あの日以来、ジュリは私たちの前に姿を見せなくなった。
レンのファン騒動も落ち着いて、ようやく訪れた平穏な日々。
ただ、一緒に恋愛教習所に通おう! と誘うのは完全にタイミングを逃した感があって……。
結局、何も言えずに時は流れていった。
そして、訪れた夏休み!
暦は7月末!
今日は、あのとき約束した私の家の近くの公園のお祭りの日だ。
風鈴祭りとして有名なこのお祭りは、大小様々な風鈴が公園やその周辺に飾り付けてあるんだ。
みんなとの待ち合わせは17時、公園入口。
「行ってきまーす!」
私は、少し余裕を持って家を出た。
道路には所狭しと屋台が並んでいて、とても賑やか。
私の足取りも軽くなる。
こういう雰囲気って、けっこー好きっ!
このお祭りは家の近所ということもあって、夏になるといつも両親と来ていた。
でも、友達と来た経験はなくて。
ちょっと胸がドキドキしている。
メンバーの中にレンもいるとなれば、それはもう尚更だ。
なので、服装もちょっと気合が入っていたりする。
今日の私は、Tシャツの上から着たサマーニットがポイント。
透け感がオシャレなそれは、丈が長めなのでショートパンツと合わせてワンピースっぽく着ている。
個人的に気に入ってるコーディネートだ。
だけど、通りを歩く人の中には浴衣姿もあって。
……私も浴衣を着てくればよかったかな。
なーんて、ちょっと思ってしまったり。
でも、服装について事前の打ち合わせはなかったし……。
私だけ浴衣で行くのも、変に頑張ってる感が出てしまいそうだし……。
というわけで、無難に私服にしたのでした。
なのに……。
「えっ、アイリ、浴衣なの!?」
「えっ、ユイもミユも浴衣じゃないの!?」
待ち合わせ場所で会った私たちは、お互いの格好に驚きを隠せない。
浴衣姿のアイリ。
紺色の生地に鮮やかな朝顔の柄は、彼女にとても良く似合っていて。
「わー! アイりん、可愛いー!」
「や、やめてよ、ミユ。私だけ気合入ってるみたいじゃない」
アイリは、恥ずかしそうにうつむいた。
その様子に、ユウトくんが目を細める。
「恥ずかしがることないよ、アイリちゃん。な、レンもそう思うだろ?」
「なんで俺に振るんだ……」
ユウトくんの言葉に戸惑いを見せつつも、レンはアイリの着物をまじまじと見つめた。
「……でも、そうだな。いいと思う」
「ちょ……月島くんまで、冗談はやめてよ」
「いや、マジで」
「そっか……ありがとう。嬉しい」
赤くなって行く頬。
それを隠すように、アイリは両手をそこに当てた。
いいなアイリ……。
やっぱり、私も浴衣を着てくればよかったかな……。
そのとき、不意にレンがこちらを向いた。
「今度、日野原も着てきてよ」
え……?
そ、そ、そ、それって!
私の浴衣姿が見たいってこと――――!?
もー、レンは!
そんなことサラッと言うんだからぁ。
まったくー、そーゆーとこだぞ♡
熱くなる頬。
顔が思わずニヤけちゃう。
「お! レン、いいこと言うじゃん!」
そのとき、ユウトくんが手を叩いた。
「じゃあさ、今度のお祭りは、みんな浴衣を着ようぜ!」
……あー、そーゆーこと!
私の浴衣が見たいってわけじゃないのね!
なにそれ!
ぬか喜びってやつじゃん!
私、バカみたいっ!!
怒りを込めた瞳でレンを
当のレンは頬をかきながら……。
「そういう意味じゃなかったんだけどな……」
とか、つぶやいてる。
じゃあ、どういう意味だったんだ!
と、じっくりじっくり問い詰めてやりたい。
私の気持ちに気付かない鈍い男。
まったく、そーゆーとこだぞ!
でも、せっかくのお祭りだし、この雰囲気に免じて許してやるか。
今日は特別なんだからねっ!
