レンが、私たちとお昼を食べるようになって3日が過ぎた。
「おはよー」
「……おはよ」
それどころか、私たちとそこそこ普通にコミュニケーションを取ってくれるようになった!
ねぇ、これって、すごい進歩じゃない?
レンの成長の喜びを誰かと分かち合いたいっ!
……と思うけど、
ゼロ・コミュニケーションが普通のコミュニケーションになっただけだしなぁ……。
とも思って、アイリやミユにも話せないでいた。
なので、この件はそっと自分の胸にしまって、誰にも気付かれないようこっそりほくそ笑む。
6限の授業のあと、男の先生が入ってきた。
ここ
先生は、この学校の出身なんだって。
優しくて誠実な先生。
だから、私たちは親しみを込めてこう呼んでいる。
「ガク先生ー!」
「梨川先生だろ」
先生は苦笑すると教卓の前に立った。
「さて、今から帰りのホームルームを始めるわけだけど……その前にみんなにはクラス委員を決めてもらおうと思う」
「クラス委員?」
「学級委員長、副委員長、会計、書記が二人、あとは風紀委員にイベント委員に……」
次々と役割を黒板に書き上げていく先生に、教室内はにわかにざわめき立つ。
ふーむ、クラス委員かー。
こういうのは、たいていクラスの人気者とか、目立つ人がやっていた。
地味系女子で目立たない存在だった私には無縁の世界だった。
「まずは学級委員長だけど、誰か立候補する人はいるかな?」
ガク先生の言葉に、教室内は一瞬で静まり返る。
お互いに目くばせしたり、小さくけん制し合ったり。
でも、誰も手を上げることはない。
まぁ、それもそうだよね。
委員長になったら、委員会にも出席しなくちゃいけないし。
何より、このクラスを責任もってまとめあげなくちゃいけない。
そんな重圧を真正面から受け止められる人なんて、そうそういるものじゃないから。
「早く決めないと、帰る時間が遅くなるぞー」
イタズラな笑みを浮かべる先生に、教室内はブーイングの嵐。
だけど、やっぱり立候補者は現れない。
「……仕方ないなあ。じゃあ、推薦でもいいぞ」
先生は短く息を吐くと、私たちを見回した。
「新しいクラスになって1週間。少しずつみんなの特徴も分かってきた頃じゃないか? この人なら任せられるというのがあったら教えてほしいな」
推薦ね。
それなら立候補より早く決まりそうだなー。
なんてことを思っていると、教室の扉がノックされて女の先生が入ってきた。
「梨川先生、お電話が入ってます」
「わかりました、ありがとうございます」
ガク先生は私たちに目を向けると、
「先生はちょっと席を外すから、その間にみんなで話し合って決めておくこと」
そう言い残して、迎えに来た先生と教室を出て行った。
「クラス委員、決めておけだって」
「お前、やれば?」
「やだよ、めんどくさい!」
一気に賑やかになる教室。
先生がいなくなると騒ぎ出す生徒がいるのは中学も高校も一緒だな……。
などと割と冷静に、半分他人事みたいな感じでその様子を眺めていた。
「ねぇ、水本さんはどう?」
誰かがアイリの名前をあげた。
「あっ、それいいかも!」
「うん、成績もいいし、リーダーの雰囲気あるもんね!」
みんなが次々と賛同していく。
成績優秀で冷静沈着。
私たちと一緒にいるときも常にお姉さん的存在で、的確な意見を言えるアイリ。
確かに学級委員長に向いているタイプだと思う。
でもね……。
「ねぇ水本さん、学級委員長に……」
「私はやらないよ」
言葉を
取り付く島もないその言い方に、話しかけてきた人の笑顔が引きつった。
「なんでー? アイリん、適任だと思うけどなー?」
前の席のミユが、振り返ってアイリに首を
「無理。私が、みんなをまとめ上げるようなタイプじゃないことを知ってるでしょ」
そう、アイリは基本的に一匹狼。
例え、どれだけお願いされても、首を縦に振ることはないだろう。
ようやく見つけたみんなの希望は、こともあっさり打ち砕かれた。
でしょうね……。
という思いでその様子を見つめていた私だったけれど。
不意に、クラスメートの一人と目が合った。
その子の顔が、ぱぁっと明るくなる。
ざらっとしたような嫌な予感が、心の中を走り抜けた。
「もう一人、適任がいるじゃん!」
嬉しそうに叩く手。
教室内に乾いた音が響き渡った。
「日野原さん、委員長やってよ!」
みんなの視線が、一気に集まるのを感じる。
「日野原さんかー」
「うん、意外といいんじゃない?」
うう……やめて。
私、そういうの苦手なんだから。
恥ずかしくなって思わず下を向く。
体がぶわっと熱くなって……。
ひぃ、変な汗が出てきたっ!
「わ、私、無理だよ……」
なんとか絞り出した声に、みんなは首を傾げる。
「え、なんで?」
「案外、向いてるんじゃないかと思うけどな」
「いつも水本さんと一緒にいるし、リーダー研修してる感じじゃん?」
そ、それ、どういうこと!?
「それに、この前の昼休みに大きな声出してたよね」
「あー、月島への熱血指導な」
「あ……あれってもしかして。わざと目立って、この委員長決めで推薦してもらうためだったんじゃね?」
「演出ってこと?」
「そう! 勝負は、戦う前から始まっているのだよ!」
おどけるクラスメートの言葉で、教室内にどっと笑いが起こる。
だけど、当然、私は笑うことなんかできなくて……。
今の気持ちは、委員長になるのが嫌なんじゃない。
レンとのやり取りを演出だと思われたことが嫌だった。
あれは、紛れもなく私の本心だったから。
ミユ、金村くん、そしてレンのことを想ったら、体が勝手に動いていたことだったから。
もちろん、みんな冗談で言ってるっていうのはわかる。
私も高2だし、そんなことでムキになって怒ったりなんかはしない。
でも、嫌なものは嫌なんだ……。
みんな、盛り上がってる。
これで私が、
「委員長なんか絶対にやらないっ!」
なんて言ったら、どんな空気になるんだろう……?
がっかりするかな?
また決め直しかよーって言われるかな?
みんなの期待を裏切ることになっちゃうのかな……。
だとしたら。
私は頑張って笑顔を作って、みんなの思いに応えるのがいいのかな。
ふぅ……。
こんなだから、アイリに
『ユイは、流されやすいタイプだから心配なのよ』
って言われちゃうんだよね。
頭の中を様々な想いが駆け巡って。
胸が痛くて。
心が苦しくて。
まるで、暗く冷たい湖の底に、一人沈んでいくかのようで。
机の下に隠した手は、気が付けば爪が食い込むほど握り締めていた。
クラス内では、もう私が委員長になるという方向で話が進んでる。
あとは私が首を縦に振るだけ……。
「あ、あの私……」
そのとき、ガタッと誰かが椅子から立ち上がる音が大きく響き渡った。