「日野原さん……ちょっと、いいかな?」
三人組の女の子が私に微笑んだ。
ポニーテールが一人とセミロングの髪型が二人。
ネクタイの色から同級生だということはわかる。
でも、同じクラスにはなったことがないので、名前すら知らない。
廊下で何度かすれ違ったかなー?
という程度だ。
「……なに?」
おそるおそる尋ねる私に、ポニーテールの子が指を差してきた。
でもそれは私にじゃなく、足元に向いている。
「日野原さん、それ。オールなんだけど」
「オール?」
「うん。折れそうだから、新しいものに交換してって。おじさんが言ってたよ」
「え、そうなの?」
慌てて見たオールは頑丈にも見えるけれど。
でも、ずっと水に濡れているわけだし、中が腐ってることもあるのかな。
素人目にはわからないけれど、プロであるスタッフのおじさんが言うなら間違いないんだろう。
「そうなんだ。教えてくれてありがとう!」
「ううん。でね、交換するから、そのオールを貸してだって」
「交換?」
「それ、金具で止まってるけど、持ち上げれば外れるみたい」
なるほど、そういうものなんだ……。
試しにオールを持ち上げてみる。
……っ、くくっ!
こ、これは、なかなかに重い。
でも、頑張って力を入れると、オールは固定されていたU字型の金具から外れてくれた。
とりあえず、その一本を教えてくれた子に渡す。
もう一本も外そうと手をかけると……。
「……ぷっ!」
「くすくすくす」
不意に、笑い声が聞こえてきた。
驚いて顔を上げると、三人組が今度は私を指差して笑っていた。
「なに……?」
状況が理解できず、不安だけが心の中に広がっていく。
更に一人の子が、柱に結ばれたロープに手を伸ばした。
ぷらんと垂れ下がった紐を引っ張ると、ロープはあっけなく外れた。
「ちょっと、何してるの! それを外したら、ボートが流れちゃうよっ!」
私の言葉に、もう一人の子が鋭い目つきでこちらを見た。
「流れちゃうんじゃない、流すんだよ!」
明らかに悪意の込められたその目に、背中に冷たい汗が流れていく。
「な、なんで! なんで、こんなことをするのっ!? 私、何かしたっ!?」
「何かした? だって?」
三人は、まるで汚いものを見るような目で私を睨む。
「自覚もないんだ……」
「ほんと、ふざけてるよねー」
「いいよ、教えてあげる」
オールを手にしたポニーテールの子が、一歩前に出た。
「あんたはさ、ショウ先輩に気に入られてるからって、調子に乗りすぎなんだよ!」
「調子に乗る!? 私が!?」
「学校でもそう、ここに来たときもそう。先輩に酷い態度取っちゃってさ。一体、お前は何様だってーの!」
そう言って、三人はギャハハと笑った。
私の知らないところで恨みの種は育っている。
その現実に、私は手を強く握った。
「……じゃあ、私はどうすれば良かったの? 先輩は恋愛法に違反してて、だから私は別れを決意して。恋免だって返納して……」
「それが、ムカつくんだよ!」
「先輩の気を引こうとしてるの、見え見えじゃん!」
「違う! 私はそんなつもりないっ!」
「……別にもういいよ、言い訳なんて」
一人の子が面倒くさそうにため息をつく。
「私たちは、あんたがムカついた。理由なんて、それだけで十分でしょ?」
「そんな……」
「一応言っておくけど、大きな声とか出しても無駄だから。今はみんな反対側の桟橋に行っちゃってるし、ここは死角になってる場所だからね」
私を絶望で塗りつぶそうとする言葉。
握り締めていた手から力が抜けていく。
そ、そうだ、スマホで誰かに助けを求めれば……!
でも、ポケットに手を当てた私に気が付いたのか。
ポニーテールがオールで船体を揺すった。
大きく揺れるボートに、思わず短い悲鳴が漏れた。
「変なマネしたら、ひっくり返すからね!」
体を強張らせて耐えることしかできない私に、悪意ある言葉は続く。
「月島くん、だっけ? 彼には感謝だわー。偶然とはいえ、こんな場所でボートに乗ってくれてさ」
「更に、コイのエサまで買いに行ってくれてるんだもんね。普段、クールぶってるくせにコイのエサって、ウケるー!」
「ほんと、バカすぎて笑っちゃう!」
そう言うと、三人はまた嫌味な顔で笑い出す。
その耳障りな声に、私の中で何かが切れた。
「……バカはあんたたちでしょ」
「……はぁ?」
「私のことはいくら言ってもいいよ。でも、レンのことを悪く言うのは許さないからっ!」
私は三人を睨んだ。
ふざけないでっ!
あなたたちにレンの何がわかるっ!
レンが時折見せる寂しそうな顔の理由、私だって知らない。
でも、知りたいと思ってるっ!
彼の力になりたいって願ってるっ!
レンのことを知りもしない、知る努力もしない人たちが悪く言うのは絶対に間違ってるっ!
「こいつ……このタイミングで私たちに説教?」
「ほんと、どこまでバカなの?」
「もういいよ、わからせてやろー」
そう言って、ポニーテールは手にしたオールをボートの船尾に当てた。
グググ……。
と、押されて動き出すボート。
だけど、それにはさすがの二人もギョッとする。
「え……ちょ、ちょっと待って。脅してるだけだよね?」
「本気!? そこまではやらないって、言ってたじゃん!」
「気が変わったー」
ポニーテールは、軽く言い放つ。
「ちょ、それはマズいって!」
「やりすぎだよ!」
「もう遅いよ。ボート、動き出しちゃってるもん」
彼女は、そう言って笑った。
「日野原さんさ、ちょっと遠くまで行って反省しなよ。どっちがバカかってことを…………ねっ!」
そのままオールで船尾を強く押す。
陸から勢いを与えられたボートは、静かに水の上を滑りだした。
「ばいばーい♪ ま、途中で誰かが気付いて助けてくれるでしょ。それまで船旅を楽しんで」
勢いのついたボートは陸からどんどん離れていく。
なんで……。
なんで私がこんな目に……。
そう思うと、くじけそうになる。
でも、私はギュッと拳を握りしめた。
今すぐにでも泣き出しそうな心を、自分自身で必死に
負けないでって!
こんな理不尽に、負けたりなんかしないでって!
小さくなっていく三人を私は睨む。
片方のオールだけでどこまでできるかわからないけれど、とにかく必死にあがいてやるっ!
陸では、流されていく私に気が付いた人もいるみたいで。
ざわざわとした声が、風に乗ってここまで聞こえてくる。
その中から、ひときわ大きな声が聞こえた。
「ユイちゃん!!!」
声の人は走りながら上着を脱ぎ棄てると、そのまま池に飛び込んだ。