目次
ブックマーク
応援する
10
コメント
シェア
通報

第56話『君にキスして』

「ねぇ、体調不良で休んだ人が、なんで外にいるの?」

「あー、それな」


 んーっと、背伸びをするレン。


「ずっと家にいるとさ、嫌なこと考えて憂鬱ゆううつになるから。気分転換も兼ねて近くのコンビニに飯を買いに来た」


 嫌なこと……。

 これは絶対、この前のタクヤの件を言ってるのだろう。

 レンは言わないけれど、きっと中学時代は大変だったに違いなくて。

 それを思うと胸が痛む。


「そしたら、病人だってのに追い掛け回されてさ」

「あ、あはははは……」


 それには、苦笑いを返すことしかできなくて。

 ううぅ……胸が痛む。


 小さくなってる私にレンは短く息を吐いた。


「……とりあえず、うち来る?」

「え?」


 レンの……家?

 いいの?


 思わず固まる私。

 レンが、ハッとして大きな声を出す。


「ば、バカ、変なこと考えんなよ! うちに姉貴いるんだからな!」

「か、考えてないよ、バカッ!」




 それから10分ほど歩いて……。

 私は、閑静な住宅街の一角に立っていた。

 目の前には二階建ての灰色グレーの家。

 ここがレンの家かー!


「遠慮しなくていいから」


 そう言って、レンは玄関の扉を開けた。


「ただいまー」

「お、おじゃましまーす」


 中に入っていくレンに、私も続く。

 靴を脱いでそれを揃えていると、足音が聞こえてきた。


「こら、レン! 風邪引きが外に行くな!」

「ちょっと飯を買いに、コンビニに行っただけだよ」

「ご飯なら私が作るのに……って、あれ? お客さん?」


 私は、レンの後ろから姿を現す。

 彼の前には、さっき言ってたお姉さんかな?

 レンと似たTシャツに短パン姿の女の人が立っていた。


 長い髪のとても綺麗な人。

 顔も、どことなくレンと似ている気がする。

 凛々しさのある美人って感じで。

 こんな人とすれ違ったら、男女問わず振り返っちゃうだろうな……。

 と、心の底から思った。


「これが、うちのねーちゃん。で、同じクラスの日野原」


 レンが、少し気だるそうに私たちを紹介する。


「いらっしゃい、日野原さん。はじめまして、レンの姉のはるかです」

「は、はじめまして。日野原 結衣です」


 ペコッと、勢いよく頭を下げた。

 こういうのは最初が肝心なのだ。


「え? 日野原……結衣?」


 だけど、お姉さんは不思議そうな声で。

 え、なんだろ?

 その反応に疑問を感じて、恐る恐る顔を上げる。

 その瞬間、お姉さんの顔がパーッと明るく笑った。


「えー、あなたがユイちゃんかー! なるほどねぇ!」

「えっと……どこかでお会いしましたっけ?」

「あ、ううん、ごめんね。レンが家でよく、ユイがユイがって話すからさ。てっきり由井ゆいって名字の子かと思ったら……」

「おいっ! 余計なこと言うなよ!」


 レンが慌ててお姉さんを止める。

 その顔は、何故か真っ赤だ。

 お姉さんは口元を手で隠し、ぷぷぷーと笑った。


「そーか、そーか、名前で呼ぶのは家だけか。青春してるな、我が弟よ」

「う、うるせぇ! 行くぞ、ユ……日野原!」


 突然、私の手をつかむレン。

 そのままグイッと引っ張られて、二階への階段を上る。


「ねぇ、レン?」

「……なに?」

「レンの知り合いに、ユイって名字の人がいるんだね? なんだかちょっと親近感」


 ふふっと笑った私に、レンはホッと息を吐いた。


「日野原が鈍くて助かったわ……」

「え? なんの話?」

「なんでもねーよ」


 んー?

 ほんと、何を言ってるのかよくわからない。


 レンは、階段を上がって突き当りの部屋の扉を開く。


「ここが俺の部屋」


 そこは6じょうくらいのフローリングの部屋で、ベッドや机、テレビや本棚なんかが置いてある。

 きちんと片付けられていてはいるけれど、やっぱり生活感はあって。

 レンの個人空間パーソナルスペースに踏み入れた気がして、胸がドキドキする!


