地下通路はそこまで広くなく、一列に並びひたすら進む。
途中で二手に別れていたが、話し声が聞こえる方に真っ直ぐ進んだ。
「凄いね、めちゃくちゃ耳がいいんだ」
「神経を集中させれば誰でも出来ますし、それに私最強ですから!」
「そうだね、拳で石扉砕けるんだもんね……」
(段々声が近くなってきたわね)
少しずつ大きくなる話し声にゴールが近いと感じる。
どうやら誰かが怒鳴り合っているようだ。
(この曲がり角の先だわ)
「スティナの声だ、相手は……恐らくスティナの父、ヴレットブラード公爵だと思う」
小声でそう話すカミジール殿下にそっと頷く。
フレン様の声が聞こえず気が急くが、こういう時こそ冷静を欠くのは致命的。
軽く深呼吸をした私はカミジール殿下を振り返った。
「絶対私の前に出ないでください」
殿下がこくりと頷いてくれたのを確認し、前を向き直す。
訓練中だったため武器はない。
(恐らく人目のないこの場所でフレン様の暗殺を目論んでるはず)
ならばこの先に何人も暗殺者がいるだろう。
それでも行くしかないから。
「全員動くな、そこまでだ!」
様子見で顔だけ出して額にナイフでも投げられては堪らない、と考えた私は逆に思い切り飛び出す。
(どうせさっき扉を砕いた音で来てることはバレてるもの)
奇襲が出来ないなら隠れておく必要もないだろう。
武器が飛んできても全て弾き落とす気だったが、幸運なことに何も飛んでは来なかった。
「さっきの音は君かね」
「開け方がわからなかったもので」
ため息混じりにこちらを振り返った長身の男性。
恐らく彼がスティナ様の父であるヴレットブラード公爵だ。
「オリアナ……しかいないもんな、あんな音出せるの」
何故かフレン様も公爵のようにため息混じりだが、それでもちゃんと自身の足で立っている彼に安堵した。
(良かった、怪我とかしてなさそう)
改めて辺りを見回す。
部屋と呼ぶには扉などはひとつもなく、どちらかといえば階段の踊場のようなスペース。
通路は私たちが今立っている場所と、公爵が立っている場所のふたつだ。
(奥の壁近くにフレン様とスティナ様、公爵の護衛っぽい男が三人か)
思ったより少ない人数だが、三人がどのレベルの手練れなのかがわからない以上油断は出来ない。
「こんな場所で、何をしてるのかな?」
「おや、王太子殿下もいらっしゃったんですか」
「ちょっ、出てこないでくださいって……!」
「オリアナ嬢の前には出てないよ」
(屁理屈!)
そんなところも似た者兄弟の王子二人に思わず脱力しそうになった。
「で、わざわざ私の弟と婚約者をこんなところに連れ込んでどういうつもりかな?」
「どういうつもりって、殿下ならばおわかりでしょう」
苛立った様子の公爵。
そんな公爵の様子に護衛三人が緊張し体を強張らせたことを察した私も警戒を強める。
「娘がこんな不特定多数の令嬢をたぶらかしているような男と密会をしていて、怒らない親などいるでしょうか?」
「んッッ」
(ごもっともすぎる!)
公爵の言った内容が事実かは別として、それでもそんな噂のある相手と密会、それも恋仲だと噂まで流れているとあれば咎めて当然。
それも王太子の婚約者という立場なのだ。
「……咎めるだけなら家でも問題がなかったのでは? わざわざこの場所である必要も、そしてこの場にフレンまで呼び出す必要はないでしょう」
“カミジール殿下も少し納得しちゃったのね”
反論する言葉が一瞬出なかったのか、少し口ごもりつつカミジール殿下がそう口にした。
「この場所である必要は、暗殺しやすいからですよね」
「スティナ!」
そんな中で声を張り上げたのはスティナ様だった。
彼女の言葉を遮るように公爵からの鋭い怒鳴り声が響く。
けれどスティナ様も負けずに更に声を張り上げる。
「カミジールを扱いやすくするために味方を減らしたいのでしょう!? 彼の弟であるフレンシャロ様は、カミジールの一番の理解者だから」
「それに、万一私に何かあったとすれば王位継承権はフレンに移る。例えば黒い意図を知り口封じするとかね」
「そうでしょうか? もし娘と王太子殿下との間に子供が産まれれば継承権の順位は孫の方が上になりますが」
(……え、そうなの?)
