そう時間がかからずスティナ様が部屋から姿を現し、そんな彼女と入れ違いで部屋へと戻った私にフレン様が口を開く。
「オリアナと兄上の婚約を推そうと思う」
「……は?」
その突拍子のない一言に唖然とした。
執務室でフレン様とスティナ様がどんな話をしたのかはわからない。
神経を集中させ耳を澄ませば聞こえたかもしれないが、盗み聞きのようで積極的にしたいとは思えなかったのでしなかった。
(聞いておけば良かった……!)
絶賛後悔中である。
主たるフレン様に思い切り舌打ちをするが、そんな私を咎めることもなく、何も言わないフレン様に私はどんどん苛立ってしまう。
まさか盗み聞きしなかったことをこんなに後悔する日が来るとは思わなかった。
「で、どうしてそんな結論になったんですか」
「スティナ令嬢も言っていた通りだ、王太子に婚約者がいないのは良くないだろ」
「最近まで婚約者はいなかったはずですが?」
「やっと出来た婚約者と突然婚約破棄し、婚約者がいない状態になるってのがまずいだろ」
苛立ちが声に現れている私とは違い、どこか淡々としたフレン様と向かい合って数十分。
(スティナ様と話す前はこんな感じじゃなかったのに)
「本当に私とカミジール殿下が婚約者になればいいって思ってるんですか?」
違うと言ってくれると思っていたし、本心はそんなこと思ってないって思うのに。
「元に戻るだけだ」
「本当に馬鹿じゃないんですか!」
「お、オリアナっ」
護衛として失格だとわかっていながら、私はフレン様の執務室から飛び出す。
扉の前で待機していたトリスタンと、いつの間にか走りから戻って来ていたラーシュが飛び出してきた私にぎょっとした。
「フレン様の護衛をしながら拘束していろ!」
「うぇっ、こ、拘束!?」
「誰をですか!?」
「フレン様だ!」
「「殿下を!?」」
狼狽え上擦った声を聞きながら、私は勢いに任せそのまま走り去ったのだった。
◇◇◇
「って、最低すぎるぅぅうぐぐ」
(鋼鉄の剣ともあろう者が職務放棄……!)
王城離れの裏手にある大きな木で懸垂しながら思わず唸ってしまう。
感情で仕事仲間に迷惑をかける行為も仕事をほっぽってきてしまったということも、そして自分がそんなことをしてしまったということも全てが嫌だった。
「本当に何やってるんだろ」
「懸垂じゃないかなぁ?」
「っ!?」
思わずため息混じりに口にした一人言に返事が来るなんて思っておらず慌てて声の方を振り向くと、そこには金髪碧眼、まるで絵本の中から飛び出してきたようなキラキラの王子様の代名詞であるカミジール殿下が立っていた。
「ど、どうしてここに!」
ぶら下がっていた枝から慌てて飛び降りた私は、服に付いた葉を手で払いながらカミジール殿下の前に立ち、騎士の敬礼をする。
「ふふっ」
「……?」
そんな私の敬礼を見たカミジール殿下は、何故か小さく笑みを溢した。
(何かおかしかったかしら)
敬礼方法は間違っていないし、指先までキチッと伸ばし美しい礼になっているはず。
まさかあり得ないところに払いきれなかった葉でもついていたのか、なんて視線だけで自分の服を確認していると、そっと制するようにカミジール殿下が私の前に手のひらを向けた。
「気を悪くさせちゃったならごめんね。貴族令嬢の君がカーテシーじゃなく、迷わず騎士の礼をしたことが少し不思議で」
「!」
そこまで言われ、はじめてその事実に気が付いた。
(普通はカーテシーか!)
騎士という仕事が板につきすぎていたせいで、カーテシーというお辞儀が完全に抜け落ちていた私はじわりと顔が熱くなるのを感じ、脳内に言い訳が巡る。
「で、でもドレスじゃなくて」
(って、この言い訳は最悪だ!)