そんなわけで、気を取り直して私たちは屋台を巡る。
焼きそば、かき氷、フランクフルト。
射的にお面、くじ引きと、お祭りならではの雰囲気を堪能する。
やがて日も落ちて、風鈴が一斉にライトアップされた。
夜の闇の中で淡い光を放つその光景は、ため息が出るほど幻想的。
風に揺られて、ちりんと鳴る音も心地よい。
「あー、どうしようかなー?」
そのとき、不意にユウトくんが声をあげた。
「どうかしたの?」
私の質問に、真剣な表情を浮かべて振り返った。
「いや……タコ焼きが食べたいんだけど、さっき見た屋台がすごく並んでてさ」
「金村くん、さっきから食べてばかりじゃない? よく入るわね」
「チッチッチ! だって、1年に1回のお祭りだぜ? 思う存分、楽しまないと!」
立てた人差し指を左右に振ってニコッと笑う。
その笑顔は、夏休みに入る前より少し丸くなった気がするけれど……。
気のせい?
ミユが、ユウトくんの袖を引っ張る。
「ユッたん、私、一緒に並ぶよー?」
「マジで!? ありがとう、ミユ!」
「じゃ、ちょっと行ってくる」と、二人は手を繋いで人混みの中に消えていった。
残されたのは私とレン、そしてアイリの三人で。
「……仕方ない、うちらはその辺で待つか」
「あ、それなら、こっちにベンチがあるよ」
そう言って、二人を案内しようとしたそのとき――。
「あーし、もう疲れたんだけど!!」
どこかで聞いた声が響いてきた。
「みんなとはハグレちゃうし……なんでタクヤと回らないといけないんだってーの!!」
「い、いや、そんなこと言わずにさ」
「あーし、ヤバいくらい足が疲れてんの! ヤバたんピーナッツだっての!!」
「あ、それって、ピーナッツって言葉には意味はないんだよな。単に響きが可愛いからって……」
「は?」
「い、いやなんでもない! ……あ、あそこにベンチがある! ちょっと座ろうか!」
「んー? ベンチ?」
彼女はベンチに目を向けて……。
そして、その前にいる私と目が合った。
「なんでいるし!!!」
ギャル系女子、
今日の格好は、ショート丈のミニTシャツとデニムのホットパンツ、そして厚底サンダルの組み合わせ。
まさにギャルといった感じ。
この前の件もあり、会いたくなかった人だ。
私は短く息を吐く。
「なんでいるって……みんなでお祭りに来たんだけど」
「みんな? あ、レンきゅんもいるじゃん!」
ジュリは私を押しのけると、レンの前に立った。
その顔が、不意にニイッと笑う。
「ふふふ。あーし、レンきゅんの秘密聞いちゃった」
レンの顔色が変わった。
「だ……誰から聞いた!?」
「んー? タクヤだけど?」
ジュリは後ろを振り返った。
一緒にいた男が前に進み出る。
ニヤニヤと笑う、ガラの悪い人。
「よー、月島。久しぶりだな。中学の卒業式以来か?」
レンの顔が険しくなる。
タクヤ?
中学?
じゃあ……この人が、この前のジュリの電話の相手!?
タクヤは値踏みするようにレンを見ると、いやらしい笑みを浮かべた。
「ハッ、そんな顔すんなよ。にしても、女二人をはべらせて、いいご身分だな!」
「別に、そんなつもりは……」
その瞬間、タクヤの顔が怒りのそれに変わった。
「はぁ? じゃあ、どんなつもりなんだよ!
