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第4話『ぎりぎりセーフ』

 朝の通学路を、私とレンの走る足音が規則的に響いてく。


 ……ごめん、嘘。

 レンの足音は規則的だけど、私の足音は乱れている。

 こんなとき、自分の体力の無さがうらめしい。


 そんな私をチラッ、チラッと走りながら肩口に見るレン。

 どうせ、コイツおせーな……とか思ってるんでしょ。

 ハッキリ言えばいいのに。

 スパッと言ってもらった方が、こっちだってスッキリす……。


「……足、おせーな」


 とか思ってたら、ハッキリ言われた。


 むっきー!

 言われたら言われたで、やっぱムカつくっ!


 頬をぷうっと膨らませる私だけど、レンはそんなことを気にする様子もない。


 彼の手には今、カバンが2つある。

 1つは私のカバンだ。

 走る邪魔になるからと持ってくれているんだろうけど……。

 そーゆー、さりげない優しさは正直嬉しい。

 でも……。


『日野原、カバンを貸せ!』


 日野原……か。

 小学校のレンは私のことを名前で呼んでいたけれど、目の前の彼は名字呼び。

 ということは、やっぱりキーホルダーを拾ってくれたレンとは別人なんだな……。

 そう思うと、少しだけ寂しくも感じる。


 彼はスマホで時間を確認したあと、ぶっきらぼうに口を開いた。


「近道する。このままじゃ間に合わないからな」




 細い路地を走る私たち。

 車も人も、ほとんどいない。


 すごい……。

 なんでこんな道知ってるの?


 地元の人だって知ってる人は多くないだろう。

 私だって、かろうじて知っているレベルだ。

 ってことは、このレンはやっぱりキーホルダーのレン!?


 前を走る彼の表情は、うかがい知ることはできない。

 私はただ、正体不明のその背中に付いていくだけ……。


 ……って、ちょっと待って!

 私のつたない記憶では、この先は確か行き止まりだったはず!

 もしかして、道を間違った!?


 焦る私の目に、行き止まりの石垣が見えてきた。

 荒く石を積み上げて作った壁。

 その先は高台になっていて、そこは桜が咲き乱れる公園となっている。


 レンはその公園を突っ切りたかったんだろうけど、ダメじゃんっ!

 どーすんの!?

 今から引き返してたら間に合わないよーっ!


 だけどレンは足を緩めることはしない。

 え、なんでっ?

 と、頭の中にクエスチョンマークが吹き荒れている私に、彼は短く言い放つ。


「行くぞ!」


 ど、どこにーっ!?


 レンの正体と、行動と、その言葉で頭の中がもうぐっちゃぐちゃになっている私の前で、彼は石垣に向かって軽くジャンプ。


 なーっ!?


 な、なんと彼は飛び出ている石を踏み台にして石垣を駆け上がっている。

 一歩、二歩、三歩と、あっという間に登り切ってしまった。

 しかも、一度も手を使わないで!


「日野原も早く」

「できるかーっ!」


 涼しい顔で手招きするレンに、私は渾身のツッコミを叫んだ。


「わ、私はアンタみたいに運動神経がいいわけじゃないし、それに……スカートなんだぞっ!」


 高台の上にいるレンに抗議する。

 彼を見上げながら私は短く息を吐いた。


「先に行っていいよ、私は普通の道で行くから。今から戻ったら確実に遅刻だけど……でも、二人で遅刻することないもんね」

「いや、日野原……」

「ううん、ごめんね思わず怒っちゃって。私が、もう少し上手くできれば良かっただけだから」


 うん、そもそもレンの足なら普通に行っても間に合ってたはず。

 この道を選んだのは私のため。

 そう、私のためなんだ。


「だから……ありがとうっ!」


 そう思うと自然と胸の中が温かくなって。

 優しい気持ちになれて。

 気が付いたら、私は彼に笑顔を送っていた。 


 私はくるりと背を向ける。


「早く行って。本当に遅刻しちゃうよ?」

「いや……そうじゃなくて」

「ううん、私のことは気にしないで」

「日野原、俺の話を聞いて……」


 むぅ。

 私が綺麗に退場しようとしてるのに、彼はそれを引き留める。


「もぅ……少しくらい、私にもカッコつけさせてよ」

「だから、ちげーって!」


 んー?

 なんでそんなにムキになってるわけ?


