――気のせいかもしれないが、最近ふと思うことがある。
「オリアナ、喉乾いたか?」
「あ、そうですね。少し」
「わかった、貰ってくるからちょっと待ってろ」
にこりと笑ったフレン様が、私の頭をぽんと撫でて立ち上がる。
「あっ、飲み物でしたら私が……!」
「オリアナはメイドじゃないだろ。貰ってくるからもう少し休んでおけよ」
そしてそんなことを言い残して行ってしまった。
「確かに私はメイドじゃないけど」
(フレン様だって別にメイドじゃないじゃない)
というか王子。
主に仕えられる方。
ちらっとメイド服を着たフレン様を想像した私は、案外似合いそうだと思ってしまう。
「フレン様はノリノリで着そうよね?」
……なんて。
――甘い。
どことは言えないが、フレン様が何か甘い気がするのだ。
「き、気のせいよね」
なんて自分に言い聞かせる。
「……って、一国の王子が護衛騎士のために飲み物取りに行っちゃった!?」
自身の思考にうっかり潜っていた私は、そのとんでもない事実に気付き、大慌てでフレン様を追いかけ厨房へと向かった。
そんな日から数日。
(あの時は気のせいだって流したけど)
「オリアナ、これ食べてみるか?」
「いえ、勤務中なので」
「そうか。じゃあ包んで貰っとくよ」
「オリアナにこの髪留め似合いそうだなって買った」
「えっ、わざわざですか?」
「いいだろ、気付いたら買ってたんだから。ほら、ん。可愛いな」
「ちょっと庭園を歩かないか?」
「お供いたします」
「デートだな?」
「はぁ?」
「デートだろ、俺は楽しいよ」
「はぁ」
(なんか、なんかやっぱり甘い気がするんだけど!?)
なんだか調子いいところばかりが目立っていたフレン様だが、その本質は元々優しかった。
話は聞いてくれるし、対応もしてくれる。
決まった側近を作れなかったという理由もあって、一国の王子なのに変に自立しておりそこが頼れる雰囲気を出していた。
(この平和な国で唯一命を狙われがちっていうマイナスポイントが目立ってるけど)
トロトロは相変わらず理解できないが、今ならば令嬢人気がある理由もわかるというもの。
そんなフレン様が、何をどうしたのか絶対私に甘くて戸惑いが隠せない。
「では、本日はこれで失礼致します」
「あ、オリアナ」
「はい? まだ何か――」
「おやすみ」
「……はい、おやすみなさい」
ふわりと柔らかい笑顔を向けられ、ドキリとする。
しかも変わったのはそれだけではなかった。
「あの、手、離して貰わないと帰れないのですが」
「なぁ、本当に帰っちゃうのか?」
「え? それは……」
「泊まってけばいいじゃん」
「いや、でも」
「結婚するまで何もしないから」
「そんなの当たり前というかそもそも結婚どころか婚約すら――わっ」
まるで捨てられた子犬のように私を覗き込んだフレン様は、くいっと手を引きそのままぎゅっと私を抱き締める。
「オリアナ」
「う、うぅ……!」
(絶対計算! 計算だってわかってるけど……!!)
「じ、じゃあもう少しだけ……っ」
どうしてこうなったのか、何がなんでこうなったのかもわからない。
わかるのは、何故か私が“嫌じゃない”ということだ。
「こんなのいいはずがない、緩んでる……っ、頭のネジも緩んでる……!」
「心の声か? 漏れてるって」
「漏らしてるんです!」
「ふはっ、なんつーパワーワードだ。外では言うなよ?」
くすくす笑いながら目の前の書類に目を落とすフレン様は、どこからどう見たって私が守るべき対象。
少し力を入れるだけで壊れそうな、そんな相手。
「簡単にへし折れるのに」
「どこを!? 腕か!? その発言で俺の心はへし折れそうだが!」
焦った声色が執務室に響くが、そんなフレン様の腕をへし折る気にはならず、守らねばならないと思う反面頼っていいのではないかと気が緩んでしまう。
「ま、オリアナがどうしてもって言うならそれでもいいか」
「へし折っても、ですか」
「出来ればへし折るのは心までにして貰いたいが、まぁ……俺はそんなオリアナがいいんだからな」
「私でも、ではなく?」
思わず拗ねたような言い方になってしまうのは、一人空回り選ばれなかった過去があるからなのか。
(我ながら面倒くさいけど)
少し沈みそうになる私を、ふはっとフレン様は笑い飛ばしてくれた。
「オリアナが、で合ってるよ」
戸惑いつつも、そんなフレン様にぽわわんとしたものが私の心から溢れる。
こんな風に穏やかな日常を過ごすのも、ひとつの幸せというやつなのだろうと私は思ったのだった。
―Fin―
「――って、絶対まずい!!!」
その日の業務のためにいつもの騎士服へ着替えた私は、カッカッとブーツの踵を鳴らしながらフレン様の待つ執務室へ向かうため王城内を歩きつつ頭を抱える。
(緩んでる、緩みすぎてる! 甘やかされるとぽわわんとしちゃう理由もわからないし……!)
