アイリは立派な演技でこの場から立ち去った。
家で寂しがってるイツキくんのために帰る優しい姉。
それは、あまりに自然体で。
あれが演技だなんて、ミユも、レンも、ユウトくんも気が付いてないだろう。
事情を知っている私でさえ、その言葉を信じてしまいそうになる。
次は私の番だ!
ふうっと短く息を吐きながら、私は家でのとある出来事を心に思い浮かべた。
それは、お父さんがリビングでテレビドラマを見ていたときのこと。
「この子、ユイと同い年だって。凄いよなー」
なーんてこと、言っていたけれど……。
お父さん、私も今から女優になるよっ!
アイリに負けない、完璧な演技をしてみせるからっ!
ただ……。
私は、チラリと前を見た。
そこにはレンが座っている。
……そう、私だけいなくなってもダメ。
ミユとユウトくんを二人きりにするには、レンを連れ出さないとダメなんだ!
よーし……!
私は椅子から立ち上がると、お腹を押さえた。
「あっれー? イタタタタ、なんかーお腹が痛いかもー?」
ふふっ、どうこの演技力?
みんなの視線が集まるのを感じて、私は密かにほくそ笑む。
「どうしたのユイぴょん!?」
「マジか! 大丈夫?」
純粋に心配してくれるミユとユウトくん。
「チーズバーガーにポテトにドリンク……一気に食いすぎたんじゃねーの?」
心配のベクトルが違うレン。
「あー、イタイー、イタイー。これはちょーっとマズイカモー」
「ええーっ、そんなにー!?」
「ユイちゃん、ちょっと横になる?」
「……日野原、なんか棒読みじゃねぇ?」
……くっ!
いちいちレンがやかましい!
「あーもう、ほんと痛いー。お腹と背中が、くっついちゃうくらい痛いー」
「それって……まだ、めちゃくちゃ腹減ってるってことじゃ……」
「あーもうっ! さっきからレンはうるさいのっ!」
私はカバンを掴むとレンの前に立つ。
そして、腰に手を当て仁王立ち。
「そんなに心配なら、私のこと送ってけっ!」
——それから10分後。
「はぁ~~~~~~」
私の長い長いため息が、辺りに響き渡っていた。
ここは、駅前の大通りに面した公園前。
帰宅中の高校生、お仕事中のサラリーマンなど、人通りは結構多い。
「お腹が痛いからっ!」
そう言ってミユとユウトくんをお店に残し、半ば強引にレンを連れ出したのはいいけれど……。
果たして、あのときのセリフは適切だったのだろうか?
後悔と反省が、頭の中をずっとぐるぐる駆け巡っている。
そういえば、レンにお腹が痛いって言ったの、これで2回目だ。
1回目は小学校の遠足でイチゴ狩りに行ったとき。
イチゴが大好きな私は、とにかく取って食べまくってたら、急にお腹が痛くなっちゃって……。
たまたま近くにいたレンに、先生を呼んできてもらったんだ。
くうぅ……。
今も昔も、食いしん坊キャラを強く印象付けただけなんじゃなかろうか……。
さっきまで一緒に歩いてたレンは、
「ちょっと待ってて」
とか言って、どこかに行っちゃうし。
私、お腹痛いって言ったよね?
病人を置いて立ち去るとか、なんなの!?
……まぁ、本当はぜんぜん痛くないんだけどっ!
もーっ、もーっ、もーーーーーーーっっっ!!!!
「あれー? ねぇ君、どうしたの? なんか、めっちゃ不機嫌な顔してない?」
——やっば!
通りすがりの知らない男の人に心配されてしまった!
そんなにも、イライラとモヤモヤが顔に出ちゃってた!?
「あ……いえ、大丈夫です」
なんとか笑顔を作ってそう返す。
でも、その人は引き下がってはくれない。
「いやー、大丈夫ってことないでしょー。……あ、わかった! 彼氏とケンカでもした?」
「や……そうじゃなくて……」
「君みたいな可愛い子をほっとくなんてヒドいよね。良かったら俺と、気晴らしにでも行かない?」
は……?
……え?
えええっ!?
こ、これって……もしかして、もしかするとだけど……!
ウワサに聞く、ナンパというやつなのではーっ!?
改めて見たその人は、金髪、ピアス、ピチピチᎢシャツで、いかにもパリピ男子って感じだ。
『キケンー! キケンー! キケンー!』
心の中のミニ私たちが、警戒心アラートを発令して走り回る。
「ねー、君、何歳?」
「じゅ……16ですけど」
「じゃあ、俺の3つ下じゃん! ちょうどいいね!」
なにがちょうどいいのか、よくわかんないんだけど。
男はとにかく笑顔を絶やさない。
「恋免って16歳から取れるじゃん? じゃあ、当然、君も持ってるんだよね?」
「い、いえ……私は返納したので……」
「マジでー!? めっちゃウケるー! なんで返しちゃってんのー!」
私のデリケートな部分に土足で踏み込んで、ギャハハーと軽く笑い飛ばすパリピ。
くっ、このっ!
