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らしょうもない。
ばばおうちかえる
現実世界仕事・職場
2024年10月27日
公開日
3,211文字
連載中
娘が男を連れてきたおじさん。
3500字数ギリです。

『笑い』の短編小説コンテストに応募。

らしょうもない。


 中年男性が背中を洗おうとしている。

 豊かな腹部、貧しい毛髪。小さな背中を更に丸めて、黙々とボディタオルを泡立てている。寡黙なのは常であるが、平時であれば鼻唄のひとつくらいは嗜む。


「……………………」


 つまり、とても機嫌が悪い。

 執拗に泡立てたボディタオル。すわ背中を、というまさにその時。


「パパ……背中、流すよ」


 まるで慰めるかのように。

 優しげな声が、中年の背中に投げかけられた。

 中年は、少し驚いたように顔を強張らせる。


「それ、よこしてよ」


 言われて、中年はおずおずとボディタオルを差し出す。


「初めてだね。背中洗ってあげるのも…」


 手渡されたボディタオルが、慈しむように中年の背中を撫でる。


「………………」


 中年は頑なに黙したまま。

 泡ごしに悲しそうな溜息が背中に当たった。


「分かるよ。パパが一生懸命育ててくれた、その娘がさ?どこの馬の骨とも知れない男を突然連れてきて、なんて。パパが怒っちゃうのも、ムリない、よね」

「……………」

「でもさ。男の事は信用できないかもしれないけど。娘の目は信じてやっても、いいんじゃないかな?」

「…………」

「認めてくれとは言えない。でも、ちょっと二人を、見守ってやって欲しいって、そう思う」

「………」

「不安だろうけどさ。ねぇパパ…」

「……」

「パパぁ…」


 説得するような言葉に、ついに中年が、怯えた顔で振り向いた。


「せめて『お義父さん』じゃないかな?」

「んー?」

「君とはさ、初対面なんだし」

「んー…」


 キッパリと言われ、どこぞの馬の骨は不思議そうな顔をした。




「ちょ、前は止せよ」


「照れんなよパパぁ」


「気色悪いんだよ」


「親子じゃんかぁ」


「いや認めねぇよ認めるくらいなら娘と縁切るよ縁を切るよ」


「寡黙って聞いてたけど、結構喋んじゃんヒュー!」


「だから股間触ってくんなよ。こういう場ではしゃぐんじゃないよ。分かるだろ、普通よぉ…」




 戸惑うばかりの中年。頑ななのも、彼の心情を慮れば当然といえよう。


 唐突に、娘が帰省した。


 日焼けした、金髪の、チャラチャラした男と、手を繋いで。


 茫然としているところに、挨拶されて。


 唖然としたまま、夕食後。


 にわかに娘が、ソワソワしだして。


 そう、仕方のないことなのだ。


 聞きたくなくて、慌てて『銭湯セット』を手に、家を飛び出した。




「どうしてついてきたんだよ?」




 まさか、追ってくるとは。




「いやぁ、仲良くなれるかなって」


「無理だ。帰れ」


「ダメかなあ!」


「大声出すのは止しなさい。全く、迷惑を考えたまえよ君」




 世間体も恐れもない。身体も態度もでかい。


 小心者な自分とは全く似ていない、娘が選んだ男。


 到底容認できない。納得もいかない。




「……話は、聞くから」




 しかし今は、この場だけは、どうか放っておいて欲しい。


 ここは中年にとって、聖域といえる場所なのだから。




「娘のどこが気に入ったんだ?」


「あーソレきーちゃう?」




 人差し指で鼻を擦りながら、青年が少し照れ臭いような顔を作る。




「オレ何の才能もなくって、今まで誰かに認めて貰ったトキなかったんだけど……あの女だけが、オレを褒めてくれた…」




 へへっ、と嬉しそうに微笑む青年。




「レタス千切るの、上手ねって」


「れた?」


「オレ舞い上がっちゃって、ソッコーでお袋に連絡入れて。今まで苦労かけて本音からソーリーって。オレ、これだったって…」




 感無量といった顔で上を向く青年。対する中年は絶句している。




「ずっと惑星だったオレ。やっとみつけた、オレだけの小さな恒星に感謝。つまりリスペクト払う存在。だって望遠鏡、向けてくれた。オンリー、ユーイツあの女だけだった…」


「とりあえず娘を『あの女』っていうの止めてくれないかな?」




 どうにも感性が違い過ぎる。




「身なりも言葉も酷すぎる。そーゆーの習わないのかな?君、勤めは?」


「ワントゥ……ワントゥッ!ガスメーターチェケッ!先月と違ぇっ!差し込むぜチケット!お空が近ぇつまり努力なしでテッペン!むしろ努めてみてぇ!」




