春休みが終わった。
新学期、桜の花びらが舞う校舎。
私たちは今日から2年生だ。
昇降口に張り出されたクラス分けの表に一喜一憂する生徒たち。
その中には私たちの姿もある。
「また3人一緒だねっ!」
「ふふ、今年度もよろしくね」
「大きくなってもー、ずーっと一緒にいようねー!」
2年生になったアイリはますます綺麗で。
2年生になったミユはますます可愛くて。
失恋ですり減った心が癒されていく。
「も〜っ! 私、将来は二人と結婚するっ!」
そう言って抱き着く私。
ギュッと強くハグをする。
「ちょ……ちょっとユイ、やめてよ! いきなり変なこと言わないで!」
「あははー、周りの人に見られちゃってるよー」
逃れようとするアイリに明るく笑うミユ。
はっきりと感じられる確かな温もりに、私は声を上げて笑った。
* * *
2年生の教室、新しいクラス。
黒板に貼られた座席表を見てそれぞれの席に向かう。
私の席は1年生のときと同じ。
窓際から1番目の列、後ろから2番目の場所。
ここは温かい陽射しと、校庭で咲き誇る桜の木が見えて、とても幸せな気持ちになれる。
……残念なのは、アイリとミユとは席が離れてしまったこと。
二人は1つ席を挟んだ窓際から3番目の列。
アイリが後ろから2番目、私と同じ並び。
ミユはその1つ前だ。
でも、幸いなことに私とアイリの間の席の人はまだ来てないみたい。
というわけで、私はその席を借りて二人のお喋りに混じっていく。
「ユイぴょんが、だーい好きなバンドでー、
実はメンバー全員がこの高校の卒業生ということで、在校生として誇り高い。
……と世間では言われてるけど、私はそれだけじゃないと思っている。
「やっぱね、ヒカルの嘔吐感あるような歌声もサイコーなんだよねっ!」
「その表現……ちょっとわかんないから」
ため息をつくアイリに、私は笑って返す。
「あははっ、やっぱこの感じいいわー! 女同士がサイコー!」
「ユイは、またそうやって勘違いされそうなことを……」
「だって、こうやって気兼ねなく話せるのって良くない? これからの私は恋愛よりも友情に生きるんだ!」
決意表明。
胸の前で拳を握ってみせる。
だけどアイリは冷静な目で私を見つめた。
「そんなこと言いながら、また先輩みたいなイケメンに告白されたら
「そ、そんなことない! まぁ……ショウ先輩のことは舞い上がってたのは認めるけど……でも、イケメンだから好きになるとか、ありえないからっ!」
「ユイぴょんは面食いじゃないもんねー」
そう言って、ミユはうんうんとうなずく。
でも、好みに関しては彼女の言う通り。
5人組アイドルがいたら、私が好きになるのはいつも4番人気の人だったし。
やっぱ人は見た目より性格が大切なんだと、今回の件で更に強く思った。
そんなことを考えている私に、アイリが静かに口を開く。
「ユイは、流されやすいタイプだから心配なのよ」
真剣な表情のアイリ。
少し言葉が強くても、それは私のことを本当に心配してくれるからだと知っている。
友達思いで面倒見の良い彼女。
だから……。
「大丈夫! だって私、もう免許ないしっ! 知ってる? 免許がないから3年に1度の更新も行かなくていいんだよ」
だから私は、少しでも安心してもらえるように努めて明るく答える。
その言葉にアイリも納得したようにうなずいた。
「ねぇねぇ、ユイぴょん」
ミユが私の顔を
「ユイぴょんはー、今までいいなーって思った男の子はいなかったのー?」
「いいと思った人? うーん……」
いい男の人。
実は、いたことはいたんだよね。
時は、小学6年生まで
当時、私は泣き虫だった。
何かあるとすぐに泣く、とても気の弱い子だった。
小6のとある夏の日の放課後、私は家族旅行で買ってもらったお気に入りの〝猫の飾りが付いたキーホルダー〟を落としちゃって。
いくら探しても見つからなくて。
ショックと悲しみと両親に申し訳ない気持ちで、泣きながら家路についた。
キーホルダーなんか買ってもらわなければ良かった!
