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第39話『今すぐKiss Me!』

「すぐ済むから」


 そう言って、私の前に立つレン。

 私の視界から、ジュリの姿が消える。


 なんだろう?

 私は、早く向こうに行かなくちゃいけないのだけれど。


「日野原、目をつぶれ」

「え?」


 今、目をつぶれって言った?

 なんで?


 ますます、頭の中に〝?〟の嵐が吹き荒れる。


 なんなの?

 人目を遮って。

 で、そのあと目をつぶれって。

 これじゃまるで、今からキスしようとしてるみたいじゃん——。


 ——って、キスっ!?


 その瞬間、心臓が大きく脈打った。


 や、や、や!

 まさか、そんな……ねぇ?


 早くなっていく鼓動。

 それを隠しつつ、平静を装って口を開く。


「なにを……する気なの?」

「んー、……いや、何でもない。ただのおまじないだよ」

「あー、そっか! おまじないかぁ!」


 ニコッと微笑む私。

 ……だけど、だけど、だけど!

 心の中のミニ私たちはお祭り騒ぎで!


『ねぇっ! 今、キス・・って言おうとした!?』

『絶対そーだよ!』

『キャー、こんなところで大胆ー!』

『きゅんきゅーん!♡』


 えーい、静かにしろ、ミニ私たちーっ!


 騒ぐミニ私を、ぐいっと端に追いやって、なんとか思考を巡らせる。


 や……違うって!

 レンに限って、そんなことするわけがない!!

 これは、何かの間違いだって!

 第一、うちらそんな関係じゃないし!

 私、まだ誰ともキスしたことないしっ!!


 思わず髪を手ぐしでとかす私を、レンは真正面から見つめてきた。


「早く目をつぶれよ。すぐ済ませるから」


 ま、間違いじゃない——っ!!!

 レンは、私にキスしようとしてる!?

 で、で、でも、なんで?

 この勝負、私に勝ってほしいっていうのは、やっぱりそういうことなの!?


「でも私……こういうの初めてだから」

「だろうな。見てりゃわかる」


 な……!

 私のファーストキスと知ってそんなことを!


 心臓は今や痛いくらいに脈打っている。

 このまま続いたら、爆発しちゃうんじゃないかってくらい!


 っていうか!

 無免許でキスってしていいんだっけ!?

 付き合うとかはダメだけど、肉体的接触はオッケーなんだっけ!?

 教えて、アイリさーん!!


 心の中でアイリに助けを求めるけれど。


『ユイは、流されやすいから心配なのよ』


 そう言われたことを思い出して、思わず「うっ」と息が詰まった。 


「どうした? 早くしろって」

「う……わかった」


 ここまで言われたら下がるわけにはいかない。

 初めてのキスは、もっとムードを大切にしたかったけれど。

 でも、私だって覚悟を決めるっ!


 私は瞳を閉じると、軽くあごを突き出した。

 レンの身長を考慮したこの角度。

 あとで「日野原ってキスが下手なのな」とか言われるのは嫌だから!


 レンの手が、私のあごにかかる。

 冷たい温もりに、体が思わずビクッとなった。


 そして——。


 ——ぐいっ!


 と、私の顔は下を向かされた。


 ……え?

 なにこれ?

 どういうこと?


 そのとき、レンの声が聞こえた。


「いや……あごは上げるんじゃなくて、むしろ引けよ」


 その声は、なぜか照れた感じだった。


 えっ、引く?

 それじゃ、キスしづらいんじゃないの?


 そう思いながらも、その言葉に素直に従う。


「オッケー。それで、全身に力を込めながら10秒くらい息を吸ってみて」

「え、なんで?」


 意外すぎるレンの言葉。


「いいから、やってみて」

「う、うん……」


 言われた通り、力を込めながら息を吸う。

 すぅぅぅ……。

 レンのカウントが聞こえる。


「……8、9、10。じゃ、次は全身の力を抜きながら15秒くらい息を吐いてみて」


 こうかな……?

 はぁぁぁ……。

 たぶん、指示通りにできてると思うけれど。


「……13、14、15。よし、もういいぞ」


 その言葉で私は目を開いた。

 視界にいつもの風景と、レンの顔が飛び込んできて、ちょっとだけ恥ずかしくなる。


「ね……ねぇ、これなに?」

「だから、ちょっとしたおまじないだよ」


 そう言って笑うレン。

 何がなんだかさっぱりわからない。


「スタートラインに立つときもやれよ」

「えー?」

「えーじゃねーの! やるの!」

「う、うん、わかった」


 見送られながら私は走り出す。

 とりあえず、キスじゃなかったみたいだけど……。

 がっかりしたような、ほっとしたような、よくわからない感情が心で渦巻く。


 スタート位置には、待ちくたびれた様子のジュリがいた。

 待ってる間、制服のスカートの裾をパタパタさせて暇を潰すくらいしかやることなかったみたいで。

 到着した私を鋭い目つきでにらんできた。


「もー、遅いしっ!」

「ご、ごめん!」

「いーから、早くスタート位置に立ちなよ!」

「あ、もうちょっとだけ待って」

「はー!?」


 ジュリのキツい視線を浴びながら、さっきレンに言われた〝おまじない〟を思い出す。


 えーと、まずは全身に力を込めながら息を吸う……。


「すぅぅぅぅ……」


 続いて、力を抜きながら息を吐く……。


「はぁぁぁぁ……」

「顔芸してんの? そんなんで、あーしを笑わせようとしてもムダだし!」


 ジュリが隣でうるさい。

 でも、正直なところ、私も何をしているのかよくわからない。

 だけど、この状況でレンが意味のないことを言うとは思えない。

 だったら、私はレンを信じるのみだ!


