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第29話『伝えたいこと』

 私を乗せたボートは進む。


「先輩はずるい……」


 そう言ったあと、私はずっと無言でうつむいていた。

 こういうとき、何も言えなくなるのは私の悪いクセだと思う。

 先輩からも言葉はなく、ただただボートは陸を目指して進んでいた。


 それからどれくらいの時間が経ったのだろう。

 ボートはようやく陸地に辿り着いた。


「揺れるから気を付けて」


 久しぶりに交わす言葉。

 先輩に手を引いてもらいながら、なんとかボートから降りた。

 足の裏に伝わる確かな感覚。

 久しぶりの大地が懐かしい。


 思わず力が抜けて、地面の上に座り込んでしまった。

 慌てて立ち上がろうとするけれど、足が震えて上手く言うことを聞いてくれない。

 今頃になって、冷たい汗がドッと溢れてきた。


 そんな私の耳に、聞き慣れない足音が三つ響いてくる。


「先輩、何でソイツなんかを!」


 それは、この状況の元凶である三人組。

 私からオールを取り上げ、ボートを流したポニーテールとセミロング二人だった。

 ショウ先輩は濡れた前髪を無造作に掻き上げると、彼女たちを睨んだ。


「お前たちがやったのか」


 いつになく鋭い口調。

 その緊張感に、三人組の顔に焦りの色が浮かんだ。


「だ……だって、ソイツ! 調子に乗って色目使って、先輩の気持ちをもてあそんでるんですよ!?」


 叫ぶポニーテール。


「そ、そうそう! 他にもたくさん遊んでる人がいるって聞くしー……ね?」

「う、うん! 2年の中では、男好きで有名なんですよー!」


 それに続くセミロングの二人。


 な……なにそれっ!

 私、そんなことしてないっ!!


