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第14話『I Wish』

 あまりに自然に。

 そして、突然に塞がれた口。

 それは温かくて、柔らかくて。

 とろけるような甘さと、切ないような甘酸っぱさを感じて。

 胸の中いっぱいに幸せが広がっていく……。


 これは——————!


「——クレープ!?」

「腹減ってんだろ?」


 ——そう。

 私の口は、レンが手にしたクレープで塞がれていた。


「ここ、ユウトが言ってた新しくできた店だよな」


 レンが、親指を立てて後ろを指し示す。

 公園の入り口には、ピンク色の可愛いキッチンカーが止まっていた。


「日野原、お腹と背中がくっつきそうって言ってたもんな」


 そう言って笑うレン。

 公園の木々の間から吹き抜けてくる風に、少し長めの髪がなびいている。

 キッチンカーから流れてくる曲は、私の好きなバンド、NOZAELノザエルのもので。

 その激しくも美しい音色をバックに微笑む彼は、なんだかいつもより爽やかに見える。


 失礼なことを言われてる気もするけど……。

 まぁ……私が言っちゃったことだし……。


 口の中いっぱいにクレープが入ってることも恥ずかしくなって、思わずレンから目をそらした。

 もぐもぐと口を動かすと……はうっ!?

 幸せな味が、更にいっぱい広がっていく!!

 それは、レンの言葉もすんなり許せちゃうくらい美味しいものだった。


 上の方はパリパリなのに、途中からもちもち食感に変わる生地。

 フワフワでとろけるように甘い、でも甘すぎない生クリーム。

 その中から現れる、爽やかな甘みと酸味を持つフレッシュなフルーツ。

 これって……。


「……イチゴ?」

「そ。日野原、イチゴ好きだったろ?」


 え……。


 私は驚いてレンを見た。

 なんでそれを?

 もしかして……あのときのことを覚えていてくれたの?


「小学校の遠足でイチゴ狩りに行ったときさ。日野原は、すげー勢いでイチゴを食べてたよな。インパクトあったから良く覚えてる」


 そーゆーことかーい!!


「俺も結構食う方だから、密かに張り合ってたんだけど……。ハムスターみたいな食べ方する日野原には、全然追いつかなくてさ!」


 笑うレン。


 こいつ……女の子にそんなこと言う!?

 ほんとデリカシーないやつっ!


 ぷうっと頬を膨らませる。

 そんな私に気が付いたのか、レンは頬をかく。


「あ……でもさ。よく食べる女の子っていいよな」

「なにそれ、フォローしてるつもり?」

「ちげーって。マジでそう思うからさ」

「え……そうなの?」

「ああ。だって、俺も遠慮しなくて良さそうじゃん?」

「あぁ~、まぁ……それはそうかもだけど」

「一緒に美味しいもの食べて、一緒に笑い合ってさ。そーゆーのって最高じゃん?」


 そう言ってレンは微笑む。

 その無邪気さに、胸の奥で何かが響いた気がした。


 それって……レンの本心?

 私が女の子だから、気を遣って言ってる?

 それとも……私だから言ってるの?


 優しい笑顔。

 その向こう側にある心の中が気になって。

 私は、彼の瞳を見つめた。

 形の良い、切れ長の目。


「……でもさ」


 それが不意にイタズラな形に変わった。


「腹が痛くなるまで食べるのは、どうかと思うけどな」


 ———っく!


 人の気も知らずに笑うレン。

 さっきまでの気持ちを返せ、ばかっ!


 私は唇を尖らせながら、目の前にあるレンの手のクレープにかじり付いた。


「わっ!? ちょ! 日野原、俺の分も残しとけよ!」


 レンは驚いた表情で私からクレープを取り上げる。

 そして、そのままパクッと一口。


「あっ……!」

「なんだよ? 別に、一口くらい食べてもいいだろ」

「じゃなくて……」

「なんだよ?」


 怪訝けげんな表情のレンを見つめたまま、私は口を開いた。


「…………間接キス」

「——なっ!?」


 一瞬の間の後……。

 その顔が、みるみる赤くなっていく。


「え、もしかして気付いてなかったの?」

「……う、うるせ」


 赤い顔を見せまいとしてなのか、そっぽを向くレン。

 私は、にぃーっと笑った。


「なになにーどうしちゃったのー? レンくんは、急に意識しちゃったのかなー?」

「あー、もう、うるせーっ!」


 そう言ったかと思ったら、向こうを向いたままクレープをばくばくばくっと一気に食べてしまった。


「あーっ、全部食べたーっ!」

「いいんだよ! もう全部なくなったから、さっきのも全部なしだ!」


 振り返ったレンは、赤い顔をしたまま必死に叫ぶ。

 そのワケのわからない理屈が面白くて。

 なんだか微笑ましくて。


「あははははっ! なにそれー、ばかじゃないの」


 私は、大きな口を開けて笑ってしまった。

 レンも次第に可笑しさが込み上げて来たみたいで。


「……ぷっ! あはははははははっ!」


 私たちは、お腹を抱えて笑い合った。

 額と額を近づけて、いつまでも笑い合っていた。



 怒ったり、心配したり、不機嫌になったり。

 レンといると、感情がとっても忙しい。


 でも——。

 楽しかったり、思いっきり笑ったり、ときどき幸せな気持ちになれたりして。

 だから、それは決して嫌なことなんかじゃなくて。

 キーホルダーを拾ってくれた小学生のときと、逢えなかった中学生のときをやり直しているみたいな気がする。


 彼と同じ歩幅で歩くとき、空白だった時間がゆっくり満たされていく。

 胸の奥から、嬉しいという気持ちが溢れてくる。


 でも、この感情が何なのかは、まだはっきりとはわからなくて。

 ただ一つ言えること、それは——。


 私の中で止まっていた時は、今、確実に動いている。


 もし、ひとつだけ願いが叶うのなら。

 この笑い声が、風に乗って過去の私に届くことを。

 どこまでも遠く、遠く……。

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