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第47話『あきらめないで』

「日野原、頼むっ!」

「任せてっ!」


 レンから手渡されたバトンを強く握りしめ、私は一歩を踏み出す。

 その瞬間——。


 ——ズキン!


 左足首に痛みが走る……けれどっ!

 これくらいなら、なんとか走れる!


 私は、前をにらんで走り出す。

 レンに教えてもらったリラックス法の効果が大きいのかな。

 今日の私は、本当に風になっている気がした。


『さぁ、現在ダントツ1位は紅薔薇姫と白い騎士! そして、それを追いかけるのは不思議の国だー!』


 スピーカーから響く実行委員長の実況。

 不思議の国、ナツミさんだ!


 走りながら、ちらりと振り返る。

 ナツミさんが後続を引き離していく姿が目に入った。

 その脚力は、本当に凄い。

 多分だけど、クラスでも足は早い方だろうな……。


 だけど、私との差はまだ大きくて。

 少し詰められたとしても、これなら1位でゴールできると思う。

 これも最初にレンが頑張ってくれたおかげ。

 このまま1位を守り切るぞっ!


 コーナーに差し掛かる。

 左回りのトラックは左足に負担がかかりやすいって聞く。

 実際、足首の方はさっきより痛みが強くなっている。

 でも……。

 もうすぐ女子の100メートルはゴールを迎え、そのあとはレンとのペア走だ。

 二人で50メートルの直線を走る。

 カーブがなければ、この足首でもきっと大丈夫なはず!


 ……と、そのとき私は気が付いた。

 背後からの足音が近くなってきていることに!


 も、もう、ナツミさんが来たの!?

 確かめたいけれど、振り返っている余裕はなくて。

 ダメ、抜かれたくないっ!

 もっと早く走らなきゃ!

 その想いで、必死に足を動かす。


 だけど、気持ちばかりが前に行って、肝心の足は必要以上に出てくれない。

 それどころか、焦ったことで走るタイミングは完全に狂って……。


「きゃっ!?」


『おーっと!! 白騎士、転倒だー!!!』


 地面の上を派手に転がる私。

 そのとき、足音が間近に聞こえて。


「ユイちゃん……悪いけど抜かせてもらうね」


 ナツミさんが横を走り抜けていく。


 抜かれた!

 は、早く追いかけなくちゃ!!


 そう思って、慌てて立ち上がろうとするけれど……。


「——っく!?」


 足首に走る激痛。

 それは尋常じゃないくらいのもので。


 どうやら、私の足首はとっくに限界を迎えていたみたい。

 後続の選手が私を追い抜かしていく。

 だけど私は立ち上がるのがやっとで。

 小さくなっていく背中を見つめることしかできなかった。


 ……ごめん、みんな。

 こんな素敵な衣装を用意してもらったのに。


 ……ごめん、アイリ。

 コスプレのテーピングまでしてもらったのに。


 ……ごめん、レン。

 毎日、放課後の特訓に付き合ってもらったのに。


 体の横で握り締めた拳は、爪が手の平に食い込んでいく。


 ジュリが肩を押して来たあのとき、なんで避けられなかったんだろう。

 今思うと、何でもない突き飛ばしだった気がする。

 結局、私の不注意のせいで、みんなを悲しませる。


 ほんと、ごめんなさい……。


 足首の激しい痛みと、みんなの期待を裏切った罪悪感と、不甲斐ない自分への苛立ちとで、頭の中がぐちゃぐちゃになる。


『おーっと!? 白騎士、走れないのかー!?』


 響く実況の声、そして生徒たちの声。

 私にはもう、それ以外何も聞こえなくて。

 圧倒的な孤独感を前に、心が押し潰されそうなほど苦しくなって。

 ……もう、顔を上げることすらできなかった。


 そのとき——。


「日野原——っっっ!!!!」


 周りの音を切り裂いて響く声。

 思わず顔を上げると、レンが私の名前を呼んでいた。


 必死な顔で叫ぶその姿。

 やめてよ……みんなに聞かれたら恥ずかしいじゃん。


 そう、心の中で悪態あくたいをついてみる。

 だけどそれは、闇を照らす一筋の明かりみたいで。

 私は、その声に導かれるように一歩を踏み出した。


「日野原、来いっ!」


 ……聞こえる。

 どんなに周りの音が大きくても、レンの声だけはハッキリと聞こえる!


