その日は、しとしとと雨が降る日だった。
俺たちのクラスは、緊急ホームルームが開かれた。
内容は、もちろんリコのこと。
先生はぐるりと俺たちを見回して言う。
「七日市だが、夕べから体調が悪くなって入院したそうだ。もともと調子も悪かったみたいだな」
病気!?
食欲がなかったのは、そのせいなのか!?
にわかにざわつき出す教室。
俺は思わず立ち上がる。
「先生! リコは……リコは、どんな
「……うむ、意識が戻らないらしい」
「そんな……」
全身から力が抜けていく。
俺は、崩れるように椅子に座った。
「私……レンが好き」
そう言ってくれたリコの姿が頭の中に蘇る。
笑顔だった。
でも、それは悲しそうな笑みだった。
俺は、もっと優しくできたんじゃないかとか。
もっと言い方があったんじゃないかとか。
自責の念が込み上げてきて、胸がきゅっと音を立てた。
先生が病名を言っていた気がするけれど、俺の耳にはもう何も入ってこなかった。
放課後、タクヤに校舎裏に呼び出された。
そこは、
雨の中、傘もささずに立っているタクヤ。
濡れたい気分なのか。
……俺と同じだな。
タクヤは俺を
「なぁ、レン! 昨日、リコがお前に何か言ってなかったか!」
「……告白、された」
「それでどうしたんだよ!」
「……断った」
ギリッと、歯噛みする音が響いた。
「なんでだよ! なんで断ってんだよ!!」
断った理由、それは俺の心はまだ前のところにあって。
でも、そう言葉にするのは告白してくれたリコに対して不誠実に思えて。
俺は何も言えずに、ただ目を逸らすしかなかった。
「……チッ! 話す気もねぇってことか!」
その手が俺の襟首を掴んだ。
「あいつ、言ってたんだよ! 今からお前に告白するって! でも、怖いから勇気をくれって! 後押ししてくれって! あんな弱気なリコは初めて見た!」
「そんなこと……言われても……」
その瞬間、鈍い音が響く。
頬に熱い痛みを感じて、俺は濡れた地面の上を転がった。
殴られた頬。
口の中に血の味が広がっていく。
「ふざけんなよ……! 突然テメェが現れて、穏やかに生きていたリコの心をかき乱して! アイツの生きる意味になったんだろうが!!」
血走ったタクヤの目。
その理不尽な怒りに、心の中に熱いものが込み上げてきて。
地面の砂利を巻き込んで、俺は拳を握りしめた。
「……じゃあ、教えてくれよ」
自分でも驚くくらいの低い声。
心は
俺は、感情のままに叫んだ。
「どうすりゃ良かったんだ! 自分の気持ちに嘘ついて、リコの想いに応えりゃ良かったのか! そんなんで、満足なのか!」
「うるせぇっ!」
「ぐっ!」
タクヤが肩で体当たりをしてきた。
腹のあたりに一撃を喰らって、思わず尻餅をつく。
水しぶきが辺りに飛び散った。
すかさずタクヤは俺に馬乗りになって、拳を振り上げる。
咄嗟にガードするけれど、そんなことはお構いなしで。
ガードの上から何度も何度も殴られた。
「なんでレンなんだ! 俺じゃダメなのかよ!」
その間、何回もそんなことを叫んでいた。
何度目かの攻撃のとき——。
雨で滑ったのか、タクヤがわずかにバランスを崩した。
その瞬間、俺は両手首をつかんだ。
タクヤの顔に、焦りの色が浮かぶ。
「そんなにリコが好きなら……自分の力で振り向かせろ!」
そう叫んで、俺は頭を突き上げる。
下からの頭突きだ!