あなたはもう、私の敵として認識したぞっ!
敵意を込めて男をにらむ。
だけど、その視線を勘違いしたのか、
「あー、俺? 大丈夫、ちゃんと持ってるから」
とか言ってる。
あーもう、うっとうしいっ!
恋免は、片方だけ持っててもダメでしょーがっ!!
私は深く息を吐くと、男に向き直った。
「ごめんなさい。私、今、そんな気分じゃないので!」
こういうときは、曖昧な態度を取っちゃいけないってアイリから聞いている。
付け入るスキも与えないくらい、ぴしゃりと言い放つんだって。
ふぅ……。
これだけハッキリ言えば、この人もわかってくれるでしょ。
ほら、その証拠にパリピはビックリした顔をして……。
そして、その口がゆっくりと開く。
「またまたまた~~~!」
またまたまた~じゃなーーーーーいっ!!!
私は心の中で盛大に裏手ツッコミを入れた。
何この人!
チャラくて、自己中で、ポジティブおばけなの!?
アイリの教えが、全然効かないんだけどっ!
「ほら、遊び行こうぜー! 絶対、損はさせないからさー」
「ちょ……や、やめてくださいっ!」
いきなり手首をつかんで来たことにビックリして、咄嗟に大きな声が出た。
だけど、男は手を離してはくれない。
終始ニコニコしてて、こっちの話もぜんぜん聞いてくれない。
誰か……助けて!
そう思って周りを見ても、みんな遠巻きに見てるだけ。
助けてくれる人は誰もいなかった。
助けて……!
強引に引っ張られる怖さと、手首に走る痛みとで、視界は涙で滲んでく。
絶望と恐怖に支配される心。
その中で浮かび上がる、たった一つの希望。
助けて……——っ!
私が彼を願った瞬間——。
「——すみません!」
不意に声がかけられた。
驚くパリピの手を振り解き、私はその人の後ろに隠れる。
そして背中に抱き着いた。
聞き覚えのある声。
——大好きな声!
「——レンっ!!」
「すみません、コイツ俺の彼女なんで」
そう言って、私をかばうように男の前に立ち塞がる。
「迷惑なんで、ちょっかい出すの、やめてもらっていいっすか?」
こんなときだけど、思わずドキッとしてしまう自分がいた。
「チッ! なんだよ、やっぱ彼氏持ちかよ! 恋免返納って嘘じゃねーかよ!」
男の顔から笑みが消える。
苛立ちを隠そうともせず舌打ちをして、そしてやっと立ち去ってくれた。
「ふぅ……」
安堵のため息が漏れる。
気が抜けたせいか、ぽろぽろと涙が溢れ落ちた。
レンが来てくれなかったら私は……。
「もう、大丈夫だぞ。……ってか、いつまでくっついてんだ?」
「——んはっ!?」
レンの言葉で我に返って慌てて離れる。
まるで、磁石の同極同士の反発かってくらいの勢いで。
涙も、ちょっと引っ込んだ。
や……ヤバイ、ヤバイ、ヤバーイっ!
状況が状況だったとはいえ、レンに抱き着いちゃったっ!
「ったく……。こんな展開、マンガでしか見たことねーぞ」
やれやれといった感じのレン。
でも、それはメンドクサイとか、嫌な感じじゃなくて。
なんだかとても優しい口調に聞こえた。
「助けてくれて、ありがと……」
ちょっと照れくさくて、思わず髪をいじりながらそう言う。
助けるための嘘とはいえ、彼女って言われちゃったし~~~~!
どんな顔して、彼を見たらいいのかわからない。
そんな私を、レンはじっと見つめてる。
その口が静かに開いてく。
何を……言ってくれるの?
期待に高鳴る胸を抑えつつ、私もレンを見つめた。
「あのさ……日野原って、ちょっとスキがありすぎなんじゃねーの?」
…………は?
それは、私が期待していたものとはほど遠かった。
「ったく、近くに俺がいたから良かったものの。あのままだったら、どうなってたかわかんねーぞ!」
俺がいたから……良かったものの……?
その言葉に、私の中のイライラとモヤモヤが再び顔を上げる。
涙は完全に引っ込んだ。
「ちょっと待って! そもそも、レンが私を置いてどこかに行っちゃうから——」
——その瞬間。
私の口は不意に塞がれた。
それは、あまりに自然で。
あまりに突然だった。