「そういえば、どうしてラスク伯爵家の黒幕がヴレットブラード公爵家だと思ったんですか?」
「おい、口には気を付けろ」
フレン様の執務室に、今日は休みだからと何故か入り浸っているラーシュを思わず叱りつける。
ここには今私とフレン様、そしてラーシュの三人しかいないが、だからと言って迂闊に口にていい内容でもなかった。
(近くに気配はないからあり得ない、あり得ないがラーシュのドジはミラクルを起こす……!)
足を滑らせ窓を突き破り、声を外に漏らすくらいのことは平気でやらかしそうだなんて考えぶるりと震える。
正直ラーシュが味方についたことで護衛難易度が上がった気がした。
だが、ラーシュを追い出すことは私には出来ない。
「ふは、いい質問だな、それはラスク伯爵家が王太子派で、そしてその王太子派のトップがヴレットブラード公爵家だからだ」
(まるで弟みたいに可愛がってるのよねぇ)
なんだかんだで令嬢人気はあるフレン様だが、その立場故か暗殺者に狙われているという状況故か、特別親しい令嬢はいない。
そして令嬢人気はあるものの令息人気はないようなので、純粋に慕ってくれるラーシュが可愛くて仕方ないのだろう。
どこか自慢気に説明するフレン様をぼんやりと眺めながらそんなことを考える。
そんな私の指には、先日フレン様から貰ったピンクの宝石がついた指輪がしっかりはめられていた。
(婚約とか、するのかしら)
恋人になった。結婚は、私の気持ちがしっかり固まるまで待つと言ってくれた。
彼の瞳の色の指輪が私の指に輝いていれば周りはすぐに気付くだろう。
王族というのは結婚にも大きな意味がある。軽々しく恋人なんて作れない立場である彼は、私をなんと紹介するのだろうか。
正直に恋人と言う?
それとも結婚前提なのだから婚約者になるのだろうか。
(まだ暗殺者の件が解決してない以上護衛の仕事に集中したいし結婚は先だけど)
婚約くらいならいいのでは。ふとそんな考えが頭を過り、じわじわと頬が熱くなる。
自分で指輪を受け取ると決めたくせに、どこか現実味がなくふわふわしているのは実感がまだついてこないからだ。
だって簡単には信じられない。これがもう勘違いじゃないだなんて。
(あれだけもうそんな甘い言葉には乗らないって決めてたのに)
結局頷いてしまったし受け取ってしまったし、それに。
「……好きに、なっちゃったみたいだし」
ポツリと溢れる本音に慌てて口を閉じる。
浮かれている。
私は今絶対浮かれている。
(もっともっと気を引き締めないと!)
ぽわぽわしてる間にうっかりフレン様を暗殺されるなんて断固拒否だ。
騎士としても、こ、恋人としても断固拒否。
「え? でも、だったらシンプルに王太子様が黒幕って可能性はないんですか?」
「なっ!」
自分の思考にどっぷり浸かっていた私だったが、ラーシュのその発言にギョッとする。
「だ、だから口には気を付けろと言って……!」
「いや、それはないな」
「えー、なんでですかぁ?」
何故か不満そうな顔をするラーシュの口を今度こそ閉じさせなくてはと動き出した私より先に、フレン様が何故か得意気な顔をした。
「そんなの、兄上が俺を殺したいはずないからな」
「え、なんの自信ですか? 王族の兄弟って一番裏ありそうじゃありません?」
その謎に自信たっぷりなその宣言に、内心ラーシュの発言に頷いてしまう。
しかしそんな私たちの心配など杞憂だと軽く首を振ったフレン様は。
「何故なら俺は兄上が好きだし、兄上も俺を愛しているからだ」
なんて堂々と言いきった。
(アッ、そういやこの人ブラコンだったわ)
ふとそんな答えにたどり着き、私は思わずため息を吐く。
(信じることはいいことだし、私もカミジール殿下を疑ってはいないけど)
誰よりも優しく公平なまさに理想の王子様。
そんな彼に裏の顔があるなんてとても思えないが、けれどフレン様の護衛としては誰であろうと疑うべきだ。
フレン様が疑わないなら私が疑うしかない。そう考え表情を引き締めた私とは対照に、キラキラとした表情になったラーシュに愕然とする。
「ラーシュ、まさか今の説明で納得してないよな?」
「えっ? レリアット教官はこの曇りなき眼を疑ってるんですか?」
「私は立場としてすぐに信じるべきではないと言いたいのであって、とりあえずお前は城内五周だ行ってこい!」
「えぇっ、俺今日休みなのにぃ」
たるんでるぞ、と叱りながらそう命ずると、しぶしぶラーシュが執務室を後にした。
「ははっ、しっかり教官だな」
「そんなことありません、一人で行かせたせいで誰かを巻き込んだドジをしないか既に後悔しております」
「ドジは……まぁ、置いといて。俺はオリアナと二人っきりになれて嬉しいけど」
「なッ!」
にこにこと向けられた笑顔がなんだか眩しい。
(くっ、これが想いが通じ合ったってことなの……!?)
