「実はオリアナに言わなくてはならないことがあります」
あのトンデモ一夜の大事故が起きたその翌日。
畏まったフレン様のその言い回しにドキリとした。
(え、な、何……?)
主たるシャトリエ国の第二王子たるフレンシャロ殿下。
そんな彼の護衛として働いている私はついこの間そんな主と雑魚寝をした結果、何故か閨を共にしたというレッテルを貼られてしまった。
王子と貴族令嬢。
主人と護衛。
(この関係性で責任を取るのはフレン様だと思ったのに、なんでか私が責任取らされそうになっているし!)
しかも、責任の取り方が結婚。
王子様の閨に忍び込み既成事実を盾に結婚を迫る貴族令嬢はいても、どこに王子様から責任を取って結婚を強要される貴族令嬢がいるというのか。
しかも相手はただの護衛騎士。そもそも護衛騎士としてこんな過ちを犯したところが失態なのだが、それにしたって、である。
そう思ったからこそ、なんとか有耶無耶に流した昨日。
そして呼び出された今日。
何を言われるのか、まさかの第二ラウンドなのかとごくりと唾を呑んだ私に告げられたのは。
「……私財が、尽きました」
「……はい?」
という、ある意味あまりにも深刻すぎる一言だった。
「えーっと、それ、私のお給料が出せませんとかそういうことでしょうか?」
「オリアナは父上も認められている専属護衛だからな。ちゃんと予算から出るからそれは大丈夫」
「なら、えーっと、えーっと?」
想像もしていなかった内容に戸惑って何も言葉が出てこない。
私財ってなんだ。他の予算と分けているということは国民の税から成っているものではないフレン様の個人的な財産があり、それが尽きたということなのだろうか。
「えーっと、その、なんで突然……?」
「ちょっと訳あって、ミネア伯爵家から大量にお酒を購入することになってな……」
「えっ」
(ミネア伯爵家って、先日フレン様のパートナーとして出席したお茶会の……!?)
「そ、そのお酒を大量にですかっ!?」
「そうだが」
あのお酒は危険だった。たった一口で気付けば私は護衛対象に抱きかかえられ介抱されるという失態を演じてしまったのだ。
そしてあのお酒をもしピンクネオンなエロマンスの王子であるフレン様が飲んだならば。
「……臣下として畏れながらアドバイスがございます」
「いいだろう、言ってみろ」
「自衛は、最低限されるべきですッ」
「※ただしオリアナを除く」
「変な注釈つけないでいただけますか!?」
真剣な表情で何言ってるんだこの王子。とか思うが、そもそも真剣な表情で何言ってるんだ私、というブーメランに頭を抱えうんうんと唸る。
そんな私の様子を暫く見ていたフレン様は、ふっと小さく笑った。
「安心しろ、オリアナに飲ませたくて買ったんじゃねぇよ。まぁ暫く王城開催の夜会ではメインで出されるけどな」
その一言に少しだけ安堵した私は、王城開催の夜会で出すお酒を何故フレン様が私財で買ったのかという疑問にまでやっと戻り、相変わらず敏いフレン様が私の思考を切るように両手をパンと大きく叩いた。
「と、とにかくっ!! 私財が尽きたなら、することがある」
「はぁ」
ごほん、と咳払いをしたフレン様は、さっきまでのゆるっとした雰囲気を一瞬で消し主の顔をする。
「オリアナ、仕事だ」
「ッ、は!」
そんな彼に、私もピシッと姿勢を正した。空気が一瞬で引き締まり、私もじっと命令を待つ。
まさに王族だ、と改めて実感させられひりついたこの空気に気合いを入れた私は、護衛として、そして臣下として、主たる彼からの命を待った、その、結果――
「はーい! おひとつですねっ、お買い上げありがとうございまぁす」
「……れ、レン、様」
「こらこら、恥ずかしがってんのか? リア。新婚夫婦に様なんていらないだろ?」
「う、うぅ」
(何故だ、何故こんなことになったんだ)
私をリア、と呼ぶのはもちろんフレン様。
そしてフレン様をレンと更に縮めて呼び捨てを強要してくるのももちろんフレン様。
更に。
「……あの、私たちは何をやっているんでしょう」
何故だか『新婚夫婦』という皮肉でもきかせたようなトンデモ設定が付け足された私は、いつもの騎士服という正装を脱ぎフリフリのエプロンドレスとベレー帽を被ってフライパンを握っている。
「ポップコーンを売ってるな」
「だからそれがなんでッ!」
そして気付けば私のエプロンドレスと似た少しフリフリのエプロンと全く同じベレー帽を被ったフレン様は、城下町でポップコーンを売っていた。
(なんでぇ……? どうして一国の王子が町でエプロン着けてポップコーン売ってるの……?)
