「ねぇ、体調不良で休んだ人が、なんで外にいるの?」
「あー、それな」
んーっと、背伸びをするレン。
「ずっと家にいるとさ、嫌なこと考えて
嫌なこと……。
これは絶対、この前のタクヤの件を言ってるのだろう。
レンは言わないけれど、きっと中学時代は大変だったに違いなくて。
それを思うと胸が痛む。
「そしたら、病人だってのに追い掛け回されてさ」
「あ、あはははは……」
それには、苦笑いを返すことしかできなくて。
ううぅ……胸が痛む。
小さくなってる私にレンは短く息を吐いた。
「……とりあえず、うち来る?」
「え?」
レンの……家?
いいの?
思わず固まる私。
レンが、ハッとして大きな声を出す。
「ば、バカ、変なこと考えんなよ! うちに姉貴いるんだからな!」
「か、考えてないよ、バカッ!」
それから10分ほど歩いて……。
私は、閑静な住宅街の一角に立っていた。
目の前には二階建ての
ここがレンの家かー!
「遠慮しなくていいから」
そう言って、レンは玄関の扉を開けた。
「ただいまー」
「お、おじゃましまーす」
中に入っていくレンに、私も続く。
靴を脱いでそれを揃えていると、足音が聞こえてきた。
「こら、レン! 風邪引きが外に行くな!」
「ちょっと飯を買いに、コンビニに行っただけだよ」
「ご飯なら私が作るのに……って、あれ? お客さん?」
私は、レンの後ろから姿を現す。
彼の前には、さっき言ってたお姉さんかな?
レンと似たTシャツに短パン姿の女の人が立っていた。
長い髪のとても綺麗な人。
顔も、どことなくレンと似ている気がする。
凛々しさのある美人って感じで。
こんな人とすれ違ったら、男女問わず振り返っちゃうだろうな……。
と、心の底から思った。
「これが、うちのねーちゃん。で、同じクラスの日野原」
レンが、少し気だるそうに私たちを紹介する。
「いらっしゃい、日野原さん。はじめまして、レンの姉の
「は、はじめまして。日野原 結衣です」
ペコッと、勢いよく頭を下げた。
こういうのは最初が肝心なのだ。
「え? 日野原……結衣?」
だけど、お姉さんは不思議そうな声で。
え、なんだろ?
その反応に疑問を感じて、恐る恐る顔を上げる。
その瞬間、お姉さんの顔がパーッと明るく笑った。
「えー、あなたがユイちゃんかー! なるほどねぇ!」
「えっと……どこかでお会いしましたっけ?」
「あ、ううん、ごめんね。レンが家でよく、ユイがユイがって話すからさ。てっきり
「おいっ! 余計なこと言うなよ!」
レンが慌ててお姉さんを止める。
その顔は、何故か真っ赤だ。
お姉さんは口元を手で隠し、ぷぷぷーと笑った。
「そーか、そーか、名前で呼ぶのは家だけか。青春してるな、我が弟よ」
「う、うるせぇ! 行くぞ、ユ……日野原!」
突然、私の手をつかむレン。
そのままグイッと引っ張られて、二階への階段を上る。
「ねぇ、レン?」
「……なに?」
「レンの知り合いに、ユイって名字の人がいるんだね? なんだかちょっと親近感」
ふふっと笑った私に、レンはホッと息を吐いた。
「日野原が鈍くて助かったわ……」
「え? なんの話?」
「なんでもねーよ」
んー?
ほんと、何を言ってるのかよくわからない。
レンは、階段を上がって突き当りの部屋の扉を開く。
「ここが俺の部屋」
そこは6
きちんと片付けられていてはいるけれど、やっぱり生活感はあって。
レンの
レンは、部屋の真ん中のテーブルにコンビニ袋を置くと、
「そのへん、適当に座ってて」
そう言って、私にクッションを手渡してきた。
「で、悪い……ちょっとダルくなってきたから、横になっていい?」
あ……そうだよね。
レンは学校を休むくらいに体調が悪かったんだもんね。
こうして見ると、確かに顔色はあまり良くない。
「うん、私のことは気にしないで」
「ありがとう……本棚のマンガとか、ゲームとか、勝手にやってていいから」
そう言うと、レンは体を引きずるようにしてベッドに横になった。
「あー……重力が、2倍くらいになった気がする……」
「無理しないでね」
もしかして……私が追いかけ回したから?
うぅ、ごめんね。
反省……。
ふとテーブルの上に目を向けると、コンビニ袋をからオニギリとかパンが顔を出している。
「ねぇ、レン。買ってきたご飯、食べないの?」
「あー……別に、腹が減ってたわけじゃないから後でいいや。日野原、食べたかったら食べていいぞ」
「た、食べないよっ!」
相変わらず、人を食いしん坊キャラみたいに言う。
まぁ、それも私のせいなのだけれど……。
と、そのとき——。
「レーン、飲み物を用意したから取りに来てー!」
下の階から聞こえてくるお姉さんの声。
「あー……今、行く」
起き上がろうとするレンを私は制する。
「私が行ってくるから、レンは寝てて」
せめてもの罪滅ぼしに……。
下におりると、キッチンでお姉さんが待っていた。
テーブルの上に置かれたトレイには、ペットボトルのお茶とコップ、そしてイチゴのケーキが用意してある。
「あれ? レンは?」
「えっと、体調が悪化してきちゃったみたいで、今は寝てます」
「あいつ、すぐ無理するからなぁ……」
そう言って、お姉さんは困ったように腕を組む。
そんな姿も、とても絵になっていて綺麗……。
「お姉さん……ハルカさんって、立ち姿とかお綺麗ですね。何か特別なこと、されてるんですか?」
「あはは、ありがとう。 私、役者を目指してんの」
わ、役者さん!
