「オリアナを専属にした結果、想定外に近付こうとする令嬢が増えたんだ」
ポツリポツリと口を開くフレン様の声に、飛ばしそうになる意識をなんとか保ち必死で耳を傾ける。
「辺境伯家と縁を結ぶのを阻止したい奴らが増えたのか、単純にいつもの俺への暗殺任務なのかわからなくてな。周りの反応を見たくてオリアナにドレスを着て貰った」
(ドレスを?)
何故あえてドレスじゃないといけなかったのかがわからず、怪訝な顔をしてしまう。
そんな私に気付いたフレン様がふっと笑った。
「パートナーとして参加して貰えば、結婚を阻止したい奴らは絶対焦るからな。見極めるチャンスだと思ったんだ」
「焦る、ですか?」
体の熱さで思考がまとまらないせいか、フレン様の言っている意味があまりピンとこず繰り返して聞いてしまう。
そんな私に嫌な顔ひとつせず、頷いたフレン様は再び口を開いた。
「暗殺は、パートナーとしてオリアナが傍にべったりいてくれるから考えないとして。出された飲み物が毒なら俺が辺境伯家と縁を結ぶのを阻止したい、つまり俺を邪魔だと思っている敵側の人間」
(フレン様って、唇もピンクなんだ……)
分かりやすく噛み砕いて説明してくれているのだろうが、何故だろう。
全然頭に入ってこないどころか、ゆっくり動く唇から目が離せない。
なんとか耳だけでも話に集中しないと、その瞳と同じピンク色の唇に吸い寄せられそうで怖かった。
「出されたのが媚薬の類なら、俺が婚約者を正式に発表する前に自分の娘とワンチャンを狙ったはた迷惑だが一応敵とは断言できない人間」
「なるほど」
(当たり前だけど呼吸してる……悩ましく見えるのが悩ましい……)
話を聞いていたフリをし頷いてみるが、相変わらず釘付けになっている唇から溢れるその吐息にごくりと唾を呑んだ。
「命を狙われている以上、最低限敵味方の把握はしなくちゃならないと思っての行動だったんだが」
一度言葉を切ったフレン様は、私の視界も遮るようにぐいっと顔を近付けてくる。
その整った顔が近付くだけで、私に流れる血液が沸騰するように感じた。
「……まさか狙いが俺じゃなく、オリアナとワンチャンだったとは想定してなかった。いや、毒じゃなかったことに感謝しなくちゃだが、そもそもお前が令嬢人気が高いことをちゃんと理解していなかった俺の責任だ、すまない」
「え!? いえ、制止を聞かず飲んだのは私ですから」
いきなり頭を下げられ、熱に浮かされていたとはいえ流石にハッとした私も慌てて頭を下げようとしたのだが、それをフレン様がそっと遮る。
「だからせめて、責任を取ろう」
「……は?」
言われた意味がわからずぽかんとするが、そんな私にお構い無しでフレン様の手のひらがそっと肩を撫でる。
触れられたのは肩で、そこは騎士仲間が勝手に組んできたりも散々してきた場所。
今までも特に、何も意識なんてしたことはない場所……だったのに。
「ひゃっ」
思わず私の口から溢れた声に、私自身が一番驚いた。
「苦しいだろ、大丈夫だから」
「やっ、なに……っ」
ビクビクと反応する体に戸惑っていると、肩を撫でていたフレン様の手のひらがそっと鎖骨に触れる。
普段の騎士服ならば首もとまでしっかりと隠れているのだが、今日はドレス。
がっつりデコルテが露出しているせいで、素肌に直接触れるフレン様の手の感触に私の呼吸が荒くなった。
(な、なに……っ、これ……!)
ゾワゾワと体中を何かが走り、目の前がぐらりと揺れる。
素肌に触れられるだけでこんな風になると思わなかった私は、この感覚に堪えて平然としている世の令嬢が実は最強だったかと震えた。
「上には上が……っ、いるってこと……!?」
「だが俺の手は下がります」
「は……、ぁあっ!?」
おそらく噛み合っていないだろう会話を適当にしながらフレン様の手のひらが、宣言通り鎖骨からするりと下がり私の背中にゆっくりと触れる。
そして反対の手が、私の頬を滑り顎をそっと撫で、そして口腔内へと入れられた。
「ん、んぐ……!」
「安心しろ、これは治療だ」
「ぐぅ、うぅう……っ」
背中に触れる手が少し強く押さえるように動き、何度も擦る。
前かがみにされ、ゆっくりとフレン様の指が私の舌に触れ更に奥へと進んだ。
これはアレだ。完全に――
「吐いたら楽になるからな!」
(誰が主君の手を使って王妃様のドレスを着たまま嘔吐する護衛がいるのよーッ!)
