その夜。
全ての音を奪うこの地では、魔法が使えない。
詠唱できないからだ。
だが幸いにも、貴重な無詠唱魔法使いが数名いて、彼らによる【
重装歩兵たちが城壁の外で陣を組む。
建設中の城壁を魔物に破壊させるわけにはいかないからだ。
こちらの軍勢――サイラス領軍精鋭部隊は、重装歩兵200人と、サイレン直属の騎兵10人。
遠く魔の森の方から、魔物の軍勢が顔を出した。
今回出てきたのは、粗末な槍や手斧で武装した数百体ものゴブリン軍だ。
最奥には統率者らしき巨大な個体がいる。
ゴブリンジェネラルというやつだろう。
両軍がぐんぐんと近づいていき――
やがて、激突した!
大盾に身を隠し、長槍による刺突攻撃を繰り出すのはサイラス軍のファランクス。
一方のゴブリンは、こちらの2倍近い数を活かしてか、仲間の屍を乗り越えて激しい突撃を繰り返してくる。
その様子を、私は城壁の上から望遠鏡で眺めている。
数で圧倒的に勝るゴブリン軍を相手に、サイラス軍が押されはじめる。
ファランクスというものは、最左翼が弱い。
ファランクスは大盾でもって自身と左隣の味方を覆い隠す戦法だ。盾の中に身を隠しつつ、長い槍を前面に突き出す。
遠目には、さながらハリネズミのように見える。
だが、最左翼は自分の左半身を守ってくれる味方がいない。
だから、最左翼を突かれたら、あっという間に瓦解するというリスクを孕んでいる。
勢いに乗ったゴブリンの遊軍が、その弱点へ回り込んで襲いかかる!
まずいまずいまずい!
このままでは死人が出てしまう!
いや、死人が出るだけでは済まない……最悪全滅する!
――ビュッ!
と音が聴こえてきそうな勢いで、左翼の戦場上空を一本の火矢が貫いた。
とたん、兵士たちがばっと振り返った。
そうなるように、訓練していたのだ。
『最左翼は防御に専念。第一列は戦闘続行。予備隊は最左翼を防げ。以上』
馬上のサイレンによる、端的な手話。
戦場後方、城壁から見守る私からは、サイレンの手話はほとんど彼の背中に隠れていて、正確には読み取れなかった。
が、彼の身振り手振りを見るに、たぶんそういう内容だろうと思う。
指示どおりに動き始める兵士たちの体は、ほんのりと輝いてる。
サイレンのエレクトラスキル【鼓舞】の効果により、心身を強化されているのだ。
重い盾と長槍を持っているはずの予備軍が、驚くべき速さで最左翼に到達し、カバーし始める。
予備の投入を受けて、今度はゴブリン軍が押されはじめた。
サイラス軍が最左翼を押し上げていき、ゴブリン軍の右翼を包囲しはじめた。
――ビュッ!
今度は右翼上空を火矢が飛ぶ。
右翼の兵たちが一斉に振り向いた。
馬の機動力でもってすでに右翼背後への移動を済ませていたサイレンが、手話を操る。
『右翼は全力突撃! 3列目以降は十人隊単位で右へ移動し、最右翼となれ。そのまま全力前進し、敵左翼を包囲せよ』
とここで、サイレンが力強く剣を振り上げてから、
『友軍左翼の力を信じよ! 包囲殲滅戦の始まりだ。進め進め進め!』
友軍右翼が体を輝かせながら、命令どおり運動しはじめる。
全力疾走のような勢いで、右へ右へと運動し始める3列目以降の軍勢数十人。
その彼らが敵の左翼を圧迫していき、やがて半包囲の形が出来上がる。
仕上げとばかりに、サイレンが直属の騎馬兵に火矢を射かけさせた。
今度は軍中央上空へ。
『防御に専念し、ゆっくり後退せよ』
軍がそのように動く。
ゴブリン軍は誘い込まれていることにも気づかず、前進。
サイレンが手足のように操るサイラス軍によって、ゴブリン軍は全周包囲されてしまった。
最後の火矢が中央・右翼・左翼上空を飛んだ。
『全軍突撃!』
サイラス軍による、一方的な戦いが始まった。
負けを悟ったゴブリンジェネラルが、魔の森に逃げ帰ろうとしている。
ヤツは部下たちだけを前に出して、自身と近衛は魔の森の手前でふんぞり返っていたのだ。
だがそのジェネラルも、追撃に出たサイレン直属騎兵たちによって討ち取られた。
◇ ◆ ◇ ◆
そうして、戦果発表である。
ゴブリン軍は全滅。
しかも、うち半数は圧死だった。
全周包囲の恐ろしさである。
一方のサイラス軍は、なんと死者ゼロ! 本当に良かった!
重傷者は3名。可哀そうだけれど、それでも魔術治療を続けていれば数週間で復帰できるそうだ。良かった。
そして軽傷者は多数。これはさすがに仕方がないのだろう。戦いである以上は。
総じて言うと、『信じられないほどの完全勝利』ということになる。
兵士たちの勇気と練度、そして何より、神がかったサイレンの指揮能力と【鼓舞】によるものだろう。
こうして、手話を導入した戦闘第1弾は、大成功に終わった。