「ちなみに、あーしのベストは9.5秒だからね」
そう言ってニヤリと笑うジュリ。
夕べ、ネットで調べてみたけれど、高2女子の平均タイムは8.89秒。
ということは、確かにジュリの足は早くない。
でも、それでも私より1秒近く早い!
「あのさ。二人で盛り上がってるとこ、悪いんだけど」
呆れたようにレンが二人の間に割って入る。
「勝手に俺を勝手に賭けの対象にすんのは……」
「レンくんは黙ってるし!」
だけどジュリは、その顔の前にバッと手を突き出して言葉を遮った。
「これは、あーしと日野原さんの戦いだし! 一度、首を縦に振った以上、〝やっぱなし!〟は、なしだからね!」
くぅ……。
ここまで言われてしまうと〝やっぱなし!〟とは言いづらい。
私はジュリをにらんだ。
「……土屋さんは、なんでそんなにレンに執着するの?」
「好きだからに決まってんじゃん」
それは、あまりにも軽く。
あまりにも自然に言われて、私の方がドキッとしてしまう。
だけど、なんとか平静を装って言い返す。
「す……好きって、レンとはまだ会ったばかりでしょ!」
「恋に時間なんて関係なくね?」
「そ、そんなの恋愛法のスピード違反だからっ! 第一、レンのどこを好きになったの!? 言っとくけど、レンは冷たいよ! 意地悪だし、嫌味だって言うし! 天然だし、鈍感だし!」
「……おい、日野原」
私の言葉にレンが反応する。
少しショックを受けてるみたいなその顔。
でも、安心して!
私はちゃんと良いとこだって知っている!
レンは冷たいし、意地悪だし、嫌味だって言うけれど、結局最後は優しいんだ!
私は強く拳を握った。
レンと重ねてきた日々は、私の胸に刻まれている。
それがジュリにはあるっていうの!?
私の質問に、ジュリは軽く答える。
「好きなとこはー、カッコイイとこ!」
「……は?」
それ以外の言葉が見つからない返しに、握った拳はがわなわなと震え出す。
「ふざけないでよっ!」
「別に、ふざけてなんかいないけど?」
「だって、好きなとこはカッコイイとこって、そんな単純な答えで!」
「じゃあ聞くけど、カッコイイ人がキライなヤツなんているの?」
「え……!?」
ジュリの予想もしなかった返しに、思わず口ごもる。
「そ、そう言われると、いないかもしれないけど……」
「じゃあ、いいじゃん!」
「でも! 人を好きになるって、それだけじゃないっていうか……」
「はー? 逆に、こっちが〝は?〟だしー。価値観を人に押し付けないでほしーんですけどー」
「で、でも……」
「アンタだって、カッコイイから好きになるって経験あるっしょ。テレビでもなんでもいいからさー」
その瞬間、頭の中にショウ先輩の姿が浮かんだ。
まだ好きにはなっていなかった、とか。
もう別れている、とか。
言い訳の言葉は浮かぶけれど。
じゃあ、あのとき告白を受けた自分と、今のジュリと何が違うのかと聞かれると。
その答えは明確に出せなくて。
私は、ただ黙り込むしかなかった。
「そんじゃ、あーしはスタート地点に行ってるから」
勝ち誇ったようにそう言い残し、ジュリは歩き出す。
その背中は自信に満ちている。
私は……戦う前に負けている……。
思わず、うつむいた瞬間——。
——コツン!
「いたっ!?」
不意に、後頭部に軽い痛みを感じて振り返る。
そこには、レンが立っていた。
どうやら、彼に叩かれたみたい。
「バーカ」
「な……っ!?」
「言い負かされてんじゃねーよ」
「だって、だって……!」
思わず涙目になりそうな私に、レンはふうっとため息をつく。
「仮に日野原が負けたとして、俺が土屋と付き合うと思ってんの?」
「それは……思ってないけど」
「だろ? それに俺、恋免持ってねーの知ってるだろ?」
……あ。
そっか、そうだよね!
付き合うって、片方の気持ちだけじゃないもんね!
お互いに思わないと成立しないわけだし!
それに、無免許で付き合ったら法律違反だもんね!
レンの言葉で心が軽くなった気がする。
レンはいつも、私が困ったときに助けてくれる。
こーゆーとこ、ホントさすがだなぁって思う。
「まぁ……俺としては、日野原に勝ってもらいたいけどな」
「あはは、期待に応えられるよう頑張るよ!」
と、Ꮩサインを返す私。
……って、えっ!?
それって、どういう意味!?
胸の鼓動が早くなる。
私はそれを震える手で押さえ付けた。
それでも、胸の高鳴りは止まることを知らない。
「……な、なんでレンは、私に勝ってほしいの?」
「ん? そりゃ……」
レンが私に向き直った。
その瞳はいつになく真剣で、思わずゴクリとツバを飲む。
その口が言葉を続ける。
「体育祭で勝つため?」
ガーン!
期待していたものとは全く違う答え!
「……足が遅いっていう土屋に負けてたら、体育祭で1位になるとか無理だろ?」
そう言って、レンは笑う。
く……。
まぁ、レンっちゃレンらしいとは思うけれど!
私のドキドキを返せ、ばかっ!
「それにさ……嘘でも、好きじゃない人とは付き合いたくないじゃん」
「うん。まぁ、それは確かにそーだけど」
……ん?
今、嘘でも好きじゃない人とは付き合いたくないって言った?
じゃあ、私に勝ってほしいっていうのは……!?
「え……と、レン……?」
「ちょっとー、何してるしー! あーし、ずっとこっちで待ってるんですけどー!」
叫ぶジュリの声にハッとする。
そ、そうだ!
私も行かなくちゃ!
今は余計なことを考えない!
この勝負に勝つことだけを!!
不意に高まる緊張に、私は拳を握った。
「私、行くね!」
そう言って、レンに背を向ける。
踏み出す足がなぜか重い。
でも、負けるわけにはいかないからっ!
私は前を見ると、全身に力を込めた。
「日野原、ちょっと……」
そのとき、レンが私を呼び止める。
「なに? 私、向こうに行かないといけないんだけど」
「すぐ済むから」
そう言って、レンは視界を遮るように私とジュリの間に入った。