ゆっくり近付いてくるフレン様から逃げたいような、けれど抱き締められたいような複雑な感情が胸をぐるぐると巡り、けれどやっぱり抱き締められたいかも――……!
「失礼します!」
「うわぁぁあ!!」
「ぐはっ」
「ど、どうしたんですか」
「別に!?」
「いや、絶対なんかあったでしょ」
床にひっくり返っているフレン様に視線を向けたトリスタンが固まり、その気まずさから視線をズラしてはじめてトリスタンの後ろに誰かがいることに気が付いた。
「おい、誰か来て……」
「大変ご無沙汰しておりますわ、オリアナ様」
「ッ」
(スティナ様!?)
ふわりと微笑みを振り撒きながらトリスタンの後ろから顔を出したのは、間違いなくカミジール殿下のご婚約者様であるスティナ様である。
(フレン様いわく、黒幕候補……!)
彼女が関わっているのか、そもそも本当に彼女の家が黒幕なのかはわからないが、だがそれでも今一番警戒しなくてはいけない相手がそこにいた。
無意識にごくりと唾を呑んでしまう。
「突然来てしまってごめんなさい。オリアナ様とはカミジールに紹介して貰った時以来ね」
「そうですね」
(何が目的なのかしら)
「あの時、即答で私の護衛を断られた時は驚いたけれど……ごめんなさい。貴女がカミジールのことを好きだったと知らなかったの」
「!」
忘れかけていた古傷を鋭い爪で引っかかれたような痛みが私に走る。
正直何故今さらこんなことを掘り返すのかと思わなくもないが、彼女が本当に辛そうな顔をしていたので何も言えなかった。
「それで、俺たちに何かご用ですか?」
「フレン様」
気付けば起き上がっていたフレン様に肩を引き寄せられドキリとする。
そんな私たちの様子に少し驚いた様子のスティナ様は、さっきより暗い顔になった。
「フレンシャロ様にお話があって参りましたの」
「俺にですか?」
「あなたたち二人は、まだ正式な婚約を結んではいないわね?」
スティナ様の質問の意味がわからず、思わず私とフレン様が顔を見合わせた。
(確かに正式な婚約はまだ結んでないけれど)
決して婚約をするつもりがない訳ではないと、私の指に輝く指輪が証明していたのだが、その指輪をチラリと見たスティナ様はそれでも話を続けた。
「本来は私ではなくカミジールの婚約者は貴女だったと聞きました」
「それは」
違う、とは断言できなかった。
色んな悲しい勘違いが重なり、結果婚約は我が家の方から断った形になったが、もしその勘違いが無ければ確かに私が婚約者だったのは確かだったから。
「ですが今婚約されているのはスティナ様で、それに私はフレン様を」
「王族の結婚は感情では決まりませんよ」
「ッ」
(それは、そうなんだけど)
ふわふわと見えていたスティナ様に思わず気圧されてしまう。
だが、感情で決まらないなら尚更何を言いたいのかわからず戸惑っていると、彼女は真っ直ぐ私へと視線を合わせた。
「貴女に、婚約者の地位をお返しします」