とか、楽しかった旅行ですら嫌な思い出になってしまいそうで。
そんなことを思う自分も嫌で、ずっと泣き続けていた。
涙で
今考えると、そこまでのことじゃないかもしれないけれど、そのときの私にとってはそれが全てだったんだ。
家に帰ってからも泣き続けていた私。
両親は仕事で家にいなかったのは幸いだった。
――そのとき。
ピンポーン♪
と鳴る玄関のチャイムの音。
涙の目を
彼の名前は
明るい性格で、クラスでも目立つ存在。
私とは住む世界が違う人だって、幼心で勝手に思っていた。
そんな人がうちに何の用?
「はい……」
恐る恐る玄関の扉を開けた私に、レンが勢いよく拳を突き出してきた。
「ほら。手、出して」
言われるがまま、その手の下に両手を広げてみると……。
チャラッ!
レンの手から落ちてきたのは、無くしたはずのキーホルダーだった。
「こ、これ、どこで?」
「そこの道に落ちてた」
軽くそう答える彼。
でも、キーホルダーには動物の毛が付いていて。
袖や裾から覗く彼の腕や足は
レンが私のために頑張ってくれたことは容易に想像できて。
それが本当に嬉しくて、気が付いたら私はまた泣いてしまっていた。
そんな私にぎょっとした様子のレン。
「ちょ……! ば……な、なんで泣くんだよ!」
「だって、だって……」
「あー、もう! 泣くな!」
不意に両の肩に伝わる温もり。
肩を掴むレンに驚き、思わず顔を上げる。
その瞬間、彼と目が合った。
「もう、俺がユイを泣かせねーから!」
その真剣な眼差しに、私の中の時が止まった気がした。
次の瞬間、彼は優しく微笑んで。
その笑顔に私の胸は大きく脈打った。
――小さな胸の奥で、キュンという音が確かに響き渡ったんだ。
その日からお気に入りのキーホルダーは、私の大切な宝物に変わった。
それからというもの、レンがいると密かに見つめてしまう自分がいた。
彼の行動の一つ一つ、手の振りからその指先に至るまでが気になって、こっそり目で追いかけていた。
たまに彼と目が合いそうになると慌てて
初めて芽生えた感情。
その正体がわからない戸惑い。
でも、それは決して嫌じゃない、むしろ嬉しさすらあって。
胸の奥が、なんだかくすぐったくて。
そんな気持ちの
そのときから、私の泣き虫もどこかに行ってくれた気がする。
そんな彼は小学校の卒業と共に親の転勤で引っ越して、中学校はお互い別々になってしまった。
当時はスマホも持ってなかったし、彼の新しい連絡先も知らなくて。
その気持ちの正体を確かめることもできず、心の奥底にそっと仕舞い込むしかなかった。
きっと、あの瞬間から私の時は止まったままなんだ……。
「――ユイぴょん?」
「あっ! ううん、ごめんミユ!」
「どうしたのユイ。心ここにあらずって感じだったけど?」
「う、うん、ごめんアイリ」
いけないいけない。
昔のことを思い出して、思わずボーッとしちゃった。
あのときのキーホルダーは通学カバンにつけている。
今でも私の宝物だ。
でも、過去は過去。
もう戻らないことはわかってる。
だから、今は前を見て進まなくちゃ……。
「……あのさ、そこ俺の席なんだけど」
「え? あ、ご、ごめんなさい!」
不意にかけられる声に反射的に謝罪する。
なんか私、謝ってばっかだ。
心の中で苦笑しながら席を立つ。
無造作に机の上に置かれるカバン。
彼の顔を見た瞬間――。
――えっ!?
頭に浮かぶあの夏の日。
思わず息を呑む。
目の前の彼に、あのときのレンの姿が色濃く見えた。
胸の鼓動が大きくなっていく。
止まっていた時の足音が聞こえた気がした。