良質な筋肉を作るために取るべき栄養素の順位ならば詳しいが、ぶっちゃけ継承権アレコレ言われてもわからない。
とりあえず表情だけでもわかっている風の雰囲気を出そうと、令嬢たちに囲まれた時一番好評だった顔を作ってみた。
「ぶふっ」
「!」
だが、私をじっと見ていたフレン様が吹き出す。
(わ、笑われた!)
こんな危険な場面だというのにどこか緊張感のないフレン様に苛立つ。
もしここで彼が私の隣にいたならば、きっと足を踏みつけただろう。
しかし私の隣にいるのはフレン様ではなくカミジール殿下。
それも、フレン様が私を手放す選択をした結果がこれだ。
(って、こんなこと考えてる私も集中出来てないわね)
正直聞いてもイマイチわからないが、もしかしたらわかることもあるかもしれないと気を取り直した私は再び三人の会話に耳を傾ける。
「――つまり、フレンを消し、私とスティナとの間に王子が産まれたら私も消すつもりだったということか」
「えっ!?」
(カミジール殿下も狙われてたってこと!?)
「幼い王子なら私よりも扱いやすい。スティナが言っていた『傀儡』の本当の対象は未来の子供だったということだな」
ハッ、とカミジール殿下の乾いた笑いが地下室に反響する。
そして流石に何もピンと来ていなかった私にも、そこまで言われればわかる部分もあった。
(いくらほわほわしたカミジール殿下だって、その顔が全てではないもの)
――より確実に、国の実権を握るならば幼い子供の方がいいに決まっている。
そして暗殺対象がフレン様だけではなく、カミジール殿下も含まれているならば。
(スティナ様がわざわざ私を指名して婚約者の地位を譲ると言い出したのはこのためね)
私ならば、守れる可能性があるから。
「流石に変だと思ったのよ」
家柄的に問題はないが、令嬢としては正直問題ありだという自覚はある。
しかも王太子の婚約者ならば未来の皇后だ。
家柄的に問題がなく、そして令嬢としても問題がない妙齢の女性だっていっぱいいる。私より皇后にふさわしい令嬢がいっぱいいるのだ。
ズンッと胸の奥が重くなる。
理由は私の力を利用されたからではない。
もちろん私がカミジール殿下に相応しいから指名されたと思っていたからでもない。
(フレン様は、自分が生きる未来ではなく兄であるカミジール殿下が生きる未来を優先したってことじゃない)
彼の未来に私がいないことも、そして彼自身がいないことも悲しく、まるで黒いもやが纏わりつくように私の心を侵食する。
「ふむ、気付いてしまわれたなら仕方ありませんね。王子二人が娘を取り合って殺しあった、とするしかないようです」
「お、お父様何を言って……」
「同時に私たちが消えたら流石に疑問を抱く者がほとんどなのでは?」
「他でもない私が証言するのに?」
(私に指輪をくれたくせに)
ぐるぐると思考が巡る。考えがまとまらない。
「それにまだ陛下が健在だ」
「だが今から新しい王子は産まれない。そして例えば殿下と同じ色の子供を娘が出産すれば」
「なッ! わ、私はまだ妊娠なんて」
「今からすればいい。婚約者という事実もあり、そして二人の王子は色が全然違う。産まれた子が王太子の子だと思わせられればそれでいい」
(それに、最初に私を選んだのは死にたくないからだったじゃない)
死にたくないと選んだくせに、自身の命より兄の命を優先するところも腹立たしい。
だがそんなところも紛れもなく『フレン様』だ。
「最低よ……! 貴方が父だなんて信じられないわ!」
「はっ、公爵家の娘ともあろう者がそんな縁を信じてるなんてな」
「公爵、口が過ぎるんじゃないか? 流石に私も黙ってはいられないのだが」
(プロポーズだってしてくれたのに、こんなに簡単に手放せる気持ちだったってことなの?)
親子喧嘩というにはあまりにも苛烈な会話も、ぐるぐるとした思考に飲まれて上手く聞き取れない。
そしてそれらが堪らなく不快に感じた私は――……