そのあと、レンがお手本として走ってくれた。
前に遅刻しそうになったときにもレンの走りを見たけれど、素人の私が見てもわかるくらいにフォームが綺麗で。
風になるというのは、こういうことを言うんだなと素直に思った。
「タイム、いくつだった?」
「え……? あ……う、うん!」
見とれていた私は、慌ててスマホを見る。
「えっと……6秒18……って、めっちゃ早くない!?」
「そうか? まぁ、こんなもんだろ」
息も乱さずサラッと言っちゃうところが、本当に足が早い人ならではだ。
くうぅ!
そんなセリフ、言ってみたいぞ!
そう思って、そのあと何本か走ってみたけれど……。
あまりタイムは改善されずに、今日は終了となった。
更衣室に入った私は、ジャージを脱いで制服にで着替える。
だけど、ボタンを止める指は重い。
「私、レンに迷惑かけてるよね……」
そう、つぶやくけれど。
私以外誰もいない更衣室で、答えてくれる人はいなかった。
更衣室を出ると、体育館の入り口のところでレンが待っていてくれた。
「んじゃ、帰るかー」
こんな私に対しても、いつもと同じように接してくれるレン。
それがとても嬉しくて。
瞳の奥から涙が零れそうになる。
でも、それをグッとこらえてレンを見た。
「ん?」
微笑む彼を前に、胸の奥がチクリと痛む。
「……ごめんね、レン。これじゃ、クラス1位を取るなんてできないよね」
期待してくれているクラスのみんなに。
そして、付き合ってくれているレンに申し訳なくて。
私は、その顔を見ることができずにうつむいた。
「……ていっ」
「あいた!?」
コツン。
と、不意に額を何かが突っつく。
思わず顔を上げると、それはレンの指だった。
「バーカ」
「なっ……人が本気で落ち込んでるのに」
「んなの、気にしなくていいって」
「そ、そんなこと言われても、私が……」
だけど、それ以上何も言えなかった。
レンが真剣な表情で私を見つめていたから。
「大丈夫、俺が必ず今より早くしてみせるから」
「でも、私……」
「俺の言葉が信じられない?」
「そ、そういうわけじゃないけど……」
「なら、明日からまた頑張ろうぜ!」
レンはそう言って笑う。
もう……。
そんな顔されたら、黙ってうなずくことしかできないじゃん……。
レンは何で私に優しくしてくれるの?
郊外学習のとき、何でショウ先輩に掴みかかったの?
そのあと抱き締めたのは、なぜ?
レンが私を見つめてる。
聞くなら……きっと今だ!
「ねぇ、レン……」
「ねー、ちょっといいー?」
勇気を振り絞った私を
振り返ると、そこには制服を派手に着崩した少女が立っていた。
前髪なしのミディアムヘアは、シンプルなストレートアレンジ。
顔周りにはハイレイヤーを入れて、軽さと動きを出していて、まさにギャルといった感じ。
極めつけは、その髪色だ。
それは、驚くくらいに金髪だった!
うちの高校って、あまり髪色にはうるさくないけれど。
でも、ここまで突き抜けた金の髪は見たことがない。
「あーし、2年4組の
ジュリと名乗った少女は、どーんと私を押しのける。
ちょっ、このっ!
たたらを踏んだ私はジュリをにらむけれど、彼女はそんなの気にした素振りもない。
笑顔を浮かべてレンの手を握った。
「さっきからずっと見てたけど、キミ、マジで足早くね? 名前教えてよ!」
「え……二組の月島 蓮だけど」
その勢いに圧倒された素振りを見せつつも、レンはさり気なく手を外しながら答える。
「レンくんかー! 走ってる姿とか、ちょーキラキラしててさ! なんか、めっちゃカッコよく見えたんだよね!」
「そりゃどーも……」
「あー、あーし、ガチで
「いや……別にいいけど」
「ねぇ、ところでさ」
ジュリは私とレンを交互に見た。
「二人って付き合ってんの?」
「ううん!」
「いや!」
二人同時に口を開く。
それは否定の言葉だったけれど、同じタイミングだったことに少しだけ嬉しさもあって。
二人で顔を見合わせ苦笑い。
だけどジュリは、そんな二人の空気感を気にすることもなく。
「ふぅん……ま、あーしには関係ないけどー」
両手を頭の後ろに組んで軽く言う。
「あ、ジュリ! こんなところに、いた!」
「うちらもう帰んよー!」
不意に遠くから響く声。
友達かな?
