小さな頃からの憧れは絵本で見たキラキラの王子様。
周りがどんなに笑ったとしても、私の夢は白馬に乗ったキラキラ王子様のお嫁さんになることだった。
そしてそんな幼い夢が現実味を増したのは、私が十二歳の時。
「僕はカミジール・ル・シャトリエ、よろしくね。オリアナ嬢」
「よ、よろしくお願いします、カミジール殿下……っ」
私の前に突然現れた、金髪碧眼のまさに絵本の中から飛び出してきたかのような男の子は、このシャトリエ国の第一王子だったのだ。
(私が、婚約者候補……)
代々多くの騎士を輩出してきたレリアット辺境伯家の長女である私に、そんなキラキラ王子様との婚約話が持ち上がったのだ。
事前に父から説明されていたが、改めて目の前にするとそのキラキラ眩しいほどの理想の王子様にドギマギしてしまう。
四歳年上の王子様は、突然の理想形である存在が目の前に現れたことでもじもじと父の後ろに隠れてしまった幼い私にもとても紳士的だった。
「怖がらなくてもいいんだよ、一緒に遊ぼう?」
ふわりと微笑み手を差し伸べてくれ、どきりと胸が高鳴った私は反射的にその手を取ろうとしたのだが――
「っ、ダメ……!」
「痛っ」
「オリアナ!」
――パシッ、と乾いた音がその場に響く。
振り払った私の手が、思い切り王子様の手を叩いてしまったのだ。
そして私はすぐに自分がしてしまった行動に青ざめた。
(王子様になんてことを!)
「ご、ごめんなさいっ、ごめ、ごめんなさいぃ……っ」
思わず視界が滲み、ポロポロと涙が溢れてしまう。
そんな私を見た王子様は、手を叩かれたというのに怒る素振りなど見せなかった。
「泣かなくても大丈夫だよ。それより、どうしてダメなの?」
そっと涙を拭ってくれた紳士的な彼がやっぱり絵本の中から飛び出してきた王子様のように感じた私は、泣きながらそっと彼の前に手のひらを差し出し見せる。
「汚いのです、わたっ、私の手は、マメだらけなんです……」
代々騎士を輩出してきたレリアット辺境伯家の長女である私も、例外なく騎士になるために日夜剣を握っていた。
その結果、わずか十二歳の私の手のひらはマメができ、潰れ、そしてまたできたマメでカチカチのでこぼこだったのだ。
(絵本の中のお姫様の手はこんなじゃなかったもの)
彼が完璧な王子様であればあるほで、この汚く雄々しい手のひらを見られることが恥ずかしい。
気付けば私えぐえぐと嗚咽を漏らす私。
けれどそんな私の手のひらを両手でぎゅっとカミジール殿下は握ってくれたのだ。
「どうして? すっごく素敵な手だよ! だってオリアナ嬢が頑張った証だもの」
屈託のない笑顔を向けられた私は、そんな彼に驚いてさっきまで流していた涙がぴたりと止まる。
私が恋に落ちるのは一瞬だった。
(す、好きっ! しゅきしゅきしゅきぃ!)
「それにね、内緒なんだけど」
しっと人差し指を唇に持ってきたカミジール殿下は、どこかいたずらっ子のような表情に変える。
そして私の目の前にかがんでにこりと笑った。
「僕ね、君みたいな強くて格好いい女の子が好きなんだ」
隣に立っていた父にも聞こえないくらい小さな声で、そっと私だけにそう教えてくれる。
伝えられた内容は、まるで雷に撃たれたような衝撃を私に与えた。
「強い、女の子が……?」
(王子様が強さを望んでるんだわ)
幸いにも私は強さには定評のあるレリアット辺境伯家の娘。
(やっぱりこのでこぼことした固い手は好きにはなれそうにないけれど)
それでも私の王子様が望むのなら。
「わ、わたしっ、もっともっと強くなります、王子様に相応しくなるために! この国一番の騎士になります!」
「騎士になって、強くなって相応しく……? え、えっと、それって、隣に、じゃなくて背中を守るってこと……?」
「はいっ!」
(全方位死角なくわたしがお守りするわ!)
もちろん、妻として。
騎士の家系に生まれた私にとって強いということは騎士であるということ。
私にとってその言葉はただ当たり前の事実を告げただけだった。
だから気付かなかったのだ、王子様のお嫁さんは騎士を目指さないということを。
ボソッと、『そっか、隣じゃなくて背中か……』なんて呟きが聞こえたが、その時の私にはその違いもあまりわからなかった。
――そしてこの約束を心の支えに、鍛練に勤しみ実力をつけて十年。
「きゃあっ! 鋼鉄の剣よぉっ!」
「素敵~っ! こっち向いてぇぇ!」
レリアット辺境伯家を出て、王宮騎士団でメキメキと頭角を表した私、オリアナ・レリアット、二十二歳。
先日の騎士大会で女ながらに優勝を決めた私は、名実ともに『最強の女』にまで上り詰めていた。
「流石オリアナだな、鋼鉄の剣様の人気にあやかりてぇよ」
「なぁ、遊んだ女の子でいいし誰か回してくれねぇ?」
「下品過ぎて斬る価値もないぞ!」
「さっすが、鉄壁潔癖腹筋鋼鉄ぅ」
第一王子であり現在では王太子になられたカミジール殿下の婚約者ではなく、何故かこのシャトリエ国の令嬢人気ナンバー1の女騎士、それもどこから名付けられたのか『鋼鉄の剣』なんて厳つい二つ名まで出来てしまっている。
(同僚は完全に私を女ではなく男……というか、令嬢を釣る餌だと勘違いしてるし、なんなんだッ!)
「大体! そんなに令嬢に笑顔を向けられたいのならば跪き赤い薔薇でも渡せばいいでしょっ」
「うーわ、出た出た、オリアナのロマンチック夢物語」
「なっ!」
同僚騎士は呆れたようにため息を吐くとくるりと背を向ける。
(ため息を吐きたいのはこっちの方なんだけどっ)
苛立ちながらタオルを手に取った私は、少しでも女らしくいられるように伸ばしている長い髪を払い顔をガシガシと乱暴に拭った。
「お前な、女らしくなりたいのか男らしくなりたいのかどっちかにしろよ」
「団長!」
失礼な同僚騎士と入れ替りでいつの間にか来ていたのは、この王宮騎士団の団長。
「オリアナ、呼び出しだ」
「呼び出し?」
「あぁ、カミジール殿下が直々にお呼びだ」
(!)
それはまさに人生二度目の雷に撃たれたような衝撃だった。
(と、とうとう、とうとう『強い女』として認められる時が来たんだわ)
婚約者候補になって早七年。
遠くからお見かけすることはあっても言葉を交わすことは叶わなかった。
何故なら私がまだ最強じゃなかったから。
(『本当にいいのか?』なんて散々父に確認されたけれど)
いつか最強になるまで会うわけにいかないと父に進言して、私から王子様の側を離れた。
それもこれも全て、カミジール殿下の望まれた最強の強さを手に入れ最強のお嫁さんになるためである。
つまりこれで晴れて私は最強の女の称号と、そしてキラキラ王子様のお嫁さんへの第一歩が始まるのだと確信した。
「すぐに行きますッ!」
「あ、おいオリアナ……っ!? まだ場所を伝えてな……あぁ、もうっ!」
後ろから追いかけてくる足音すら天使の鳴らすファンファーレに聞こえた私は、よりテンションを上げながら夢への一歩を全力で駆け抜けたのだった。