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第28話『走れ!』

 * * *


 俺こと月島 蓮は、今、売店の列に並んでいる。

 理由は、コイのエサを購入するため。

 数分前——。


「日野原、コイにエサをやりたいか?」


 俺の問いに、日野原は目を丸くした。


「う、うん。でも、レン……いいの?」

「いいよ。俺も、楽しい思い出を作りたいからさ」


 ——楽しい思い出を作りたい。

 そんなセリフが自然と出た自分に驚きつつ。

 でも、それを気取られないよう平静を装って、


「じゃ、ちょっと待ってて」


 そう言い残し、日野原をボートに残して売店へと走り出した。

 目指す売店は、桟橋から少し離れた小高い丘の上にある。

 エサを買うだけなら自動販売機でもいいが、それは今いる場所のちょうど反対側の岸辺にあった。

 なので、絶対にこっちの方が早いはずだ。


 売店につくと、10人ほどの行列ができていた。

 そのほとんどが、やっぱりうちの高校の生徒。

 みんな、コイにエサをあげたいのか!?

 そんなことを思いながら最後尾に並ぶ。

 早く買って、日野原のところに戻りたい。


 そんなことを考えながら、俺は列に並んでいるのだった。


「おーい、レーン!

「レンレンー、やっほー♪」


 眼下に広がる池では、ユウトと木崎がボートから手を振っている。

 二人は、少し前からクラス公認のカップルになっていた。

 もちろん、まだ恋愛免許証は持っていないので、正確には付き合っているわけじゃない。

 でも、恋愛教習所通いも順調のようなので、取得する日もそう遠くはないだろう。


「レン、無視すんなよー!」

「レンレンー、レンレンー!」


 ……とりあえず、デカい声で名前を呼ぶのは恥ずかしいのでやめてほしい。

 このままほっとくと、ずっと呼ばれ続けそうなので、俺は周りに気付かれないよう小さく手を振り返した。


 そういえば前にユウトに、


「レンは、好きな人はいねーの?」


 なんて聞かれたこともある。

 確か、みんなでファーストフード店に行ったとき。

 日野原と水本がトイレに行ってる間だったな。


 そのときは、なんとなく笑って誤魔化したけれど。

 正直言って、愛とか恋とか……俺にはよくわからない。


 でも……。

 その瞬間、頭の中に浮かんだのは日野原の笑顔だった。

 日野原と一緒にいると自然と笑顔になれる。

 胸の奥がくすぐったくて、でもなんだか嬉しくて。

 気付いたら、彼女の姿を目で追いかけていたこともある。

 クレープを食べたときは、まだ一緒にいたいとさえ思ってしまった。


 先輩と付き合っていたと聞いたときは何故かイライラしたし。

 抱きつかれているのを見たときは、自分の感情が抑えられなかった。


 日野原は喜怒哀楽がはっきりしている。

 そのせいだろうか。

 一緒にいることが増えた今は、俺まで一喜一憂するようになった気がする。


「まったく、どこまでも人を巻き込む……」


 そうつぶやいて、俺は息を吐いた。

 でも……。

 日野原のおかげで、俺はこのクラスで孤立することなく過ごせているんだよな……。


「次のお客様、どうぞー」


 売店のおばちゃんが俺に声をかける。

 気が付けば、列は俺が先頭になっていた。


「あ……すみません。コイのエサを1つ」


 財布を取り出しお金を払うと、手のひらサイズのモナカを1つ手渡された。

 これを割ると、中にエサがぎっしり入っているらしい。


 売店のおばちゃんは、にこにこ笑顔で俺に話しかけてくる。


「お兄ちゃん、そんなにコイが好きなのかい?」

「え、コイ? いや別に……」

「あれ? 違うのかい? お兄ちゃん、並んでる間ずっとニコニコ笑顔だったからさ」

「え……!?」


 並んでいる間は、ずっと日野原のことを考えていた……。


「俺……笑ってた……?」


 ふと見た窓ガラスに自分の顔が映っている。

 その顔は、真っ赤に染まっていた……。



「また来てよ、コイ好きのお兄ちゃん」


 勘違いされたおばちゃんに手を振られながら、俺は売店を後にした。

 日野原の元を離れてから10分は経過したように思う。

 早く戻りたい。


「日野原、喜んでくれるかな」


 そう、つぶやいたとき。

 ふと、周囲の人たちがざわついていることに気が付いた。


「ねえ! あのボート、流されてない?」

「あれ、オールが片方しかないから戻れないんだよ!」

「乗ってる子、うちの生徒じゃん!」


 その言葉に、嫌な胸騒ぎを覚える。

 でも、それを頭で否定しながら池に目を向けた。

 きっと俺たちには関係ない。

 悪ふざけをした誰かだろう。

 そう信じて。


 だけど——。

 俺の手から、コイのエサが滑り落ちた。

 目に映る現実が信じられなかった!


 俺は、弾けたように走り出す。

 嫌な胸騒ぎ。

 それは、果たして正解だった。


 流されていくボート。

 そこにいるのは、間違いなく日野原だっ!!!


 何があった!?

 何故こんなことに!?


 人を避け、障害物を避けながら、池に向かって全力で走る。


 もっと早く!

 もっと早く動け、俺の足!


 とにかく、一刻も早く日野原の元に辿り着きたかった。


 ボートの上の彼女は一点を睨んだまま。

 だけど、その心の中は不安と恐怖でぐちゃぐちゃになっているに違いない。

 そう思うと、胸がグッと締め付けられて。

 その苦しみを吐き出すために、俺は口を開いた。


「日野原——っっ!!!!」


 そう叫ぼうとしたとき——。

 それよりも一瞬早く声が響いた。


「ユイちゃんっ!!!」


 声の持ち主は上着を脱ぎ捨てると、躊躇ちゅうちょすることなく池へと飛び込んだ。


 * * *

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