「忘れるわけ……ない」
「そうだよな、お前が殺した女だもんな!」
その言葉に、アイリが割って入る。
「ちょっと待ってよ。いくらなんでも人殺し呼ばわりは聞き捨てならないわ!」
「……なんだよ月島ァ、話してねーのかよ?」
睨むアイリに、タクヤは肩をすくめた。
「知らねーなら教えてやるよ。こいつのせいで、同級生の女が一人死んでんだよ!」
聞きたくなかった言葉。
嘘だ! と否定したくても、レンを睨むタクヤの目がそれをさせてくれない。
「可哀想に。リコのやつ、よっぽど追い込まれてたんだろうな」
「やめろ……」
嘲笑うかのようなタクヤに対し、絞り出すようなレンの声。
「こういうの、なんて言うんだっけか?」
「やめろ……」
「あー、そうそう! 言葉の暴力ってやつだよな! 精神的苦痛は、相当なものだったろうよ!」
「やめろ!」
「やめねーよ!! テメェはいつもスカしやがって! 昔から気に入らねーんだよ!!」
タクヤは拳を振り上げた。
「俺が、正義の
血走った目、怒りに歪む顔、振り下ろされる拳。
鈍い音と共に、レンが地面を転がった。
「オラァ、寝てんじゃねぇ!」
周りには、たくさんの人がいる。
だけど、それらを気にも留めずタクヤはレンの襟首を掴んで無理やり引き起こす。
二発目の拳が振り上げられ——。
――次の瞬間、辺りに乾いた音が響き渡った。
私が、タクヤの頬を叩いたからだ。
「て、テメェ……」
彼はレンから手を離すと私を睨んだ。
私も負けずと睨み返す。
「何があったのかは知らないけど……レンに酷いことするのは許さないっ!!!」
「……お前、いい度胸してんな」
私に向けられる怒りの目。
その勢いに、思わず気押されそうになる。
だけど、唇をぐっと噛んでそれに耐えた。
「人を殴るってことは、殴り返される覚悟はできてんだろうな!」
「ちょっと待ちなさいよ!」
「アァン?」
アイリの静止に、タクヤは怒りも露わに振り返る。
眉間にシワを寄せたその顔は、本当に怖い。
だけど彼女は、物おじせずに彼を真っ直ぐに見つめた。
「言葉の暴力なら、あなただって同じじゃない。それに、先に手を出したのはあなただし、殴り返される覚悟はあったのよね?」
「あ? なんだテメェ……!」
「ほら、すぐにそうやって言う。そこにあなたの示す正義はあるの?」
「ンなもん、ねぇよ!」
「呆れた! 正義なき力はただの暴力よ。そんなことも知らないの?」
「ぐ……御託を並べやがって……!」
「私は真実を口にしてるだけよ」
堂々としたアイリの態度に、明らかに気後れした様子のタクヤ。
周りの人たちもざわめき始めて、誰かが警備員を呼んでくるという声まで聞こえてきた。
睨み合う私たち。
だけど、この状況は自分が圧倒的不利と判断したのだろう。
タクヤは、チッ……と舌打ちをするとジュリを振り返った。
「……行くぞ、ジュリ!」
「は? 命令すんなし! っていうか、あーしが行くわ。アンタのせいで、シラけちゃったし」
「そ、そんなこと言うなよ!」
「アンタ、マジでヤバたんピーナッツ」
「ぐ……」
先に立って歩き出すジュリの後を、悔しそうについていくタクヤ。
その姿が人混みの中に消えたところで、私の口から安堵のため息が漏れた。
勢いとはいえ、人を叩いてしまった。
でも、あれは本当に許せなかった。
むやみにレンを傷つけるあの人が、私は許せない!
「レン、大丈夫だった?」
うつむいたままのレンの肩に手を置く。
その瞬間、彼はハッとして私の手を払い除けた。
「レン……?」
「あ……いや……」
レンは再びうつむくと、
「悪ぃ……俺、帰るわ……」
そう言って、ひとり出口の方向へと歩き出す。
一瞬、私の顔を見て。
そして、また目を伏せて。
「……巻き込んで悪かったな」
つぶやくように言う声は、とても苦しそうだった。
「レン——」
振り返るけれど、でも私には何も言うことができなくて。
去っていく背中を、ただ見つめることしかできなかった。
——そのあと、夏休みの間ずっとレンと連絡を取ることができなかった……。