 スタート位置に立って前を見る。

 視線の先にレンがいる。

 その顔が、少しだけ笑った気がした。


「用意……スタート!」


 レンの手が振り下ろされる。

 その瞬間、私は大地を蹴った。

 さっきと同じように一生懸命、足を動かす。

 その行動に、何一つ変わることはない。


 ……なのに、さっきと違うことが一つだけある。


 体が……軽い!!


 なぜかはわからないけれど、体はまるで羽みたいに軽くて。

 地面を蹴るたびに私の体は加速していく。


「くっ……そ……!」


 背中の方で悔しそうな声が響く。

 そこで気が付いた。

 ジュリの声は、私の後ろから聞こえるということに!


 私……ジュリの前を走ってる!?


 そして——。

 そのまま一度も抜かされることなく、私はゴールを駆け抜けたのだった。


 はぁっ、はぁっ、と肩で息をする私のところに、レンが走ってくる。

 その顔は、満面の笑みだ。


「日野原! タイム、9.41秒だぞ!」

「えっ、ホント!?」

「ほらっ、これ見ろよ!」


 レンがスマホの画面を見せてくれる。

 アプリのストップウォッチには、確かに9.41と表示されていた。


「きゃー! 私、すごいっ!」

「ああ! 日野原、すげーよ!」


 私とレンは手を取り合って喜んだ。

 走ることが楽しいって思ったのは、生まれて初めて!

 息はまだ切れてるし、汗だって吹き出しているけれど。

 かつてない達成感と、両手に伝わる温もりが私の気持ちをたかぶらせる。


「そこっ、イチャイチャすんなし!!」


 ジュリの怒鳴り声で、私たちはハッと我に返った。

 手を離して、お互い明後日の方向を見ながら頬をかく。

 感情のまま手を握ってしまったことが、ちょっとだけ照れくさくなった。


「ふざけんなし! 今のは何かの間違い! もう一回やらせろし!」


 ジュリが私を指差して叫ぶ。

 その鼻息はとても荒い。

 でも……。

 悪いけれど、今の私は負ける気がしないよっ!


「いいよ、やろっか!」


 そのあと、ジュリのお願いを聞いて5本くらい走ったけれど。

 私は、ジュリに抜かされることは一度もなかった。


 それどころか、


「日野原、8.99秒!」


 ついに9秒の壁を破って8秒台に!

 もちろん、平均タイムは8.89秒だから普通よりちょっと遅いのだけれど。

 でも、昨日と比べたら格段に早くなっていて。

 それが、素直に嬉しかった。


「ふっざけんなし! そーいや、あーし制服じゃん! 靴だってローファーだし! こんなんハンデもいいとこじゃん!」


 わめくジュリに、私は息を吐いた。


「……だって、自分から勝負を仕掛けてきたんじゃん」

「うるさいうるさーい! こんなの、やっぱなしだし! あーし、帰る!」


 わめくだけわめき、きびすを返して去っていくジュリ。

 そのプリプリした背中に、再びため息が漏れた。


 自分で〝やっぱなし〟は、なし! と言っていたのに……。


「……でも、私。なんで急に早くなったんだろ?」


 走り方だって変えたわけじゃない。

 なのに、走ってるときの体の軽さは全然違う。

 どんどん加速して、どこまでも行けそうな感覚だった。

 うーん?


 首をかしげる私に、レンは言う。


「日野原は、使命感とプレッシャーで体に力が入り過ぎてたんだよ」

「ほぇ?」


 予想外の言葉に、自分でも間抜けな声が出た。


「体って無駄に力が入ってると上手く動かないから。かと言って、力を抜けって言ってもどうしたらいいか、よくわからないだろ?」


 私はうなずく。


「たから、具体的にどうするって言ったわけ。まぁ、こんなに見事にハマるとは思わなかったけどな」

「じゃあ……さっき言いかけた『き……』っていうのは」

「うん。『緊張すんな、力を抜け』って言おうと思った」


 くっ……!


「……目をつぶらせたのは?」

「土屋とか、周りの景色が見えてるとリラックスできないだろ?」


 こ、この男は……!


「よーくわかった! レンが天然だってこと!」

「は? 天然って言うなら日野原もだろ? あんな顔して、唇を突き出して」

「く、唇を突き出してなんかいないーっ!」

「えー?」


 拳を振り上げた私から、レンは笑いながら逃げていく。


「ちょ! こら、待てーっ!」

「あははー、待たねーよ!」


 いつしか私の顔も笑みが浮かんで。

 二人の笑い声が梅雨の晴れ間に響き渡っていった。


 レン、ありがとう!

 私、250メートルリレー、頑張るからね!



 ……その後。

 グラウンドで部活をやってる人から「うるさいっ!」って注意されたのは、また別のお話。

 ごめんなさいっ!

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