 レンは、部屋の真ん中のテーブルにコンビニ袋を置くと、


「そのへん、適当に座ってて」


 そう言って、私にクッションを手渡してきた。


「で、悪い……ちょっとダルくなってきたから、横になっていい?」


 あ……そうだよね。

 レンは学校を休むくらいに体調が悪かったんだもんね。

 こうして見ると、確かに顔色はあまり良くない。


「うん、私のことは気にしないで」

「ありがとう……本棚のマンガとか、ゲームとか、勝手にやってていいから」


 そう言うと、レンは体を引きずるようにしてベッドに横になった。


「あー……重力が、2倍くらいになった気がする……」

「無理しないでね」


 もしかして……私が追いかけ回したから?

 うぅ、ごめんね。

 反省……。


 ふとテーブルの上に目を向けると、コンビニ袋をからオニギリとかパンが顔を出している。


「ねぇ、レン。買ってきたご飯、食べないの?」

「あー……別に、腹が減ってたわけじゃないから後でいいや。日野原、食べたかったら食べていいぞ」

「た、食べないよっ!」


 相変わらず、人を食いしん坊キャラみたいに言う。

 まぁ、それも私のせいなのだけれど……。


 と、そのとき——。


「レーン、飲み物を用意したから取りに来てー!」


 下の階から聞こえてくるお姉さんの声。


「あー……今、行く」


 起き上がろうとするレンを私は制する。


「私が行ってくるから、レンは寝てて」


 せめてもの罪滅ぼしに……。



 下におりると、キッチンでお姉さんが待っていた。

 テーブルの上に置かれたトレイには、ペットボトルのお茶とコップ、そしてイチゴのケーキが用意してある。


「あれ? レンは?」

「えっと、体調が悪化してきちゃったみたいで、今は寝てます」

「あいつ、すぐ無理するからなぁ……」


 そう言って、お姉さんは困ったように腕を組む。

 そんな姿も、とても絵になっていて綺麗……。


「お姉さん……ハルカさんって、立ち姿とかお綺麗ですね。何か特別なこと、されてるんですか?」

「あはは、ありがとう。 私、役者を目指してんの」


 わ、役者さん!

 どーりで綺麗なはず!


