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第26話『負けないで』

「日野原さん……ちょっと、いいかな?」


 三人組の女の子が私に微笑んだ。

 ポニーテールが一人とセミロングの髪型が二人。

 ネクタイの色から同級生だということはわかる。

 でも、同じクラスにはなったことがないので、名前すら知らない。

 廊下で何度かすれ違ったかなー?

 という程度だ。


「……なに?」


 おそるおそる尋ねる私に、ポニーテールの子が指を差してきた。

 でもそれは私にじゃなく、足元に向いている。


「日野原さん、それ。オールなんだけど」

「オール?」

「うん。折れそうだから、新しいものに交換してって。おじさんが言ってたよ」

「え、そうなの?」


 慌てて見たオールは頑丈にも見えるけれど。

 でも、ずっと水に濡れているわけだし、中が腐ってることもあるのかな。

 素人目にはわからないけれど、プロであるスタッフのおじさんが言うなら間違いないんだろう。


「そうなんだ。教えてくれてありがとう!」

「ううん。でね、交換するから、そのオールを貸してだって」

「交換?」

「それ、金具で止まってるけど、持ち上げれば外れるみたい」


 なるほど、そういうものなんだ……。


 試しにオールを持ち上げてみる。

 ……っ、くくっ!

 こ、これは、なかなかに重い。

 でも、頑張って力を入れると、オールは固定されていたU字型の金具から外れてくれた。

 とりあえず、その一本を教えてくれた子に渡す。

 もう一本も外そうと手をかけると……。


「……ぷっ!」

「くすくすくす」


 不意に、笑い声が聞こえてきた。

 驚いて顔を上げると、三人組が今度は私を指差して笑っていた。


「なに……?」


 状況が理解できず、不安だけが心の中に広がっていく。

 更に一人の子が、柱に結ばれたロープに手を伸ばした。

 ぷらんと垂れ下がった紐を引っ張ると、ロープはあっけなく外れた。


「ちょっと、何してるの! それを外したら、ボートが流れちゃうよっ!」


 私の言葉に、もう一人の子が鋭い目つきでこちらを見た。


「流れちゃうんじゃない、流すんだよ!」


 明らかに悪意の込められたその目に、背中に冷たい汗が流れていく。


「な、なんで! なんで、こんなことをするのっ!? 私、何かしたっ!?」

「何かした? だって?」


 三人は、まるで汚いものを見るような目で私を睨む。


「自覚もないんだ……」

「ほんと、ふざけてるよねー」

「いいよ、教えてあげる」


 オールを手にしたポニーテールの子が、一歩前に出た。


「あんたはさ、ショウ先輩に気に入られてるからって、調子に乗りすぎなんだよ!」

「調子に乗る!? 私が!?」

「学校でもそう、ここに来たときもそう。先輩に酷い態度取っちゃってさ。一体、お前は何様だってーの!」


 そう言って、三人はギャハハと笑った。

 私の知らないところで恨みの種は育っている。

 その現実に、私は手を強く握った。


「……じゃあ、私はどうすれば良かったの? 先輩は恋愛法に違反してて、だから私は別れを決意して。恋免だって返納して……」

「それが、ムカつくんだよ!」

「先輩の気を引こうとしてるの、見え見えじゃん!」

「違う! 私はそんなつもりないっ!」

「……別にもういいよ、言い訳なんて」


 一人の子が面倒くさそうにため息をつく。


「私たちは、あんたがムカついた。理由なんて、それだけで十分でしょ?」

「そんな……」

「一応言っておくけど、大きな声とか出しても無駄だから。今はみんな反対側の桟橋に行っちゃってるし、ここは死角になってる場所だからね」


 私を絶望で塗りつぶそうとする言葉。

 握り締めていた手から力が抜けていく。


 そ、そうだ、スマホで誰かに助けを求めれば……!


 でも、ポケットに手を当てた私に気が付いたのか。

 ポニーテールがオールで船体を揺すった。

 大きく揺れるボートに、思わず短い悲鳴が漏れた。


「変なマネしたら、ひっくり返すからね!」


 体を強張らせて耐えることしかできない私に、悪意ある言葉は続く。


「月島くん、だっけ? 彼には感謝だわー。偶然とはいえ、こんな場所でボートに乗ってくれてさ」

「更に、コイのエサまで買いに行ってくれてるんだもんね。普段、クールぶってるくせにコイのエサって、ウケるー!」

「ほんと、バカすぎて笑っちゃう!」


 そう言うと、三人はまた嫌味な顔で笑い出す。

 その耳障りな声に、私の中で何かが切れた。


「……バカはあんたたちでしょ」

「……はぁ?」

「私のことはいくら言ってもいいよ。でも、レンのことを悪く言うのは許さないからっ!」


 私は三人を睨んだ。


 ふざけないでっ!

 あなたたちにレンの何がわかるっ!

 レンが時折見せる寂しそうな顔の理由、私だって知らない。

 でも、知りたいと思ってるっ!

 彼の力になりたいって願ってるっ!

 レンのことを知りもしない、知る努力もしない人たちが悪く言うのは絶対に間違ってるっ!


「こいつ……このタイミングで私たちに説教?」

「ほんと、どこまでバカなの?」

「もういいよ、わからせてやろー」


 そう言って、ポニーテールは手にしたオールをボートの船尾に当てた。

 グググ……。

 と、押されて動き出すボート。

 だけど、それにはさすがの二人もギョッとする。


「え……ちょ、ちょっと待って。脅してるだけだよね?」

「本気!? そこまではやらないって、言ってたじゃん!」

「気が変わったー」


 ポニーテールは、軽く言い放つ。


「ちょ、それはマズいって!」

「やりすぎだよ!」

「もう遅いよ。ボート、動き出しちゃってるもん」


 彼女は、そう言って笑った。


「日野原さんさ、ちょっと遠くまで行って反省しなよ。どっちがバカかってことを…………ねっ!」


 そのままオールで船尾を強く押す。

 陸から勢いを与えられたボートは、静かに水の上を滑りだした。


「ばいばーい♪ ま、途中で誰かが気付いて助けてくれるでしょ。それまで船旅を楽しんで」


 勢いのついたボートは陸からどんどん離れていく。


 なんで……。

 なんで私がこんな目に……。

 そう思うと、くじけそうになる。


 でも、私はギュッと拳を握りしめた。

 今すぐにでも泣き出しそうな心を、自分自身で必死に鼓舞こぶする。

 負けないでって!

 こんな理不尽に、負けたりなんかしないでって!


 小さくなっていく三人を私は睨む。

 片方のオールだけでどこまでできるかわからないけれど、とにかく必死にあがいてやるっ!


 陸では、流されていく私に気が付いた人もいるみたいで。

 ざわざわとした声が、風に乗ってここまで聞こえてくる。

 その中から、ひときわ大きな声が聞こえた。


「ユイちゃん!!!」


 声の人は走りながら上着を脱ぎ棄てると、そのまま池に飛び込んだ。

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