このままじゃまずい。
絶対にまずい。
得た理由はともかく、それでも『最強の騎士』という称号は私の誇りであり私を位置付けるものだ。
「というか、最強じゃなきゃフレン様をお守り出来ないのに!」
まだフレン様に対する暗殺未遂の犯人が捕まっていない。
結局前回も小者すぎて外れだった。
この王城にまで暗殺者を忍び込ませられる立場の人間か、それほどの暗殺者を雇えるほどお金に余裕がある人間か――
それすらもわからない状況に対応出来るだけの力を私は常につけておかなければならないのに、何故か最近フレン様といると流され気が緩んでしまう。
「せめて気を引き締めるために訓練を増やさなきゃ……!」
「丁度良かった! なら、お願いしたいことがあるんだ」
「か、カミジール殿下っ!?」
頭を抱えていた私に声をかけてきたのは、この国の王太子であり、現在護衛騎士として仕えているフレンシャロ殿下の兄君であるカミジール・ル・シャトリエ殿下だった。
(なんでここにカミジール殿下が?)
どちらかといえば仲の良いご兄弟だ。
わざわざ離宮まで会いに来た可能性もあるが、それにしては声をかけられた場所がフレン様の執務室よりも護衛騎士に就任した時に与えられた私の部屋に近くて思わず首を傾げる。
「実はオリアナ嬢に頼みたいことがあるんだ」
「私に、ですか」
にこりと微笑むその顔は眩しく、そしてやはり絵本の中の王子様みたいで。
(本当、フレン様とは違うなぁ)
そんなことをぼんやりと考えながら聞き、そして以前の私ならずっと慕っていた王子様に声をかけられれば一瞬で舞い上がっただろうことにも気が付いた。
(胸も痛まない。まさか私、いつの間にかカミジール殿下じゃなくフレン様を――)
「忙しいことはわかってるんだけど」
「(そ、そんなことあるはずないじゃない!)」
「えっ? えっと、案外今スケジュールに余裕あるのかな?」
絶対違う、散々拒否しておいて今さらフレン様にちょっと揺らいでるなんて。
「(ちょっと私でもいい、じゃなく私がいいって言われたからって)」
「確かにこれはオリアナ嬢だからこそ頼んでいるんだ」
あんな本気かもわからない甘い言葉とか信じてもう痛い思いとかしたくない。
甘い言葉はもう乗らないと決めたのだ。
フレン様から向けられる言葉がどれだけ心地よく聞こえても、簡単に信じていいことなんてなかったじゃないか。
「(だからすぐに頷くとかしない!)」
「そ……うだよね、確かに仕事もあるしすぐに了承の返事は貰えないよね。じゃあまずフレンに聞いてみるね」
「(そうよ! まずフレン様に――)……って、え?」
ハッと気付いた時にはもう遅く、にこりと微笑んだカミジール殿下はしっかり頷き、そして相変わらず穏やかで優雅な足取りで歩いていってしまう。
ひとり廊下に残された私は、何度もフレン様に「漏れてる」と言われていたことをぼんやりと思い出していた。
「も、もしかして口に出してた……?」
そんな、まさか。まさかまさか。
その可能性に思い至った時、私はただただ青ざめたのだった。