「本当に兄上と婚約しなくて良かったのか?」
「嬉しいなら嬉しいって言ってください」
まるで私にカミジール殿下との婚約を薦めてるような言い回しをするくせに、フレン様はというと私室にあるゆったりとしたソファで私を背後からぎゅっと抱き締めている。
(言葉と態度が矛盾しすぎよ)
なんて、思わずくすくすと笑いが溢れた。
あの事件はカミジール殿下の采配でしっかりと公爵を拘束した後、スティナ様からの告発という形で正式に発表された。
もちろん一部の貴族からは、欲で犯罪に手を染めた家門であるスティナ様を王太子の婚約者から外すよう抗議がされたらしいが、『公平だからこそ実父を告発した勇気のある令嬢』として好意的な意見が多いらしい。
(これで本当に元通り、ね)
「オリアナは、本当に怒ってないのか?」
私の肩口に顔を埋めるようにして呟くようにそう口にするフレン様。
初めて会ったときはあんなに飄々とし、掴みどころなんてなかったはずの彼がこんな子犬みたいになるなんて誰が知っていたのだろう。
(それだけ他人と距離を取らなきゃいけない立場だったってことなのね)
下手に弱い顔を見せればつけこまれ、命を狙われる。
どんな時でも冷静に対処しなくてはきっととっくに命がなかった彼だからこそ、そんな驚異が去った今こんな態度になっているのだとそう実感した。
(それに、これは多分、私にだけ……なのよね)
そんな自惚れとも言えないような考えが胸を高鳴らせ、きゅうっと締め付ける。
どこか不安気なフレン様は、私な意地悪心を絶妙に刺激した。
「いいえ、めちゃくちゃ怒ってます」
「!」
「多分一生許しません」
「……ッ!」
キッパリハッキリそう断言すると、私を抱き締めるフレン様の腕が強張ったのを感じる。
そんな彼の腕の中で、くるりと向きをかえて向き合うと、僅かに揺れるピンクの瞳と目があって。
「んっ」
そのままむちゅ、と自分の唇をフレン様の唇に押し付けると、じわりとフレン様の頬が赤く染まった。
「一生隣でネチネチ言ってあげますから」
「そうか、隣なら……確かに悪くないかもな」
ふは、とフレン様の表情が緩んだのを見て胸の奥がきゅんとする。
「もう二度とオリアナに他の男を選ぶようになんて言わない」
「あ、怒ってるの、そこじゃないです」
「えっ」
もちろんそこも怒りポイントではあるのだが、それ以上に絶対許せないポイントが一つ。
「……護衛の私を遠ざけたこと、許しません」
(護衛なのに主から離れた私自身も許さないわ)
たまたま胸に忍ばせていた反省本に救われたものの、あの時フレン様に剣を突き立てたのがか弱い令嬢じゃなかったら彼は今ここにはいないかもしれない。
暗殺者が相手だったなら、手から伝わる衝撃で皮膚に突き刺せていないことをすぐに察し、首を斬って終わりだった。
結果無傷だっただけであって、護衛としてはあるまじき失態であり、そして護衛の失態といえばそれは主を喪うことに直結してしまう。
(もしかしたらあの瞬間で、フレン様を喪っていたかもしれないんだから)
そんな恐ろしい考えが頭に浮かぶ度、私は何度も恐怖に震えるしかない。
「絶対、これからは側から離れませんから」
「オリアナ……」
「な、なんて! フレン様の暗殺を狙っていた黒幕は捕まったんですし、もうこんな心配する必要はないんですけどね!」
言いながら段々と恥ずかしくなった私は、誤魔化すようにパッと顔を上げて笑いとばした、のだが。
「いや、暗殺者はまだまだいるだろ」
「まだまだいるんですか!?」
しれっと告げられた言葉に愕然とする。
(だって、フレン様の暗殺を狙っていたのは公爵で)
「よく考えてみろ。城内に送り込めるほど力のある家門がヴレットブラード公爵家だったというだけで、そもそも俺に害意を向けてきたのはそこだけじゃなかったはずだ」
「そ、れは……」
確かに黒幕、なんて言い方をした理由はあくまでも『城内で狙えるくらい』の家門、いわば筆頭暗殺者というだけであり、その他の全てが別件だった。
カジノで荒稼ぎしたり、調子よく振る舞って令嬢同士で揉めたりして矛先がフレン様自身へ向かうことも少なくないだろう。
(童貞だったのは、突然忍び込む相手が怖かったからってのも理由のひとつだったらしいし)
そのくせ情報収集で色んな女性に近付いて顔がいいことを利用していたエロマンスの王子の側面もある。
結果本気になった彼女らが上手く閨に忍び込み、それを拒絶されてプライドが傷付いた令嬢だっていたはずだ。
それを愛憎へ変えてしまう令嬢もいれば、そもそもフレン様にまつわる女性関係の噂は未亡人にまで及んでいる。
「ハニートラップの弊害……」
「いや、それは流石にもうやめた」
「え、やめちゃったんですか?」
正直なところ自分の体を使って情報を得る囮のような行為はもちろんだが、振る舞ってるだけとはいえ、相手が勘違いするよう口説いたりとかして欲しくないというのが本音だったりする私は、やめたと断言したフレン様に驚きつつも少し安堵した。
「でも、いいんですか? フレン様のアイデンティティーじゃないですか」
「いや、どんなだよ。もっと他に俺を俺たらしめることはあるだろ」
「えぇ?」
「えぇ!?」
ぶっちゃけ何も思い付かず首を傾げた私を見てがくりとフレン様が項垂れる。
呆れたようにため息を吐いたフレン様は、例えば、なんて口にしながらぎゅっと私を抱き締めて。
「んっ」
さっき無理やり押し付けただけの私の口付けとは違い、表面を掠めるように触れた唇。
そのまま今度はその唇で挟むようにむにむにと私の下唇を食んだフレン様は、私の唇をそっと舐めた。
「オリアナ・レリアットの婚約者、とか」
「っ!」
くす、と至近距離で笑われカァッと頬が熱を持つ。
そんな私の額に口付けを落としたフレン様は、ふと私の胸元で視線を止めじっと一点を見つめていることに気がついた。
(何を見て……)
不思議に思った私が彼の視線を辿ると、その先には紐に通してネックレスにしていたあのピンクの石がついた指輪があった。
「か、隠してたのに!」
なんとなく指にはめ辛くなってしまっていたフレン様の瞳と同じ色に指輪。
指にこそはめていなかったものの、こっそりと肌身離さず持っていたことに気付かれ頬が一気に熱くなる。
「……それ、持っててくれてたんだな」
「そ、れはその、貰ったもの、ですし」
「捨てられたかと思った」
「捨てられたかと思ったのは私の方ですけど」
「うん、ごめん」
謝罪を口にしながらカチリと私の首から指輪を外したフレン様は、そっと私の手を取る。
「もう一度、はめてもいいか?」
「……はい」
まるで囁くような声色でそう聞かれ、そっと頷くと私の指でキラリとフレン様の瞳と同じピンク色が光を反射したのだった。