入場ゲートを通って選手たちが整列する。
その中には、もちろん私たちの姿もあった。
それを映像制作部の生徒たちがカメラで撮影し、グラウンドに設置された大型モニターに映し出す。
「こういうの、照れくさいけど……気合は入るな」
モニターに移った自分の姿を見て笑うレン。
私も同意してうなずく。
『選手の皆さーん!』
体育祭実行委員長の声が、スピーカーから響いてくる。
『まずはアピールタイムです! カメラに向かって決めポーズをお願いします!』
その言葉を受け、レンがそっとささやく。
「なぁ。紅薔薇姫って、笑い方を忘れた悲しい姫だよな?」
「うん、そうだよ。姫は——」
——姫は、自らが奪う命に微笑みを贈る。
その一方で、人知れず涙を流していた。
だけど、数多くの命が消えていくうちに、いつしかその涙も枯れ果てて。
残されたのは、笑い方を忘れた哀れな姿だった。
どんなに笑って見せても、その瞳に光はなくて。
どこまでも深い闇が、その笑みを塗り潰す。
「……だけど、そんな
そう。
処刑される者は誰一人逃げようとはせず。
涙を流すその顔は、むしろ喜びすら感じられた。
「わかった」
レンは短く答えると瞳を閉じる。
二、三度と深呼吸をして……。
そして、ゆっくりと目を開く。
その顔が静かに微笑む。
瞬間——。
背中をゾクッとした冷たい何かが走り抜けた。
——私の前に、紅薔薇姫がいた。
口は笑顔の形を成し、目も優しく細くなる。
だけど、そこに温かみはなくて。
深い闇に堕ちていることを感じさせる笑み。
まるで、鋭利な刃物を喉元に押し付けられたような不安と恐怖を覚えて……。
なのに、その
それが美しいとさえ思ってしまった。
あの世界の人たちが、涙を流して喜んだ気持ちが分かった気がした。
呼吸するのも
それは、他の生徒たちも同じだったみたいで。
モニターに映し出されたレンの笑顔の前に、グラウンドは沈黙に包まれた。
そして……。
それは次の瞬間、割れんばかりの大歓声へと変わる。
すごい……。
見事なまでの紅薔薇姫は、一瞬で生徒たちの心を奪っていく。
私にはできないことを、さらりとやってのける。
たくさんの拍手と歓声の中で、レンの瞳に光が戻った。
「へへっ。実は夕べ、鏡の前で練習してたんだ」
そう照れくさそうに笑うレン。
全力でやり切ったその笑顔は、なんだかとても眩しくて。
……平凡な自分なんかが、隣に並んでいていいのかな。
なんて、自責の念が絡みついてくる。
胸がギュッと締め付けられ、呼吸が苦しくなる感覚を覚えた。
——って!
ダメだ、私!
弱気になっちゃダメっ!
そんな後ろ向きな気持ちじゃ、レンをジュリに奪われちゃう。
そんなのは絶対に嫌だから!
「……なぁ、日野原」
そのとき、レンが小声でささやいてきた。
「俺だけじゃなくて。日野原も騎士のポーズしろって」
「え? ……あ、う、うん!」
その言葉で我に返る。
「えーと……ポーズ、ポーズ……」
レンの紅薔薇姫に見合うポーズは……。
あれこれと思考を巡らすけれど、考えがまとまらない。
あぁーっ、どんなポーズをしたらいいのーっ!?
悶える私に、レンが再び口を開く。
「とりあえず、剣を構えてみたら?」
「わ、わかった!」
私は慌てて腰から剣を引き抜く。
そして、その剣を肩口に構えながら足を一歩踏み出した。
「こ、こうかな?」
「うーん……もっと腰を落とした方が、それっぽいんじゃね?」
「わかった!」
レンの言葉に素直に従って腰を落とした——その瞬間!
——ズキン!
忘れていた痛みが左足首を襲う。
「っく……!」
「どうした?」
「あ……ううん、何でもない!」
平静を装って笑顔を見せる。
今のは左足に重心を乗せすぎただけ。
レンの紅薔薇姫の隣に並ぶのなら、こんなことで泣き言は言ってられない!
大丈夫、私はやれるっ!
決意に奥歯を噛み締めた、そのとき。
不意に、レンが私の腕を掴んだ。
「本当に大丈夫か? 顔色、ちょっと悪く見えるぞ」
くっ、よく見てる……。
「心配しないで。何でもないから」
「それならいいけど……無理だけはするなよ?」
そんな優しい言葉……。
今の私にはいらないんだってば!
「じゃあさ……」
私は、チラリと横目でレンを見た。
「頑張れって言って」
私の中には、弱気な自分、後ろ向きな自分、泣き虫な自分、色々な自分がいて。
そんな自分を乗り越えるために、背中を押してもらいたかった。
そうすればきっと強くなれるから。
レンは照れくさそうに頬をかく。
「……頑張れって言えばいいのか?」
「うん、お願い!」
レンにそう言ってもらえたら、足首の痛みにだって負けない気がするから。
「日野原……」
私を見つめるレン。
その口が静かに動く。
「……やっぱ、言わねぇ」
「な、なんで!?」
「だって……」
レンは私を見つめた。
「俺は、日野原が心配だから」
真っ直ぐな瞳のレン。
私の胸は、思わず大きく脈打つ。
顔が熱くなって、咄嗟に下を向く。
きっと、今の私は真っ赤な顔をしているだろう。
くぅ……。
レンの言葉は私の決心を揺らがせる……。
「日野原、大丈夫か?」
なーっ!?
レンが私の顔を
やめて、今の顔を見ないで——っ!!!
「こ、このっ! このっ!」
私は、咄嗟に剣でレンを突っついた。
「いてっ! いてっ! 何すんだ!」
『おーっと、白騎士が姫を攻撃しているぞー!』
実行委員長の実況に、生徒たちから笑いが巻き起こった。
「やるねぇ、
「月島くんでしょ。でも、その言葉には同意するわ」
ショウ先輩とナツミさんの声が聞こえる。
「ナッちゃん、俺たちも最高のパフォーマンスを見せてやろう!」
その言葉を受け、カメラは一斉に先輩たちに向いた。
私は剣を下ろすと、ふうっと息を吐く。
そして、レンに向き直る。
「……レン、ありがとう。本当は……足首を傷めてる」
「やっぱそうか。いつから?」
「さっき、土屋さんとぶつかったとき」
「あのときか……」
短いため息をつくレン。
「棄権……するか?」
「それは絶対に嫌!」
「だけど……」
「ううん、私が走りたい!」
私は胸に手を当てた。
「クラスのみんなが勝利のために一つになったこと。私のせいでなかったことにしたくないっ!」
なにより、レンのパートナーでいたいから!
「痛み止めも飲んでるし、大丈夫! 走れるっ!!」
真っ直ぐにレンを見つめる。
レンも私を見つめてる。
ややあって……。
「ったく。日野原は、昔から言い出したら聞かねぇからなぁ……」
そう言って困ったように笑った。
「それなら、俺が最初の100メートルをぶっちぎってやる。そうすれば、その後の日野原は楽に走れるだろ?」
「レン……!」
「ただし、ちょっとでも無理だと思ったら、すぐに棄権すること。これが条件な!」
「わかった!」
私は深くうなずく。
そのとき、実行委員長のアナウンスが響いた。
『はい、アピールタイムは終わりです! 選手の皆さんは、スタートラインに移動してください!』
私たちは見つめ合う。
そこにもう迷いはない。
「よし、行くか!」
「うんっ!」
私たちは、それぞれのスタートラインに向かって歩き出した。