「いいから、こっち見ろ!!」


 必死さすら伝わるその声に、私は振り返った。

 桜満開の高台に立つ彼。

 その腕が横に真っ直ぐ伸ばされて、指がどこかをさしている。


「……なに?」


 彼の指し示す方向に目を向けてみる。

 私が立っている数メートル先、そこには……。


「はぁっ!?」


 思わず間抜けな声が出た。

 そこには、高台に上がれる階段があったのだ。


「な、なにそれっ! こんなのがあるなら早く言ってよっ! 私、バカみたいじゃん!!」

「日野原が聞かなかったんだろーが……」


 うう、それはその通りなんだけど……。


「さっきから〝ありがとう〟とか、〝気にしないで〟とか、〝私にもカッコつけさせて〟とか……なんなの?」

「うるさーいっ! うるさいうるさいうるさいーっ! もう、早く行けーっ!」


 くうぅ、恥ずかしすぎるぅ~~~。

 全身が熱くなっていくのを感じながら、私は階段へと走った。


「本当に先に行っていいよ。この公園を抜けたら、学校は目と鼻の先でしょ? 私はもう大丈夫だから」


 そう言いながら階段を駆け上がり高台に立つ。

 桜の花びらが舞うその場所。

 そこにはもう、レンの姿はなかった。


「なんだ……本当に行っちゃったんだ……」


 自分で言ったことだけど、いざ本当にいなくなると心の中にぽっかりと穴が空いたような……。

 さっきまで、あんなに賑やかだったからかな。

 不意に訪れた静寂、風が桜を揺らす音だけが聞こえて。

 切ない気持ちが込み上げて——。


「——来たか」

「ぅひゃあっ!?」


 不意に桜の木の陰から現れたレンに、また間抜けな声を出してしまった。


「なんだよ?」

「や……先に行ったのかと思ってたから……」

「行かねーよ」


 ドギマギしながら答える私に、レンは真っ直ぐに答える。


「ここまで来て、おいて行けるわけねーだろ?」


 そう言って彼は笑った。

 風に舞う桜の花びらの中で、彼は優しく笑っていた。

 その表情、そのシチュエーションに思わず胸がドキッとする。


「じゃ、じゃあ、早く行こう!」


 平静を装って、彼の前を走り出す。

 今の表情を見られたくない。

 だって、私の顔はきっと桜の花びらより染まっているだろうから……。


 もうっ!

 なんのために恋免を返納したのっ!

 もう恋なんてしないんでしょ!


『ユイは、流されやすいタイプだから心配なのよ』


 昨日のアイリのセリフがよみがえる。


 アイリには〝大丈夫〟って答えたけど。

 私、ぜんぜん大丈夫じゃなかった……。


 しっかりと反省をしつつ、この気持ちをもう少し味わっていたいという思いもあって。

 その相反する心をひた隠しにして、私は学校を目指して走った。

 レンは、黙って後ろを走っていた。




「ギリギリセーフっ!」


 8時30分のチャイムが鳴る中で、私とレンは教室に辿り着いた。


「ほんとギリギリよ」

「あはは、危なかったねー」


 二人の親友にはため息をつかれたり笑われたり。

 そんな二人の横を通って自分の席に向かう。


「日野原」


 途中、レンに名前を呼ばれて振り返った。

 ずいっと突き出された手。

 その手には私のカバンが握られている。


「あ、そうだ、忘れてた。持っててくれてありがとう」


 苦笑する私。

 二人の間で、カバンに付けたあの猫のキーホルダーが子気味良い音を立てた。


「……ほらっ」

「ちょ、ちょっと投げないでよっ!」


 表情一つ変えることなく、私にカバンを投げて渡すレン。

 そんなやり取りをしつつ着席すると、レンの前の席の男子生徒が勢いよく振り返った。

 タレ目がちな瞳で私たちを交互に見ると、ふと口を開く。


「お前らって付き合ってんの?」

「ちがうよっ!」

「ちげーよ!」


 反射的に答える私たち。

 その様子に男子生徒は首を傾げる。


「なんか、やけに息がピッタリじゃね? ホントはどうなんだよ?」

「付き合ってねーって言ってんだろ」

「ほら、みんな、席につけー!」


 そのとき、教室の前の扉から担任の先生が入ってきた。

 先生の一言で、席を離れていた人は一斉に自分の席に着席する。

 レンの前の男子生徒も、それ以上の追及はなく前を向いた。


「よーし、それじゃ出席を取るぞ」


 出席番号順に名前を読み上げ、それに返事をする生徒たち。

 私はチラリと隣のレンを見た。


 否定のタイミング、一緒。

 息がピッタリとか言われちゃったじゃん。


 そんなどうでもいいようなことで少し嬉しくなる自分がいて。

 それを不思議と感じる自分もいて。

 小学6年のときの気持ちが少しずつよみがえっているようで、なんだかとても懐かしい。


 私にカバンを投げて渡すとき、一瞬、キーホルダーを見てた気がするけど……。


 あのときのキーホルダーだと気付いたのか。

 それとも、あの日の出来事はもう覚えていないのか。

 そもそも別人で、ただ音がしたから見ただけなのか。


 彼のクールな表情からは感情がまったく読み取れない。


「お前の正体はなんなんだー」


 誰にも聞こえない程度の小さな声で問いかける。

 横顔のレンは、相変わらずクールな表情で前を見つめていた。

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