それから程なくして、係員が出欠を取り始める。
出欠と言っても体育祭は全学年参加なので、念の為という感じなのだろうけれど。
「……次、3年1組!」
——なのに、あれ?
返事がない組がある。
「3年1組、不思議の国のペアはまだ来てないの?」
係員が困った表情を見せる。
3年生ってことは、私たちの1つ上の学年。
何かあったのだろうか?
他のクラスの人たちが、にわかにざわつき出す。
そのとき——。
「すみません! 3年1組、遅くなりました!」
響く女性の声。
走ってくる二人組。
頭に大きなリボンをつけた青いドレスの女の人が、その声の持ち主だろう。
その後ろには大きな猫の着ぐるみを着た人がいる。
その体はピンクとスミレ色の
もふもふしたその感じは、とても触り心地が良さそうだった。
「もう始まるから、急いで列に並んで」
「はい、すみません!」
係員の言葉に、謝りながら列に並ぶ二人。
整列位置は私たちの前だ。
「なんとか間に合って良かったね」
猫の着ぐるみが、青いドレスの女の人に笑いかける。
あれ……?
この声ってどこかで聞いたような……。
首を傾げる私。
そのとき、猫の着ぐるみが振り返った。
思わず、驚きのあまり息をのむ。
「しょ……ショウ先輩!?」
「あれ、ユイちゃん?」
そう!
猫の着ぐるみの人は、あのショウ先輩だったの!
「ユイちゃん、白騎士の格好かな? よく似合ってるね」
「あ、ありがとうございます……」
久しぶりのショウ先輩との会話。
どんな顔して話せば良いのかわからなくて、ちょっとドギマギする。
そんな私の態度に、隣のレンは不機嫌そう。
先輩に対して、あからさまに嫌な表情を見せていた。
「……なんで先輩がいるんスか」
「おや、誰かと思えば、
「月島です! 絶対にワザと言ってますよね?」
「さーて、どうかな? それにしても、紅薔薇姫の格好、よく似合ってるね。ついにそっちに目覚めたかな?」
「コスプレの話は、もうさんざんイジられたからいいんですよ」
レンはため息をつくと、ショウ先輩を睨む。
「このリレーは学級委員長と副委員長しか出られないんですよ? 先輩、そのどちらでもないですよね」
「そうだね」
「じゃあ、なんで!」
詰め寄りそうな勢いのレンに、先輩は軽く答える。
「選手が、やむを得ない理由で出られない場合は、特例として代役を立てることができる」
「やむを得ない理由?」
「うちのクラスの副委員長が、一週間前に骨折しちゃってね。その代役として俺が選ばれたってワケ」
「くっ、そんなルールが……」
歯噛みするレン。
ショウ先輩はため息をつく。
「俺も出たくはなかったんだけどね。この前の校外学習で、クラスのみんなには迷惑をかけたからね」
校外学習……。
まだ記憶に新しい。
ボートに乗っているところを先輩の取り巻きにオールを奪われ、池の真ん中に流された。
絶望に涙が溢れそうになっているときに、先輩が池に飛び込んで助けてくれた。
そこで、先輩に『好き』って言われたんだ。
もちろん、今の私はその想いに応えることはできないのだけれど……。
その微妙な空気感を察したのかな。
レンが、先輩の視線を遮るように私の前に立った。
その様子に、先輩は肩をすくめて笑う。
「安心してよ。今はまだユイちゃんにアプローチするつもりはないから」
「へぇ……どういう風の吹き回しですか?」
「自分の恋愛関係が綺麗になるまでは手を出さない。誓ってもいい」
「それを信じろと?」
「もちろん信じられない気持ちはわかるよ。でも俺はもう、恋に対して誠実でありたいと決めたから。その証拠に恋愛教習所にも通い始めた」
真っ直ぐな意思を感じるその声は、確かに嘘を言っているとは思えない。
それだけ、先輩の意思は強いということだろう。
問題は、私の気持ちは完全に
睨み合う二人。
ピリピリした空気が、辺りを包み込む。
と、とりあえず、ここは私がなんとかしなくちゃ!
そう思って口を開くけれど、上手い言葉が見つからない。
水槽の金魚みたいに、ただ口をパクパクと開いただけになってしまった。
ううぅ……。
そのとき、ショウ先輩のパートナーである青いドレスの先輩が口を開いた。
「ショウくん……今は体育祭の最中だということを忘れてない?」
呆れたようなその口調に、私は思わず頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!」
「あ……違う違う。私はあなたに文句を言ったわけじゃないから」
そう言って青いドレスの先輩は笑う。
「ショウくんが迷惑をかけてるんでしょ? この人、本当にバカだから」
「ちょ……それは言い過ぎじゃないかい?」
「むしろ言い足りないくらいよ!」
あのショウ先輩を軽くやり込めてる。
世の中には凄い女性もいるんだな……。
そんな驚く私の視線に気付いたのか。
「あ、私、
そう言って人懐っこい笑顔を見せてくれた。
「私、日野原 結衣です」
「月島 蓮です」
私とレンも名前を名乗って頭を下げる。
そのとき、スピーカーから音楽が流れ始めた。
コスプレ走の入場曲だ。
「ほら、始まるわよ」
ナツミさんがショウ先輩の腕を引っ張る。
「
「ほら! 始まるって言ってるでしょ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ、ナッちゃん! 俺はまだ、
「月島くんでしょ。ショウくんは、本当に男の人の名前を覚えないよね」
ショウ先輩は、ナツミさんに引きずられながら入場ゲートをくぐっていく。
先輩の言葉を黙って聞いていたレンの口が静かに動いた。
「……面白いじゃねーか」
パンッ!
と、手の平を拳で叩く。
乾いた音が辺りに響いた。
「ぜってー、先輩たちには負けらんねぇ! 行くぞ、日野原!」
「う、うん!」
レンって、意外と熱くなるタイプなんだな……。
意外な彼の一面に少しだけ驚きながら、私たちも入場ゲートをくぐった。