どーりで綺麗なはず!
「今年、23歳になったんだけど、ようやく主演をやらせてもらえそうで、気合が入ってるんだ」
「主演! すごいですっ! おめでとうございます!」
「ふふっ、ありがとう。やっと、だけどね」
そう言って、お姉さんは照れたように微笑んだ。
レンの紅薔薇姫の演技が凄かったのは、きっとお姉さんの影響なんだな……。
私は一人納得してうなずいた。
そんなことを思っていると、お姉さんがふと真剣な顔になった。
「……ねぇ、ユイちゃん。あいつの中学時代の話って聞いた?」
瞬時に変わった空気に、一瞬、どう答えたら良いのか迷ったけれど。
「はい……少しだけ」
素直にそう答えた。
「そっか……」
お姉さんは、ため息混じりに椅子に座った。
私にも勧めてくれたので、それに従って腰を下ろす。
「……レンね、中学が楽しい。友達もいっぱいできたって、いつも笑ってたんだ」
「わぁ、そうだったんですね!」
この前のタクヤみたいなのは、きっと一部の人だったのだろう。
レンって、ほんと誤解されやすいから……。
ホッと胸を撫でおろす私に、お姉さんは首を横に振った。
「でも、本当はそうじゃなくて」
「……え?」
「家族に、心配をかけたくなかったみたい。……あの子、変に気遣いなところあるから」
そう言って、悲しげなため息をつく。
「入学して半年くらい経ったときかな。たまたま公園の前を通りかかったら、レンが大勢の同級生に囲まれていてね。みんなから殴られたり、蹴られたりしてた」
「そ、そんな!」
「……あ、ユイちゃん、安心して。そいつらは全員、私が叩きのめしたから」
「え!? は、ハルカさん、武闘派なんですか!?」
「私、アクションスターになりたくて、空手を習ってたからね」
笑いながら、
私はゴクリとツバを飲んだ。
「……でもね。あいつ、泣き言一つ言わないでさ。逆に、みんなでプロレスごっこやってたんだって言って、笑って。まったく……ほんと、バカでしょ?」
「そんなこと……」
でも、わかる気がする。
レンなら、きっとそうすると思う。
色々と文句は言うけれど、本当は心の優しい人だから……。
自分のせいで、誰かが悲しむのは許せない人だから……。
「まぁ、それからは目立ったことはされなくなったみたいだけど。でも、中学時代はずっと孤独で……だから、今がすごく楽しいみたい!」
「そう……なんですか?」
「うん。いつも家で、友達のことを嬉しそうに話してるんだよ。水本が、木崎が、ユウトが、ユイがって……」
「え、ユイ?」
「あ! ……う、ううん、なんでもない!」
慌てたように両手を振るお姉さん。
「いけない、レンに怒られちゃう」
とか
うーん?
私の知らないところで、何かが起こっている……?
「と、とにかく、ユイちゃん!」
首を傾げた私に、お姉さんは向き直る。
その顔は真剣だった。
姿勢を正したお姉さんは、
「これからもレンのことを、よろしくしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げる。
「や、やめてください!」
今度は私が慌ててお姉さんの肩を掴んだ。
「私、昔からレンには助けられてて……それこそ小学生のときから。だから、私が絶対に幸せにしますからっ!」
……って、あれ?
なんか私、言い方間違ってない!?
私を見るお姉さんの目が驚きに見開かれて……。
そして、次の瞬間、お腹を押さえて笑いだした。
「あははははっ! ユイちゃん、プロポーズじゃないんだから!」
大笑いしているお姉さんの前で、私はただ小さくなってうつむくことしかできなくて。
うぅ〜、顔が熱い!
とにかく熱い!!
この前、お父さんが激辛カレーを食べて、
「うわあああ、火が出そうだ——!!!」
なんて言ってたけれど。
お父さん!
今なら私、負ける気がしないよっ!!
うぅっ……。
お姉さんはひとしきり笑ったあと、目尻の涙を拭って微笑んだ。
「ユイちゃんみたいな人が、レンの側にいてくれて良かった」
「えーと……それ、褒めてます?」
「褒めてる、褒めてる! これからも、よろしくね」
「はいっ!」
私は笑顔でそう答えた。
お姉さんからトレイを受け取って、階段を上る。
「すっかり話し込んじゃったな」
そう呟きながら、レンの部屋のドアを開けた。
「遅くなってごめんね」
だけど、返事はなくて。
かわりに聞こえてくるのは、すーすーという規則正しい寝息だけ。
「寝ちゃったか……」
私は、そ〜っとトレイをテーブルの上に置くと、ベッドの隣に腰を下ろした。
ベッドには、すやすやと眠るレンがいる。
その穏やかな寝顔とは裏腹に、私の想像もつかないほど苦労してきたに違いない。
「……もう、無理しなくていいんだよ」
そう言いながら、私はレンのほっぺを突っついた。
その瞬間——。
「むにゃ……」
ちょ!!
レン、今、「むにゃ」って言った!!!
やっばー、可愛すぎっ!!!!
「えいえいっ」
むにゃむにゃ言うレンが可愛くて、何回もつついてたら……。
顔が険しくなってきたので慌ててやめた。
今、私の隣には無防備に眠るレンがいる。
そんな彼が、心の底から愛しくて——。
「……私は、レンの笑顔が一番好きなんだぞ」
私は瞳を閉じると、レンの頬にそっとキスをした。
彼の顔が、少しだけ微笑んだ気がした……。