そうともしない。

 その手が俺の襟首を掴んだ。


「あいつ、言ってたんだよ! 今からお前に告白するって! でも、怖いから勇気をくれって! 後押ししてくれって! あんな弱気なリコは初めて見た!」

「そんなこと……言われても……」


 その瞬間、鈍い音が響く。

 頬に熱い痛みを感じて、俺は濡れた地面の上を転がった。

 殴られた頬。

 口の中に血の味が広がっていく。


「ふざけんなよ……! 突然テメェが現れて、穏やかに生きていたリコの心をかき乱して! アイツの生きる意味になったんだろうが!!」


 血走ったタクヤの目。

 その理不尽な怒りに、心の中に熱いものが込み上げてきて。

 地面の砂利を巻き込んで、俺は拳を握りしめた。


「……じゃあ、教えてくれよ」


 自分でも驚くくらいの低い声。

 心は焦燥しょうそうの思いでいっぱいになって。

 俺は、感情のままに叫んだ。


「どうすりゃ良かったんだ! 自分の気持ちに嘘ついて、リコの想いに応えりゃ良かったのか! そんなんで、満足なのか!」

「うるせぇっ!」

「ぐっ!」


 タクヤが肩で体当たりをしてきた。

 腹のあたりに一撃を喰らって、思わず尻餅をつく。

 水しぶきが辺りに飛び散った。

 すかさずタクヤは俺に馬乗りになって、拳を振り上げる。

 咄嗟にガードするけれど、そんなことはお構いなしで。

 ガードの上から何度も何度も殴られた。


「なんでレンなんだ! 俺じゃダメなのかよ!」


 その間、何回もそんなことを叫んでいた。


 何度目かの攻撃のとき——。

 雨で滑ったのか、タクヤがわずかにバランスを崩した。

 その瞬間、俺は両手首をつかんだ。

 タクヤの顔に、焦りの色が浮かぶ。


「そんなにリコが好きなら……自分の力で振り向かせろ!」


 そう叫んで、俺は頭を突き上げる。

 下からの頭突きだ!

 額は、タクヤの鼻先に命中した。


「ぐはっ!」


 怯んだところを、思い切り突き飛ばして馬乗りから逃れる。

 立ち上がった俺を、炎みたいな目でにらむタクヤ。

 その目にはもう、恨みの色しか見えない。


 しばしの間、続いた睨み合いは……。


「やってらんねぇ……」


 タクヤの一言で終わりを迎えた。

 俺に背を向けると、校舎に向かって歩き出す。

 数歩進んだところで、その足が止まった。


 タクヤが肩口に俺を見る。


「お前がリコを傷付けた。お前がリコを追い込んだんだ。お前なんか……この街に来なけりゃ良かったんだ!」


 そう吐き捨てると、タクヤは走り出した。

 小さくなっていく背中。


「俺だって……来たくて来たんじゃない」


 しとしとと降り続く雨の中、そうつぶやくことしかできなかった。



 それからクラスのみんなは、リコのお見舞いに行った。

 その中にはタクヤの姿もあった。

 俺も病院に行ったけれど……。

 タクヤの言葉が頭をよぎって、中に入ることはできなかった……。


 その後、学校でタクヤと顔を合わせたけれど。

 俺たちはもう、会話をすることはなかった。




 それから1ヶ月後。

 リコは帰らぬ人となった。

 葬式には行かなかった。

 行けなかった。

 リコは、きっと俺を恨んでいたんだろう。

 そう思うと顔を見るのが怖くて、行くことができなかった。


「おい、人殺し」


 学校で、タクヤにそう言われた。

 俺がリコを追い込んだから、彼女は生きる意味を失ったんだと。

 あいつタクヤはもう、俺を下の名前で呼ぶことはなかった。


 タクヤの言葉は瞬く間にクラスに広がり。

 そして、学校全体に広がった。

 もちろん、先生たちは事態の収拾に努めてくれたけれど。

 だけどもう、そこに俺の居場所はなくて。

 リコが、俺とみんなとの橋渡しをしてくれていたんだと初めて気が付いた。


 公園で、みんなに「人殺し」と責められ、殴る蹴るの暴行を受けたこともある。

 そのときは姉貴が助けてくれた。

 でも、今の状況を話すことはできなくて、咄嗟にプロレスごっこをしていたと言ってしまった。

 家族に、余計な心配をかけたくなかったから。

 だから俺は、家では常に笑顔を作っていたんだ。


 リコが亡くなってからの中学生活は、ずっと孤独だった。

 人殺しのレッテルを貼られた俺に、近付く者なんているはずもないから。

 でも、それで良かったんだ。

 彼女を傷付けた俺が、笑って過ごすなんて許されるはずないから。

 想いに応えられなかった俺に、そんな資格はないから。




 * * *




「今でも、たまに夢に見るんだ。あのときのことを」


 レンは微笑みながら言う。


「でもさ、どんなに後悔しても、あの日が帰ってくるわけがなくて……。なら、最初から周りと距離を取って、深く関わらなければ誰も傷付かないって、そう思ったんだ」


 その微笑みはとても寂しそうで。

 私が何も知らず笑っていた同じ空の下で、レンは一人で苦しんできたんだ。

 そう思うと、涙が止まらなかった。


「泣くなよ、日野原。俺はもう、平気だからさ……」


 優しく頭を撫でてくれるその手は、とても温かい。


「だから……再会した頃……私たちを避けてたんだ」

「そうさせてくれなかったけどな」


 レンは苦笑いを浮かべる。


「……だけど、やっぱり俺は誰かと一緒にいちゃいけないんだよな」


 つぶやくように言う、その瞳の奥に涙が光った気がして——。

 気が付いたら、私はレンを抱き締めていた。


「日野……原?」

「もう、大丈夫だから。レンはずっと頑張ってきたんだね。一人でずっと頑張っていたんだね」


 苦しみとか、悲しみとか、孤独とか。

 それは、中学生が一人で背負うには重すぎる出来事で。

 過去のことも、今のレンも、私が全部抱き締めてあげたい。

 そう思って、手に強く力を込めた。


「ぐ……ゲホッ、ゲホッ! 日野原……苦し……」

「あ、ご、ごめん!」


 しまった、つい力が入りすぎた!

 うぅ……なんで私はいつもこうなるんだろう……。


 だけど——。

 慌てて離れようとした私の手を、レンがつかんだ。


「いい……もう少し、このまま……」


 私は、もう一度レンを抱き締めた。

 あの頃のレンに届けと願いながら。


 レンは、時々肩を震わせて泣いているようだった……。

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