私は今、校舎裏の一角にいる。
目の前にはあの
お昼休みに私の教室まで来たショウ先輩に、二人きりで話がしたいと連れ出されたのだ。
ここは先輩に告白された場所。
私としては、早く忘れたい場所だったりもする。
「改めて、久しぶりだね」
「あぁ……はい。そうですね」
爽やかにニコッと笑う先輩に、私はちょっと引き気味に返答。
これが数か月前だったなら、その微笑みにドキッの1つでもしたのかもしれないけれど。
先輩の本性、脇見恋愛、スピード違反、一時停止無視、無免許恋愛……。
数々の恋愛法違反をしていたことを知った今は、私の心臓は静かなもので。
ドキッの〝ド〟の音すら放たなかった。
なのに、先輩は私の気持ちに全く気付かなくて。
ずっと笑顔を浮かべたまま、
「今までごめんね。寂しい思いをさせちゃったよね」
とか言ってくる始末。
「いえ、別に。私も色々と忙しかったので」
少し嫌味を込めてそう答える。
ちょっと性格悪いって思われるかもしれないけれど、私にはこれくらい言う権利はあるでしょ。
「ユイちゃん……優しいんだね」
「……え?」
予想外の返事に戸惑う私。
「俺に気を遣わせないために、そう言ってくれてるんだね。ありがとう!」
せ、先輩ってば超ポジティブ!
昨日のパリピもそうだったけれど、自分に自信がある人って基本的にポジティブなの?
思わず、ため息をついた瞬間——。
「ユイちゃん!」
「きゃっ!?」
私は先輩に抱き締められていた。
「寂しがらせちゃった分、これからたくさん埋め合わせするから」
甘い声で、そう耳に
少し顔が離れたと思ったら、今度は唇が近づいてきた。
「ちょ……やめてくださいっ!」
先輩はきょとんとした顔で。
「あれ? おかしいな」
とか言ってる。
おかしいのは先輩の方だーっ!
「私、先輩とそういうことするつもりはありませんからっ! 今まで連絡もしてこなかったのに、いきなりなんなんですかっ!」
「あー……そっちのパターンね」
くっ、このっ!
そっちのパターンってなんだっ!
「ごめんね。停学になったあと、スマホを親に取り上げられちゃってさ。返してもらったのが昨日だったんだよ」
「あー、そういうこと」
連絡したくても出来なかったってことね。
まぁ、私にはもう関係ないけれど。
「というわけで……ユイちゃん」
先輩は、また笑顔を浮かべて両手を広げる。
なに……?
「おいで。仲直りのハグしようか?」
「しませんっ!!!」
私は思い切り叫んだ。
「先輩、勝手すぎます! 私がどんな思いだったか、わかってるんですか!」
生まれて初めて告白されて。
人生初の彼氏ができて。
舞い上がっちゃった私も悪いのかもしれないけれど。
先輩は、恋愛に関して色々を良くないウワサがあって。
でも!
それでも先輩のこと信じたいって願ったけれど。
だけど、現実を知ってしまったあとは、そこから目を背けることなんてできなくて……。
「……私だって、辛かったんです」
「ユイちゃん……」
「それに私、恋愛免許証だって返納しましたからっ! もう恋なんてするつもり、ありませんのでっ!」
私の言葉に、先輩は驚きを隠せない様子。
2、3歩、ふらふらと後ずさった。
「ユイちゃんが、そこまで思い詰めていたなんて……」
ショウ先輩は私に向き直る。
そして、頭を深く下げた。
「ごめん! 俺、ユイちゃんの気持ちに気付いてなかった!」
「別に……もういいです。もう、終わったことなので……」
「——ユイちゃん!」
先輩は跳ねるように顔をあげると、私の手を両手で握ってきた。
「俺、マジで目が覚めたよ。俺のことをそこまで想ってくれた人を、もう悲しませたくはない!!」
「嘘っ! 同じこと、他の人にも言ってるんでしょ!」
「もう言わないよ!」
いったい、私は何人目なのか。
ふぅ……と、ため息が漏れた。
先輩の手に力が入る。
「今まで、そんなこと言われたことなかった……。そこまで真剣になってくれる人なんていなかった……」
「あー、そーですか。じゃあ、次からは気を付けた方がいいですよ」
さっきよりも嫌味を込めて冷たく言う。
「ユイちゃん……」
不意に真剣な表情になる先輩。
ちょっと冷たく言い過ぎたかな?
と思ってたら——。
——ギュッ!
