あまりに自然に。
そして、突然に塞がれた口。
それは温かくて、柔らかくて。
とろけるような甘さと、切ないような甘酸っぱさを感じて。
胸の中いっぱいに幸せが広がっていく……。
これは——————!
「——クレープ!?」
「腹減ってんだろ?」
——そう。
私の口は、レンが手にしたクレープで塞がれていた。
「ここ、ユウトが言ってた新しくできた店だよな」
レンが、親指を立てて後ろを指し示す。
公園の入り口には、ピンク色の可愛いキッチンカーが止まっていた。
「日野原、お腹と背中がくっつきそうって言ってたもんな」
そう言って笑うレン。
公園の木々の間から吹き抜けてくる風に、少し長めの髪がなびいている。
キッチンカーから流れてくる曲は、私の好きなバンド、
その激しくも美しい音色をバックに微笑む彼は、なんだかいつもより爽やかに見える。
失礼なことを言われてる気もするけど……。
まぁ……私が言っちゃったことだし……。
口の中いっぱいにクレープが入ってることも恥ずかしくなって、思わずレンから目をそらした。
もぐもぐと口を動かすと……はうっ!?
幸せな味が、更にいっぱい広がっていく!!
それは、レンの言葉もすんなり許せちゃうくらい美味しいものだった。
上の方はパリパリなのに、途中からもちもち食感に変わる生地。
フワフワでとろけるように甘い、でも甘すぎない生クリーム。
その中から現れる、爽やかな甘みと酸味を持つフレッシュなフルーツ。
これって……。
「……イチゴ?」
「そ。日野原、イチゴ好きだったろ?」
え……。
私は驚いてレンを見た。
なんでそれを?
もしかして……あのときのことを覚えていてくれたの?
「小学校の遠足でイチゴ狩りに行ったときさ。日野原は、すげー勢いでイチゴを食べてたよな。インパクトあったから良く覚えてる」
そーゆーことかーい!!
「俺も結構食う方だから、密かに張り合ってたんだけど……。ハムスターみたいな食べ方する日野原には、全然追いつかなくてさ!」
笑うレン。
こいつ……女の子にそんなこと言う!?
ほんとデリカシーないやつっ!
ぷうっと頬を膨らませる。
そんな私に気が付いたのか、レンは頬をかく。
「あ……でもさ。よく食べる女の子っていいよな」
「なにそれ、フォローしてるつもり?」
「ちげーって。マジでそう思うからさ」
「え……そうなの?」
「ああ。だって、俺も遠慮しなくて良さそうじゃん?」
「あぁ~、まぁ……それはそうかもだけど」
「一緒に美味しいもの食べて、一緒に笑い合ってさ。そーゆーのって最高じゃん?」
そう言ってレンは微笑む。
その無邪気さに、胸の奥で何かが響いた気がした。
それって……レンの本心?
私が女の子だから、気を遣って言ってる?
それとも……私だから言ってるの?
優しい笑顔。
その向こう側にある心の中が気になって。
私は、彼の瞳を見つめた。
形の良い、切れ長の目。
「……でもさ」
それが不意にイタズラな形に変わった。
「腹が痛くなるまで食べるのは、どうかと思うけどな」
———っく!
人の気も知らずに笑うレン。
さっきまでの気持ちを返せ、ばかっ!
私は唇を尖らせながら、目の前にあるレンの手のクレープにかじり付いた。
「わっ!? ちょ! 日野原、俺の分も残しとけよ!」
レンは驚いた表情で私からクレープを取り上げる。
そして、そのままパクッと一口。
「あっ……!」
「なんだよ? 別に、一口くらい食べてもいいだろ」
「じゃなくて……」
「なんだよ?」
「…………間接キス」
「——なっ!?」
一瞬の間の後……。
その顔が、みるみる赤くなっていく。
「え、もしかして気付いてなかったの?」
「……う、うるせ」
赤い顔を見せまいとしてなのか、そっぽを向くレン。
私は、にぃーっと笑った。
「なになにーどうしちゃったのー? レンくんは、急に意識しちゃったのかなー?」
「あー、もう、うるせーっ!」
そう言ったかと思ったら、向こうを向いたままクレープをばくばくばくっと一気に食べてしまった。
「あーっ、全部食べたーっ!」
「いいんだよ! もう全部なくなったから、さっきのも全部なしだ!」
振り返ったレンは、赤い顔をしたまま必死に叫ぶ。
そのワケのわからない理屈が面白くて。
なんだか微笑ましくて。
「あははははっ! なにそれー、ばかじゃないの」
私は、大きな口を開けて笑ってしまった。
レンも次第に可笑しさが込み上げて来たみたいで。
「……ぷっ! あはははははははっ!」
私たちは、お腹を抱えて笑い合った。
額と額を近づけて、いつまでも笑い合っていた。
怒ったり、心配したり、不機嫌になったり。
レンといると、感情がとっても忙しい。
でも——。
楽しかったり、思いっきり笑ったり、ときどき幸せな気持ちになれたりして。
だから、それは決して嫌なことなんかじゃなくて。
キーホルダーを拾ってくれた小学生のときと、逢えなかった中学生のときをやり直しているみたいな気がする。
彼と同じ歩幅で歩くとき、空白だった時間がゆっくり満たされていく。
胸の奥から、嬉しいという気持ちが溢れてくる。
でも、この感情が何なのかは、まだはっきりとはわからなくて。
ただ一つ言えること、それは——。
私の中で止まっていた時は、今、確実に動いている。
もし、ひとつだけ願いが叶うのなら。
この笑い声が、風に乗って過去の私に届くことを。
どこまでも遠く、遠く……。