「今年、23歳になったんだけど、ようやく主演をやらせてもらえそうで、気合が入ってるんだ」

「主演! すごいですっ! おめでとうございます!」

「ふふっ、ありがとう。やっと、だけどね」


 そう言って、お姉さんは照れたように微笑んだ。

 レンの紅薔薇姫の演技が凄かったのは、きっとお姉さんの影響なんだな……。

 私は一人納得してうなずいた。


 そんなことを思っていると、お姉さんがふと真剣な顔になった。


「……ねぇ、ユイちゃん。あいつの中学時代の話って聞いた?」


 瞬時に変わった空気に、一瞬、どう答えたら良いのか迷ったけれど。


「はい……少しだけ」


 素直にそう答えた。


「そっか……」


 お姉さんは、ため息混じりに椅子に座った。

 私にも勧めてくれたので、それに従って腰を下ろす。


「……レンね、中学が楽しい。友達もいっぱいできたって、いつも笑ってたんだ」

「わぁ、そうだったんですね!」


 この前のタクヤみたいなのは、きっと一部の人だったのだろう。

 レンって、ほんと誤解されやすいから……。


 ホッと胸を撫でおろす私に、お姉さんは首を横に振った。


「でも、本当はそうじゃなくて」

「……え?」

「家族に、心配をかけたくなかったみたい。……あの子、変に気遣いなところあるから」


 そう言って、悲しげなため息をつく。


「入学して半年くらい経ったときかな。たまたま公園の前を通りかかったら、レンが大勢の同級生に囲まれていてね。みんなから殴られたり、蹴られたりしてた」

「そ、そんな!」

「……あ、ユイちゃん、安心して。そいつらは全員、私が叩きのめしたから」

「え!? は、ハルカさん、武闘派なんですか!?」

「私、アクションスターになりたくて、空手を習ってたからね」


 笑いながら、くうにビシッと正拳突きをするお姉さん。

 私はゴクリとツバを飲んだ。


「……でもね。あいつ、泣き言一つ言わないでさ。逆に、みんなでプロレスごっこやってたんだって言って、笑って。まったく……ほんと、バカでしょ?」

「そんなこと……」


 でも、わかる気がする。

 レンなら、きっとそうすると思う。

 色々と文句は言うけれど、本当は心の優しい人だから……。

 自分のせいで、誰かが悲しむのは許せない人だから……。


「まぁ、それからは目立ったことはされなくなったみたいだけど。でも、中学時代はずっと孤独で……だから、今がすごく楽しいみたい!」

「そう……なんですか?」

「うん。いつも家で、友達のことを嬉しそうに話してるんだよ。水本が、木崎が、ユウトが、ユイがって……」

「え、ユイ?」

「あ! ……う、ううん、なんでもない!」


 慌てたように両手を振るお姉さん。

「いけない、レンに怒られちゃう」

 とかつぶやいてる。

 うーん?

 私の知らないところで、何かが起こっている……?


「と、とにかく、ユイちゃん!」


 首を傾げた私に、お姉さんは向き直る。

 その顔は真剣だった。

 姿勢を正したお姉さんは、


「これからもレンのことを、よろしくしくお願いします」


 そう言って深々と頭を下げる。


「や、やめてください!」


 今度は私が慌ててお姉さんの肩を掴んだ。


「私、昔からレンには助けられてて……それこそ小学生のときから。だから、私が絶対に幸せにしますからっ!」


 ……って、あれ?

 なんか私、言い方間違ってない!?


 私を見るお姉さんの目が驚きに見開かれて……。

 そして、次の瞬間、お腹を押さえて笑いだした。


「あははははっ! ユイちゃん、プロポーズじゃないんだから!」


 大笑いしているお姉さんの前で、私はただ小さくなってうつむくことしかできなくて。

 うぅ〜、顔が熱い!

 とにかく熱い!!


 この前、お父さんが激辛カレーを食べて、

「うわあああ、火が出そうだ——!!!」

 なんて言ってたけれど。

 お父さん!

 今なら私、負ける気がしないよっ!!

 うぅっ……。


 お姉さんはひとしきり笑ったあと、目尻の涙を拭って微笑んだ。


「ユイちゃんみたいな人が、レンの側にいてくれて良かった」

「えーと……それ、褒めてます?」

「褒めてる、褒めてる! これからも、よろしくね」

「はいっ!」


 私は笑顔でそう答えた。



 お姉さんからトレイを受け取って、階段を上る。


「すっかり話し込んじゃったな」


 そう呟きながら、レンの部屋のドアを開けた。


「遅くなってごめんね」


 だけど、返事はなくて。

 かわりに聞こえてくるのは、すーすーという規則正しい寝息だけ。


「寝ちゃったか……」


 私は、そ〜っとトレイをテーブルの上に置くと、ベッドの隣に腰を下ろした。

 ベッドには、すやすやと眠るレンがいる。

 その穏やかな寝顔とは裏腹に、私の想像もつかないほど苦労してきたに違いない。


「……もう、無理しなくていいんだよ」


 そう言いながら、私はレンのほっぺを突っついた。

 その瞬間——。


「むにゃ……」


 ちょ!!

 レン、今、「むにゃ」って言った!!!

 やっばー、可愛すぎっ!!!!


「えいえいっ」


 むにゃむにゃ言うレンが可愛くて、何回もつついてたら……。

 顔が険しくなってきたので慌ててやめた。


 今、私の隣には無防備に眠るレンがいる。

 そんな彼が、心の底から愛しくて——。


「……私は、レンの笑顔が一番好きなんだぞ」


 私は瞳を閉じると、レンの頬にそっとキスをした。

 彼の顔が、少しだけ微笑んだ気がした……。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?