傘をさした二人の子が、体育館の外から声をかけてくる。
二人とも派手な格好をしているけど、ジュリに比べると可愛いレベルだ。
「あ、待って待って! あーしも帰るし!」
そう言うと、友達の方へ走り出す。
と思ったら、途中で振り返って、
「レンくん、まったねー♪」
と手を振った。
「ジュリ、あんた今日、彼氏と約束してるんじゃなかった?」
「彼氏? もしかして、タクヤのこと? あれは彼氏じゃないしー。ただの友達だしー」
「あはは! タクヤ、知らないとこでフラレてんぞ!」
「マジそれな! ウケる!」
嵐みたいな彼女は、疲労感だけを残して去っていく。
それはレンも同じだったようで。
「何だったんだ、あれ……」
「わかんない……」
二人の口から、思わずため息が漏れた。
その後、私たちは一緒に下校した。
雨が降る中を、傘をさして歩く。
こんなときマンガだったら、どっちかが傘を忘れちゃって。
二人で、一本の傘に入るとかあるんだろうけれど……。
今日は朝から雨が降ってたし、そんなことあるわけがなくて。
二つの傘は、一定の距離を取りつつ並んで歩く。
さっきのジュリって子なら、何も気にすることなくレンの傘の中に入るのだろう。
自分が傘を持っていてもお構いなしに。
でも、私にはそれはできなくて。
奥手な気持ちが恨めしい。
そのとき、不意に横殴りの突風が吹いた。
「きゃっ!」
「うわっ!」
瞬間風速は、いくつくらいだったんだろう?
風は、私の傘をいとも
「あああっ、私の傘!!」
折れた中棒、布の部分はめくれ上がってオールバック状態。
これはきっと、修理は不可能だ。
ううぅ、ずっと使ってたお気に入りの傘だったのに。
もう最悪……。
でも、幸いなことに、ここから家まではそう遠くない。
中棒の折れた部分より上を持てばなんとか……いけるっ!
そう思って気合を入れようとしたそのとき、レンが口を開いた。
「日野原、俺の折りたたみ傘を使うか?」
「え……あー、大丈夫! この傘、頑張ればまだ使えるからっ!」
「そんなの頑張ることじゃないだろ。待ってろ。今、出すから」
そう言って、私に傘を手渡してカバンを開ける。
私はレンが濡れないようにしつつ、ついでに自分もその下に入れてもらう。
黒い折りたたみ傘が、カバンの中に入っているのが見えた。
いつもは意地悪も言うクセに、私が困ってるときは頼りになる。
ほんとズルいやつ……。
そのとき、レンが不意に顔を上げた。
接近する顔に、思わず胸がドキッとする。
でも、カバンから出てきたレンの手には何も握られていなくて。
「あれ? 折りたたみ傘は?」
「わりー、忘れたみたい」
首を傾げる私に、レンはサラッと言う。
「え、だって今、あったじゃん?」
「やっぱ、なかったんだよ。……だから、俺の傘に入って帰らないか?」
「え……」
目線を反らしつつ、そう言うレンの顔は赤く染まっていた。
しとしとと降り続く雨はうっとうしいものがあるけれど。
一本の傘で寄り添って歩く帰り道に、
たまにはいいかな……。
なんて思えた梅雨のひとときでした。