額は、タクヤの鼻先に命中した。
「ぐはっ!」
怯んだところを、思い切り突き飛ばして馬乗りから逃れる。
立ち上がった俺を、炎みたいな目で
その目にはもう、恨みの色しか見えない。
しばしの間、続いた睨み合いは……。
「やってらんねぇ……」
タクヤの一言で終わりを迎えた。
俺に背を向けると、校舎に向かって歩き出す。
数歩進んだところで、その足が止まった。
タクヤが肩口に俺を見る。
「お前がリコを傷付けた。お前がリコを追い込んだんだ。お前なんか……この街に来なけりゃ良かったんだ!」
そう吐き捨てると、タクヤは走り出した。
小さくなっていく背中。
「俺だって……来たくて来たんじゃない」
しとしとと降り続く雨の中、そう
それからクラスのみんなは、リコのお見舞いに行った。
その中にはタクヤの姿もあった。
俺も病院に行ったけれど……。
タクヤの言葉が頭をよぎって、中に入ることはできなかった……。
その後、学校でタクヤと顔を合わせたけれど。
俺たちはもう、会話をすることはなかった。
それから1ヶ月後。
リコは帰らぬ人となった。
葬式には行かなかった。
行けなかった。
リコは、きっと俺を恨んでいたんだろう。
そう思うと顔を見るのが怖くて、行くことができなかった。
「おい、人殺し」
学校で、タクヤにそう言われた。
俺がリコを追い込んだから、彼女は生きる意味を失ったんだと。
タクヤの言葉は瞬く間にクラスに広がり。
そして、学校全体に広がった。
もちろん、先生たちは事態の収拾に努めてくれたけれど。
だけどもう、そこに俺の居場所はなくて。
リコが、俺とみんなとの橋渡しをしてくれていたんだと初めて気が付いた。
公園で、みんなに「人殺し」と責められ、殴る蹴るの暴行を受けたこともある。
そのときは姉貴が助けてくれた。
でも、今の状況を話すことはできなくて、咄嗟にプロレスごっこをしていたと言ってしまった。
家族に、余計な心配をかけたくなかったから。
だから俺は、家では常に笑顔を作っていたんだ。
リコが亡くなってからの中学生活は、ずっと孤独だった。
人殺しのレッテルを貼られた俺に、近付く者なんているはずもないから。
でも、それで良かったんだ。
彼女を傷付けた俺が、笑って過ごすなんて許されるはずないから。
想いに応えられなかった俺に、そんな資格はないから。
* * *
「今でも、たまに夢に見るんだ。あのときのことを」
レンは微笑みながら言う。
「でもさ、どんなに後悔しても、あの日が帰ってくるわけがなくて……。なら、最初から周りと距離を取って、深く関わらなければ誰も傷付かないって、そう思ったんだ」
その微笑みはとても寂しそうで。
私が何も知らず笑っていた同じ空の下で、レンは一人で苦しんできたんだ。
そう思うと、涙が止まらなかった。
「泣くなよ、日野原。俺はもう、平気だからさ……」
優しく頭を撫でてくれるその手は、とても温かい。
「だから……再会した頃……私たちを避けてたんだ」
「そうさせてくれなかったけどな」
レンは苦笑いを浮かべる。
「……だけど、やっぱり俺は誰かと一緒にいちゃいけないんだよな」
つぶやくように言う、その瞳の奥に涙が光った気がして——。
気が付いたら、私はレンを抱き締めていた。
「日野……原?」
「もう、大丈夫だから。レンはずっと頑張ってきたんだね。一人でずっと頑張っていたんだね」
苦しみとか、悲しみとか、孤独とか。
それは、中学生が一人で背負うには重すぎる出来事で。
過去のことも、今のレンも、私が全部抱き締めてあげたい。
そう思って、手に強く力を込めた。
「ぐ……ゲホッ、ゲホッ! 日野原……苦し……」
「あ、ご、ごめん!」
しまった、つい力が入りすぎた!
うぅ……なんで私はいつもこうなるんだろう……。
だけど——。
慌てて離れようとした私の手を、レンがつかんだ。
「いい……もう少し、このまま……」
私は、もう一度レンを抱き締めた。
あの頃のレンに届けと願いながら。
レンは、時々肩を震わせて泣いているようだった……。