そもそも令嬢が足の形を露にするパンツスタイルを常に取っていること自体があまり好ましくない。
しかし騎士である以上騎士としての制服を着用するのは当たり前で、ならば今ここで言うべきは『勤務中ですので』だった、と頭を抱えたくなった。
(騎士の仕事を放棄したくせに)
ふと過るそんな言葉で私の心がツキリと痛む。
どっちの答えを選んでも、結局は最悪だったと自己嫌悪に陥った。
「勘違いしないで、オリアナ嬢らしくて格好いいと思っただけだから」
「私、らしくて?」
にこりと微笑みながら向けられるその言葉にドキリとする。
「真っ直ぐ伸ばされた指先までがピシッとしてて、憧れるよ」
「で、ですがその、令嬢らしくはない……ですし」
(何を言ってるんだろ)
今心がやさぐれてしまっているせいか、まるで自虐のような言葉が出てしまうが、そんな私ごと包むようにカミジール殿下は私の手をそっと握る。
「秘密だけど、実は君みたいな強くて格好いい子が好きなんだ」
『僕ね、君みたいな強くて格好いい女の子が好きなんだ!』
それはまるではじめて会ったときと同じセリフで。
(ずっと絵本の中の王子様に憧れてた。いつかそんな王子様のお姫様になるのが夢だった)
傷だらけ、剣ダコだらけのでこぼこした私だけど、そんな私をいいと言ってくれる、そんな王子様をずっとずっと待っていた。
(その王子様は)
「……私の王子様は、カミジール殿下ではありません」
きゅっと握られた手から確かに温もりは伝わるが、それでも私の胸を熱くさせるのはもうキラキラ絵本の王子様ではない。
「そのようだね」
ふふ、と少し悪戯っぽく微笑むカミジール殿下は、いつもと違いどこか少し子供っぽく――そしてそんな彼に違和感を覚える。
「実は私もオリアナ嬢と同意見なんだ」
「えっと」
(なんだろう、いつもと雰囲気が違うというか、もしかしてもしかしなくてもカミジール殿下……)
「怒って、ます?」
「まさか! 君には何一つ怒ってなんていないよ」
(それ、私以外には怒ってるやつ!)
あはは、と笑っている瞳が笑っていないことに気付きゾクリとする。
ふわふわして見えていても、やはりこの国を担う人材、一癖も二癖もあるということなのだろう。
「ね、私たち、同盟を組めると思わない?」
「同盟、ですか」
「まるごと全部にギャフンと言わせようよ」
まるごと全部、がどこまで含まれているのかわからない。
けれど。
(――そうよ、私だって怒ってるんだから)
突然カミジール殿下が現れたことで一瞬忘れかけていたが、そもそも私は怒っていたのだ。
とてもとても。どれくらいとてもかと言えば、それはもちろん……
「謹んでお受けいたします」
(ギャフンと、言わせてやりたいくらい怒ってた!)
差し出された手をガッと握り、そしてある事実に気付く。
「指が、かたい?」
「あはは、私のはペンだこだね」
「ペンだこ……」
剣を握る私とは違う部分が固くなり、デコボコとした指。
私が武力で自身を高めていたように、彼は知力で自身を高めていたのかもしれない。
(力も、そして強さもひとつじゃないってことね)
実父の魂胆を暴露し、愛する人のために婚約者の地位を降りる決断をしたスティナ様は、苛立って職務放棄するような私よりずっと強いのだろう。
(そんな強さに、カミジール殿下も惹かれたんだわ)
二人が想い合っているのだと見せつけられてももう痛まない私の胸。
私を弱くさせるのではなく、強くする恋があるのなら、手放すなんて勿体ないから。
「ギャフンと言わせて、ついでにグーで殴ってやります」
「そうだね、弟が死なない程度に手加減はしてくれるかな」
「はい、見える場所は殴りません」
「手加減と隠蔽は違うからね」
傀儡に出来ると思われている彼の本質を垣間見た私は、そんな彼の提案に乗るべく大きく頷いたのだった。