 踏み出した足は歩みへと変わり、そして再び走り出す。

 もちろん、上手く走ることはできない。


 ……だけど!

 それよりも今は、1秒でも早くレンの元に辿り着きたかった。

 私の名を呼ぶ、彼のもとに!



 男女ペアのスタート地点に、ナツミさんが1位で到達したのが見えた。

 そこからはショウ先輩と二人で走るのだけれど……。

 だけど、二人はまだ走り出さない。


 ナツミさんはショウ先輩の背後に回り込むと、その両腕を掴んだ。


「さぁ、皆さんご注目!」


 ショウ先輩が高らかに声を上げると同時に、ナツミさんが着ぐるみの両腕を勢いよく引っ張った。

 ビリッ!

 という音と共に、猫の着ぐるみはあっさりと左右に裂けて……。

 中から、白ウサギの着ぐるみパジャマが現れた。


『おおおーっ! こ、これは凄い! 猫からウサギへの早着替えだー!』


 興奮したような実況。

 生徒たちからの歓声も一際ひときわ大きくなる。


 その声を浴びながら、ショウ先輩はナツミさんを見た。


「行こうか、ナッちゃん!」


 その首から下げた懐中時計に目を落としながら、慌てたような演技で走り出すショウ先輩。

 その後ろをナツミさんが追いかける。

 2位以下を大きく引き離し、もはや二人の独走状態だ。


 他の選手たちもペアのスタート地点に到着すると、それぞれパフォーマンスを始める。

 そのコスプレキャラのワンシーンを再現したり。

 コスプレキャラとは関係ない特技を披露したり。

 みんな、コスプレの加点を考えているんだろう。

 カメラはそれを追いかけて、観客である生徒たちは大いに沸いた。


 歓声の中、私も遅れて辿り着く。

 おぼつかない足取りの私をレンが支えてくれた。


「レン、ごめん……抜かされちゃった」


 私の言葉に、レンは首を横に振った。


「そんなこと、気にしなくていい」

「だって、私のせいで……」

「日野原がずっと頑張って来たの、俺は知ってるから」


 そう言って優しく微笑む。

 暗雲が立ち込めていた心の中が、にわかに晴れ渡っていく。


 レンが、すっと私の背後を指差した。


「もちろん、あいつらだってわかってるぞ」


 振り返ると、必死に声を送ってくれるユウトくん、アイリ、ミユ、そしてクラスのみんながいた。


「頑張れ、ユイちゃんー!!!」

「ユイ、大丈夫!? ゴールはあと少しよ!」

「ユイぴょん、ユイぴょーん、うわ——ん!!」


 応援してくれる声、心配してくれる声。

 ミユなんか泣き出しちゃって。

 そこに私を責める声は、一つもなかった。


「みんな……ありがとう」


 胸の中に熱いものが広がっていく。


「今の日野原って……」


 レンが何かを言いかけて。


「……あ。やっぱ、いい」


 そう口をつぐむ。

 そんな彼に私は首をかしげた。


「なに? なにを言おうとしたの?」

「いや……別に。なんでもねーよ」

「言ってよ! 気になるじゃん!」

「えー……」

「言って!」


 私の強い口調に押し切られたのか、レンはポリポリと頬をかいた。


「……今の日野原は、最高に格好いいなって」


 予想外のその言葉。

 最初は理解できなくて、きょとんとしてしまったけれど。

 次第に可笑おかしさが込み上げてきて。


「何それ、バカじゃないの?」


 思わず私は笑ってしまった。


「だ、だから、言いたくなかったんだよ!」


 スネたような口調のレン。

 だけど、その顔にも笑みが浮かんできて。

 レース中だというのに二人で笑い合ってしまった。


 ありがとう、レン。

 ありがとう、みんな。

 心の中の暗闇はもう、どこにもなかった。


「日野原……」


 ひとしきり笑ったところで、レンが真面目な顔を作る。


「本当なら、今すぐ医務室に連れて行きたいんだけど……悪い。まだ、俺に付き合ってもらえるか?」


 その目は真剣だ。

 私は首を縦に振る。


「うん、もちろん!」

「ありがとう、日野原」

「ううん。私も諦めたくないから。でも、何か手があるの?」

「今の俺たちのリレーの順位は4位。……これなら、何とかなるかもしれないぞ!」

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