* * *
「……う。俺、寝てた?」
横向きの姿勢で寝てた俺は、ベッドの中で呟く。
目の前には、見慣れた壁がある。
自室の壁だ。
新学期早々、俺は風邪を引いて。
咳とかはないけれど、頭痛とダルさがあって。
まだ、みんなに顔を合わせ辛いこともあり、学校を休むことにした。
午前中いっぱい寝ていたら、だいぶ良くなった気がした。
なので、気分転換を兼ねて近所のコンビニへ。
……でも、それが悪かったのか。
帰ってきたら体がダルくなって……。
ベッドで横になったら、いつの間にか寝てしまった。
ま、でも、ぐっすり眠ったせいかな?
今は午前中より気分が良い。
特に、頬に手を当てると幸せな気持ちになれるのは何故だろう……?
「そういや俺、寝る前は何してたっけ?」
確か、姉貴に呼ばれて。
日野原が代わりに行ってくれて……。
って、日野原!?
そ、そうだ、日野原が来てたんだった!
やべっ、俺、すっかり熟睡してたじゃん!
俺は、慌てて寝返りを打って振り返る。
「悪い、日野原! いつの間にか寝て——」
——だけど、それ以上言葉は続けられなかった。
振り返った俺の目の前に、日野原の顔があったから。
ベッドに突っ伏すようにして寝ている彼女。
穏やかな寝息を感じるその距離に、胸は強く高鳴る。
「日野原……寝てんの?」
「レン……」
その口が静かに動いた。
「……野良犬なんか食べちゃダメだよ」
俺は思いっきりズッコケた。
どうやらそれは寝言のようで。
「どんな夢、見てんだ!」
思わずため息が漏れた、そのとき。
不意に日野原が微笑んで。
「私……レンの手……離さないからね……」
「ほんと、どんな夢を見てんだよ」
俺は苦笑いを浮かべながら、彼女の髪をそっと撫でた。
自分でもよくわからないけれど、無性にそうしたくなったんだ。
✱ ✱ ✱
「……ふがっ!」
いけない、いけない!
レンの寝顔を見てたら、私まで眠くなってつい寝ちゃった!
ベッドから顔を上げると、目の前にレンの顔があった。
彼は横になって肘をつき、私をじっと見つめている。
「よー、眠り姫。やっと起きたか」
「あ、レン、おはよー。私ね、今、すごい夢見ちゃった!」
「……知ってる」
「レンがね、野良犬食べちゃうんだけど」
「……知ってる」
「え、何で知ってるの? もしかして、レンってエスパー?」
「ち・げ・ぇ・よ!!」
……っと!
またいつものノリで、話がそれてしまうところだった。
私はお姉さんからレンを託された。
だから、彼が過去のことで苦しんでいるなら、私には救う義務がある!
私は口元を拭うと、レンを正面から見つめた。
「あ、日野原、ベッドにヨダレ垂らしただろ!」
「大丈夫、気にしなくていいから」
「これ俺のベッドだぞ……」
その言葉は聞こえなかったフリをして、グイッと顔を近付ける。
「レン! 中学生のとき、何があったか教えて!」
レンは一瞬、驚いた顔を見せて。
そしてそのあと、ふう〜っと息を吐いた。
「……別に。この前、タクヤが話していたことが全てだよ」
「ちがう!」
「ちがうってなんだよ。あれが本当にあったことで……」
「私、まだレンの口から聞いてない!」
私はレンの手を掴んだ。
「お、おい、何を……」
「私は、何があってもこの手を離さないから!」
真っ直ぐにレンを睨む。
その瞳の中に、真剣な顔をした私が映っている。
きっと、私の瞳の中にはレンが映っているだろう。
ややあって、彼は深くため息をついた。
「……ったく。寝てても起きてても、同じこと言うんだな」
「だって……」
「わかった、話すよ」
レンはベッドから起き上がると、私の隣に座る。
肩と肩が触れ合う距離で、彼は静かに口を開いた。
* * *
俺は小学校を卒業したあと、親の転勤で引っ越しをした。
もといたところとは遠く離れた土地。
当然、みんなとは違う中学に入った。
入学式も終わって、登校初日。
とにかくガチガチに緊張していたのを覚えている。
新しい環境でやっていけるのか?
友達はできるのか?
色々な不安が、心の中で渦巻いていた。
だって、俺の気持ちは、まだ日野原たちと過ごした日々の中にあったから。
自己紹介は滞りなく済ませたと思うけれど、周りは同じ小学校の人たちで仲良く話していて、すでにグループもできつつある。
そんな輪の中に入れなかった俺は、一人で窓の外をぼーっと眺めていた。
そのとき、不意に肩を叩かれて。
振り返ると、そこには男女二人が立っていた。
「なぁ! お前が自己紹介で言った出身小学校、聞いたことねーんだけど?」
その、ぶっきらぼうな物言いに、隣の女の子がため息をつく。
「ちょっと、いきなりそんな言い方はないでしょ!」
「あー?」
「月島くん……だよね? ごめんね、こいつバカだから」
「う、うるせーな!」
「私、
そう言って、彼女はニコッと笑った。
それが、タクヤとリコとの出会いだった。
俺は二人に向き直ると、意識的に笑顔を作った。
「俺さ……こっちに引っ越してきたばかりだから。小学校名を知らないのも仕方ないよ」
「ふぅん、そっか。ねぇ、月島くんの住んでた街ってどんなとこだったの?」
「あーっ! なんだよ、リコ! 俺という者がありながら、転校生に浮気すんのかよ!」
「ちょ! バカタクヤ! 誤解されるようなこと言わないで! あなたとは、ただの幼馴染だって何度も言ってるでしょ!」
「そ、そんな冷たいこと言うなよー!」
「行こっ、レンくん。向こうで二人っきりで話そ?」
「なーっ!!」
大慌てのタクヤ。
二人のそのやり取りが面白くて——。
「……ぷっ」
思わず、吹き出してしまった。
……しまった!
つい笑っちゃったけれど……気を悪くしたかな?
恐る恐る二人の顔を見る。
でも、二人とも満面の笑みで。
「なんだよ、月島。俺たちのやり取りがそんなに面白かったか?」
「これ、うちらの通常運転だよ」
「そう、愛の成せる技だよな!」
「違うって言ってんでしょ、バカ!」
嵐みたいなそのやり取りに、心の中の緊張はいつの間にかどこかに消え去って。
気が付けば、俺は二人と一緒に笑い合っていた。
それは、この街に来て初めて心から笑った日だった。