 腕を組み顎をくいっと上げた青年。


 慄く中年。




「と、とにかく働いているんだね?ガスの……どこかで」


「ネバー!こればかりは!ロハでやらねばぁ!志で金!得たらもうそれ!So fallen!底に!そこはピュアじゃねぇ!」


「働いてないのか。え、何でガスメーター見て回ってるの?」


「志したから」


「なにを?」


「ガスメーターチェケッ」


「どうして?」


「志したから」


「だからなにを?」


「ガスメーターチェケッ」


「一体なんのチケットを差し込んでるんだ君は?」


「でもあの女だけはレタス千切るの上手いって言ってくれた!」


「あの女ってゆーなよぉ!」




 父親だぞ!と、とうとう自分も大声を出してまう。




「無職に娘やらねぇの分かるだろ!繕えよ!」


「パパにウソ!つかないのが理想!」


「せめて専業主夫とか言えよ!」


「まだ包丁持っちゃダメ?二人のプロミスだね!」


「娘は君のママじゃないぞ!?」


「うん。ママっちゅーか、まぁまぁ、だね!」


「韻踏みたさに口が過ぎる!」


「でもレタス千切るの上手いって言ってくれた!」


「それ一本で押し通そうとするの止してくれないかな!?」




 洗いたての薄ら髪をガシガシと掻き毟り怒声をあげる中年。




「君はよお!認めて貰いに来たんじゃないのかよお!?」


「ヤー」




 頷くと、青年はズボンからカメラを取り出し、全裸の中年に向ける。




「ついでにお小遣いチョーダイ?」




 気の抜けたシャッター音が、女子更衣室にこだました。




「なぁにしちゃってんのよー?」




 勝ち誇ったようにニヤケ顔をつくる青年。


 中年は、存外冷静に眼鏡をかけ、しかし決して青年には目を向けない。




「この高校は水泳部が強くてね。更衣室に洗面台がついているんだ」


「ほー」


「妻がここのOGで、ご恩返しと思い、ね」


「ほんで?」


「うむ…」




 ロッカーから丁寧に畳んだ衣服を取り出す中年。




「最近不審者の噂があって、どうにも心配でね。自主的に見回りしている」


「そこの鏡覗いてみな。犯人映ってるよ」




 そんなことを言われて、悲しげな表情で俯いてしまった。




「違うよ。ホラ、ここにくれば抜け毛がたくさん落っこちてるだろ?」


「ふん?」


「カツラをつくっていたんだ」




 と、思ったがそうでもなかったようだ。


 そして、更に中年を追い詰めるように、




『だれかいますかー』




女子更衣室のドアが、ノックされる。


 だって、散々大声出しちゃっていたもの。




「警備員来ちゃったね、どーする?」




 泰然としているあたり、青年は『捕まっても平気な人』なのだろう。


 しかし対する中年も、力強く「大丈夫だ」と頷いた。




「抜け毛を拾い集めよう」


「は?」


「OGって事でどうだろう?幸い私の胸は豊かであるし」




 全然ダイジョバない。




「おちつきなよ」


「私は冷静だ!窓から脱出するつもりだろう?」


「うん」


「私の足ではとても逃げ切れるものじゃないんだ。裸だし」


「そう」


「しかし、君が警備員を止めてくれればあるいは」


「はい」


「無職の君なら失うものもないだろう」


「ええ」




 折り込み済、なのだろう。


 なんならそのつもり、だったのだろう。




「……娘をやる」


「ボクちゃん会社がほちぃ」


「わ、分かった。畑も機械も全て差し出す」




 悲痛な顔で頷く中年の言葉に、青年の頬が引き攣った。




「社長ってきいたけど?」


「ああ。代々イチゴを育てている」


「……………」




 では頼むよ、と片手をあげて逃げようとする中年。


 青年は、すばやく、中年の抱える衣服を奪い取った。


 それから、足にしがみつこうとする中年を、手荒くスノコの上へ蹴倒した。窓までは、僅に五歩を数えるばかりである。青年は、奪った衣服をわきにかかえて、またたく間に窓の外へ脱出した。


 しばらく、死んだように倒れていた中年が、裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。中年はつぶやくような、うめくような声を立てながら、薄い月の光をたよりに、窓まで、這って行った。そうして、そこから、寂しい毛髪を躊躇いがちに、窓の外を覗きこんだ。外には、ただ、ようやく回り込んできた警備員が居るばかりである。


 青年の行方は、誰も知らない。

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