 手をキュッと握り締め、彼女たちを睨む。

 でも、三人はそんなこと気にした様子もない。


「ほら、こういうのってアレって言うんだよね?」

「えーと?」

天誅てんちゅう?」

「そうそれ! やっばー、ウチら正義の味方じゃん?」


 私の悪口を言ってるうちに調子を取り戻したのか、勝手なことを言ってギャハハと笑う三人。

 自分たちが罪から逃れるために嘘ばかり言って、挙句の果てにそれを正当化する。

 その姿に、私の中に怒りが込み上げてきて。


「ふざけないでっ!」


 そう言おうとしたけれど。

 私よりも先に、先輩の口が開いた。


「……黙りなよ」


 静かだけど、威圧感のある声。

 それまで騒いでいた三人も、一斉に静まり返る。


「彼女がそんな子じゃないこと、俺が良くわかっているから」

「で、でも、ソイツ!」

「ふうん? 俺の好きな人のこと、まだ悪く言うんだ?」

「ち、違います! ウチらはただ先輩が心配で……」


 先輩の視線の圧に負け、三人組はもうそれ以上何も言えなくなった。

 それよりも何よりも、またサラッと〝好き〟と言われてしまった……。

 思わず頬が熱くなる。


「そこをどいてくれないか」


 先輩は三人を蹴散らすようにその真ん中を歩くと、脱ぎ捨てた上着を拾った。

 彼女たちは顔を見合わせる。

 ポニーテールが恐る恐る口を開いた。


「あ……あの、先輩。私たちまた連絡、待ってますね?」


 引きつった笑顔の三人。


「連絡……ねぇ」


 先輩はため息をつくと、ゆっくりと振り返った。


「俺のスマホ、誰かのせいで水没しちゃったんだよね」


 そう言って、ズボンのポケットを叩く。


「それに、もう君たちと連絡を取るつもりはないから」

「そ、そんな先輩……!」

「それよりも。今は、謝罪の言葉でも考えておけば?」


 先輩は、親指で後ろを指し示す。

 そこには、怒りの形相でこちらに向かって走ってくる先生二人の姿があった。

 若い先生と年配の先生、たぶん彼女たちのクラスの担任と学年主任だ。

 先生たちの後ろにはアイリの姿もある。


「上手く謝れば、無期停学くらいで済むかもしれないよ?」


 膝から崩れ落ちる三人。

 顔色はみんな真っ青だった。


「ほら、お前ら立て! 話は向こうで聞かせてもらう!」


 若い先生に引きずられるようにして、彼女たちはふらふらと歩きだす。

 その横をすり抜けて、アイリが駆け寄ってきた。


「ユイ!! 大丈夫!?」

「アイリ……」


 座り込んでいた私を、アイリが支えるようにして立ち上がらせてくれた。


「ありがとう……。アイリが、先生を呼んできてくれたの?」

「うん。ベンチで本を読んでいたら、ユイが絡まれているのが見えて。それで先生を呼びに行ったのだけれど、まさかこんなことになるなんて……」


 瞳に涙を浮かべたアイリが、私を強く抱き締める。


「ごめんね、ユイ! 私、ボートを流されるなんて思ってなくて! こんなことになるなら、先生を呼びに行く前に三人を止めればよかった!」


 親友の肩が小刻みに震えている。


 でも……。

 もし、アイリが助けに来ていたら、三人は彼女もターゲットにしたかもしれない。

 それは絶対にイヤだった。

 あんな目に合うのは、自分一人だけでいい。


 私はアイリを抱き締め返した。


「ううん、ありがとう……」


 いつの間にか、足の震えはおさまっていた。


 年配の先生が私たちのところに来る。

 その手にはタオルを持っていた。


「こりゃ、不知火しらぬい! またお前か!」

「ははっ、いつもご迷惑をおかけしてます」

「ったく……。だが、まあ、今回の経緯いきさつはだいたい想像はつくがな」


 そう言って、先輩の頭にタオルをかけた。


「じゃあ、今回の件はおとがめなし?」

「そんなわけ、ないだろう」


 先生は、ふかーいため息をつく。


「医務室に別の先生がいるから、まずはそこでジャージに着替えてこい。話は、そのあとでゆっくりと聞かせてもらうからな」

「へーい」


 タオルで濡れた頭を拭きながら、軽く答えるショウ先輩。

 やれやれといった感じでもう一度息を吐くと、先生は私に向き直った。


「日野原は、怪我とかはないか?」

「あ……は、はいっ! 私は先輩のおかげで」

「それなら良かった。すまんが、日野原と水本にも話を聞かせてもらいたいから、バスまで来てもらえるかな?」

「はい……」

「ユイ、歩ける?」

「うん、ありがと」


 私たちが先生の後に続いて歩き出した。

 ——そのとき。


「日野原っ!!」


 背後から響く声に、私はハッとして振り返った。

 そこには、レンの姿があった。

 必死に走ってきてくれたんだろう。

 私の前に立っても、その荒い息遣いは収まらない。


「はぁっ……はぁっ……日野原……」

「……っ」


 レンに伝えたいことが、たくさんある。


 悪意ある言葉に必死に耐えたこと。

 ボートを流されて怖かったこと。

 先輩が助けに来てくれたこと。

 ……また、告白されたこと。


 そして……。

 理由はわからないけれど、私を見つめるレンの瞳に、悲しみと怯えの色が見える気がすること。


 今、私が何かを言ったら、レンを困らせるんじゃないか。

 こういうときこそ、明るく振舞わなくちゃいけないんじゃないかとか。

 それらの想いが胸の中でごちゃごちゃに絡まって。

 気持ちだけが先走って言葉が出てこない。


「んじゃー、先生は先に行ってるから日野原は後から来いな。不知火と水本は、とりあえず一緒に来い」


 気を遣ってくれたのかな。

 先生はそう言い残して歩き出す。


「それじゃ、ユイちゃんまたね。アイリちゃん、行こうか」

「は、はい。ユイ、先に行ってるね」


 明るく言うショウ先輩と、一瞬だけ躊躇ちゅうちょした感のあるアイリ。

 二人は先生の後を追って、私とレンの横をすり抜けていく。

 そのとき、レンの手が伸びて先輩の襟首をつかんだ。

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