最悪だ。失態だ。最悪の失態だ。
嘆きながら半泣きになり掛布を頭からすっぽりと被る。
「この成分を調べてくれ」
「う、うぅぅぅ!」
耳だけはそばだててフレン様の声を聞いていたが、どうやら私が吐いたそのドレスごと私の飲んだロゼの成分を調べるための検査へと回されたらしい。
屈辱にも似た感情を抱えつつ、せめて王妃様のドレスが元の美しいドレスに戻ることだけをただただ願った。
「泣きすぎじゃないか? ただ吐いただけだろ」
「フレン様にデリカシーはないんですか!? うぅ、いきなり吐かされた私の身にもなってくださいよ! せめていつもの騎士服だったらこんなに罪悪感だってなかったのにぃッ」
完全に八つ当たりの勢いでそう文句を捲し立てる。
そもそも主君の前で失態を犯したのは自分だ。
「まぁ、兄上に見られなくてよかったんじゃないか?」
慰めるように団子のように掛布の中で丸まっている私の背中をポンと叩いたフレン様の、その言葉に思わず口ごもる。
確かにこんな姿、カミジール殿下には見られたくない。けれど、フレン様にだって見られたくなかった。
(誰にも見られたくないに決まっているのに、何を言ってるのよ)
「相手が俺でよかったと思って諦めろ」
「いいわけないですよ! フレン様にだって見られたくありませんでした!」
「でもどちらかと言えば俺の方がマシだろ?」
「はぁぁ?」
カミジール殿下とフレン様。
どうしてここでしつこくカミジール殿下の名前が出るのかわからないが、だが主君の言葉を無視するわけにもいかず仕方なく想像する。
どちらにより見られたくないか。そんなの。
「フレン様に見られたくない気持ちの方が大きいです!」
「え、だが普通は好きな相手により見られたくないと」
「そうですけど! でも、これから付き合ってくのはフレン様じゃないですか」
そう断言すると、まん丸に見開かれたそのピンクの瞳と同じくらいフレン様の頬がじわりと赤らんでドキリとした。
「それって」
「だ、だってそうじゃないですか。私はフレン様の護衛騎士ですし、これからも側にいるのはフレン様っていうか」
(ど、どうしてなの、当たり前のことを言ってるだけなのになんだか無性に落ち着かないんだけど)
そもそもなんだあの表情は。
私はただ直属の上司に弱みを握られたみたいでいやだということが言いたいだけなのだ。
それなのにそんな表情をされたら、なんだか勘違いしてしまいそうになる。
(く、これがピンクネオンの力なの!?)
「俺ハニトラはかける側であってかけられる側じゃねぇんだけどなぁ」
ぼそりと正気を疑う声が聞こえ、丸まっていた体を思い切り起こすと、反対に私の隣にフレン様が横に寝ころんだ。
「な、なんで隣に」
「だってここ俺のベッドだし」
「そ、れは……そうでした。すぐに出ていきます」
羞恥から隠れるようにベッドを借りていた私は、主君のベッドを占領していたことに改めて気付き慌ててベッドからおりようとする。
だが、おりようとした私の手を掴み、そのままベッドへと引き戻そうとされた。
ちなみにされた、という表現なのは、残念ながら私とフレン様だと私の方が圧倒的に強く、結果引きずられベッドから落ちそうになったのがフレン様だったからである。
「えーっと、何がしたいいんですかね」
「このベッドは広いし」
「はぁ」
「ふたりで横になっても十分だし」
「はぁ」
「まだオリアナは体調が万全でないし」
「フレン様を引きずるくらいは出来ますが」
「せめてそこも『はぁ』にしてくれ」
「はぁ」
もごもごと言葉を重ねるフレン様に怪訝な顔を向ける。
寝るなら他人、しかも護衛は邪魔だろうに、何故引き止めたがるのかわからない。
そして私がわかっていないことがわかったのだろう。
「心配だからここにいろって言ってる!」
(言ってませんよ!)
何故か怒鳴るようにそう告げられ、内心反論するが、私に引きずられベッドでうつぶせになっている彼の耳が赤いことに気付き口にはしなかった。
(フレン様も、罪悪感を感じてるってことかしら)
この作戦はそもそもフレン様のものだ。
私に相談だってしてくれなかった結果、今こんな状況になってしまっている。
だからこそ、一応は心配してくれているということなのだろう。
(仕方ない、か)
どうせ私の貞操はどう考えても自力で守れる。
寝ていてもいつでも対応できる訓練だってしてきたし、そもそも引き留めようとして引きずられる主君だ。
いや、それは私がただ強すぎるというだけだけど。
はぁ、と大きくため息を吐いてフレン様の方へと向き直る。
「だったらせめてベッドに直角に寝ころばないでくださいよ」
「引きずって直角にしたのはオリアナだ――って、え?」
「言っときますけど、私が病人だからですよ」
病人も何も、吐いたらすっかり体調は回復したし今残っているダメージは主に心のダメージだ。
だからこそこんなに元気な病人いるかという返しが来るかと思ったが、そんなつっこみは入らない。
それどころか、安心したようにほっと息を吐いたフレン様がいそいそと体勢を整える。
(普通はこんなの、絶対許されないのに)
護衛だからというより、そもそも王族のベッドでただの護衛が一緒に寝るなんてあり得ない。
だが、どこか嬉しそうなフレン様にそんなことは言えなかった。
(まぁ、野営だと思えばなくはないわね)
場所の違いはとんでもないが、野営では雑魚寝が基本だ。
騎士としてそういった訓練も何度も経験したし、それと同じだと思えばいいだけだろう。
そう無理やり自分を納得させた私は、ふかふかのベッドに身を委ねたことですぐにウトウトとしてしまったのだった。