ついでにそのポップコーンを作っているのが私。
私に作り方を教えたのはフレン様。
作り方も手慣れていた彼は、信じがたいが売り方も手慣れており、そして町の人々も買いなれていて。
「あ! 久しぶりにお店出してるの?」
「そうなんだ、また来てくれてありがとな」
「えっ、今日は一人じゃないんだ!?」
「そうなんだ、彼女はリアだよ。リア、こっち」
にこにこと手招きされ、冷や汗を滲ませつつなんとか作り笑いを貼り付ける。
「俺の奥さんだよ、可愛いだろ?」
「りっ、リア、だ……よ、よろしくなね」
騎士団のみんなと接する時のように『よろしくな』と言うべきか、可愛らしく『よろしくね』と言うべきか迷った私はかなりガチガチの変な言葉遣いで挨拶をしてしまうが、それでもフレン様がにこにこしていたからか、目の前のお客さんもにこにことしている。なんだ優しい世界か。
「人見知りで緊張してるみたいだ」
「そうなんだ。じゃあ今日はお祝いに二個買っちゃおうかな」
「やった、毎度あり!」
その言葉を聞いたフレン様は私がせっせと作ったポップコーンをササッと紙袋に入れて手渡し銅貨を四枚受け取った。
手慣れている。
何から何まで手慣れている。
(これはどう考えてもはじめてじゃない)
しかも一人じゃないんだ、と言われているということは、以前は一人で販売していたのだろう。
護衛もつけずに。
「ほんっと、どういうことですか!?」
先ほどのお客さんが見えなくなったタイミングで慌ててフレン様に詰め寄ると、きょとんとしたフレン様と目が合った。
そして、何故か私がおかしなことを聞いたかのように小首を傾げてくる。
「……出稼ぎに来ただけだけど?」
「まさかポップコーンで私財を!?」
(王城の夜会で出せるほどの量のお酒を買えるそのお金を、まさか本当にポップコーン一本で稼いだの!? というか一人でこんなことをしていたの!?)
もうどこからツッコめばいいかわからずガンガンと頭が痛む。
確かに、実際いくらあったのかは知らないがあの量のお酒を買えるだけ稼ぐなら、夜な夜な令嬢とエロマンスなことは出来ないだろう。
まさか半信半疑だった『フレン様ははじめて』という事実が、ここにきて一気に現実味を帯びるとは。
「リア?」
「なっ、なんでもないですッ!」
流石に失礼すぎる考えが頭に過り、以前のようにうっかり口から漏れなかったことにホッとした。
そんな私の背後から、突然パンパンと乾いた音が響き反射的にフレン様の腕を掴んで背に庇う。
すぐに音の方を確認すると、そこには呼ばれる前にセットしたフライパンがあった。
あぁ、そうだ。私は今ポップコーンを作っているのだ。最強を誇るこの鋼鉄の剣がポップコーンを、だ。
「お、そろそろ次の出来るな」
「この音、慣れないんですが」
「大丈夫。すぐに焦げない音の区別がつくようになる」
(違う、圧倒的にそうじゃない……!)
暗殺者に狙われているくせに一人で無防備に出稼ぎしていたことも、割りと大きな音が出るポップコーンのせいで他の音がよく聞こえないという状況も。
(この王子様、狙われている自覚あるの!?)
なんて頭を抱えた私は絶対に悪くないだろう。
せめて警戒出来るよう音の出ないものでお金を稼いで欲しかった。
「な、なんで本当にこれ選んだんですかぁぁっ!」
護衛泣かせの現実に、私はただただ嘆いたのだった。