また強く抱き締められた。
「許してくれて、ありがとう」
「ちがーうっ!!」
両手で思い切り押しのける。
はぁ、はぁっ!
〝次からは気を付けて〟っていうのは〝今回はもういいですよ〟って意味じゃなく、〝別の人と上手くやって〟って意味で。
あー、もうっ、なんなのっ!
ポジティブおばけにも程があるでしょっ!!
「ユイちゃん、ここがどこかわかる?」
「校舎裏ですね」
「そう。そして、あのとき君に告白した場所だよ」
「……そうですね」
知ってる。
私の黒歴史は、ここから始まったんだからっ!
「俺たちの関係は、ここからまた始まるんだ」
「だ、だから! 私は、そんなつもりはありませんからっ!」
会話はどこまで行っても平行線。
でも、なんで?
なんでショウ先輩は私に執着するの?
先輩はモテるんだし、他にいい人だっているはずなのに……。
「俺は、本気なんだ!」
いつになく真剣な先輩の声。
心を見透かされたみたいで、思わずドキッとした。
や……。
こ、今回のドキッは、ときめきのドキッとは違うからっ!
と、思わず数分前の自分に言い訳をする。
——そのとき。
「先輩、もういい加減にした方がいいっすよ」
校舎裏に響く声。
私の良く知る声、レンだ。
彼は、私とショウ先輩の間に割って入る。
先輩は、涼しい顔でレンに向き直った。
「……キミは?」
「日野原と同じクラスの月島です。ずっと見てましたけど、嫌がってるじゃないっすか」
ずっと見てた!?
『見てたなら早く助けてよっ!』
という、心の中のミニ私と、
『レンに見られてたー!?』
というミニ私が、頭の中をぐるぐる走り回ってる。
「嫌がってる? ……あぁー、はははっ!」
先輩は笑いながら大袈裟に肩をすくめた。
「驚かせちゃったかな? でもね、これは男女の愛情を確かめるための行為の1つで……」
「ぜってー違うだろ」
「……言うねぇ。キミみたいなヤツ、嫌いじゃないよ」
「そりゃどーも」
睨み合う二人。
一触即発って、今まさにこの状態のことを言うんだよね。
「私のためにケンカはやめてーっ!」
って言った方がいいの!?
そんなセリフ、私には一生縁がないと思ってたのにっ!
「月山くん、だっけ?」
「……月島です」
「キミさ、彼女のなんなの?」
——っ!?
何気ない先輩の一言。
だけど……そ、それは私も気になるっ!
「俺は……」
不意に、こちらを見るレン。
重なり合う視線に、彼は一瞬目をそらして——。
でも、次の瞬間、また私と目を合わせて。
この短い時間で、色々なことを頭に浮かべたのだろうか。
その瞳には、何かの決意のようなものを感じられた。
レンは先輩に向き直る。
「俺は…………日野原の保護者です!」
それは、期待していた言葉とは遠くかけ離れていて。
そーだった、レンは天然だった……。
私は、がっくりと肩を落とした。
レンの言葉に驚いた表情の先輩は……。
次の瞬間、お腹を押さえて笑いだす。
「あははははははっ! 月森くん、キミ、面白いねー!」
「……月島です。悪いけど、女癖の悪い先輩には日野原を任せられない」
「ふぅん……それはなぜ?」
「日野原は泣き虫だから!」
「泣き虫だから? それがキミと何の関係が?」
「俺が、もう泣かせないって決めたからです!」
え……?
その言葉って……。
校舎裏に鳴り響く5時間目の予鈴。
私たちが学生であることを強制的に思い出させるその音。
「それじゃ、失礼します」
レンは短くそう言うと、先輩に背を向ける。
そして、私の手を取って歩き出した。
「行くぞ」
「え……ちょ……レン?」
レンに引っ張られるようにして歩く私。
彼の表情は私からは見えなくて。
何を考えているか、うかがい知ることはできない。
でも——。
レンは、キーホルダーの約束を覚えていてくれた?
そうじゃないかもしれない。
偶然かもしれない。
でも、そんなこと今の私にはどうでもよくて。
今のレンが、あのときと同じことを言ってくれたのが、どうしようもないほど嬉しかった。
そっけなかったり、愛想ないときもあるレンだけど。
私の手を取る彼の手は、いつも私を救ってくれる魔法の手で。
目の前に感じるその温もりに、思わず顔に笑みが浮かんだ。
私たちは、校舎に入るまでずっと手をつないでいた。