『職人に手話を教えます。ご許可を』
「しゅ・わ?」
私の筆談に、サイレンが唇を動かした。
『手話によるコミュニケーションで、作業効率は絶対に上がります』
「…………」
『上げさせてみせます』
サイレンは考え込んでいたが、やがて、
「……分・かっ・た」
私の提案を受け入れてくれた。
見れば壁は、いたるところで崩されている。
昼の間に積み上げては、夜に魔物に崩される……といういたちごっこを続けている結果だろう。
ここの領主であり、王国の盾としての役割を命じられているサイレンにとっては、城壁の完成――魔の森の封じ込めこそが悲願。
彼はどうやら今、藁にもすがる気持ちであるらしい。
ちょうど、一組の師弟が休憩をしていた。
私は彼らのそばに駆け寄る。
見知らぬ女が急に近づいてきたことに師弟の2人が警戒を露わにするが、
「「閣・下!?」」
2人が立ち上がり、礼をした。
サイレンが後からついてきたからだ。
私は左手を伸ばし、右手を『コ』の形にして、右手を左手にくっつけた。
四角がこの世に現れる。
『これは、石を表します』
と、あらかじめ木簡に書いておいた文字を指し示す。
「「……?」」師弟が首をかしげる。
私は続いて、人差し指を立てる。
『これは、1つ、を表します』
続いて中指も立てる。
『2つ』
薬指も立てて、
『3つ』
コクコクコク、と師弟がうなずく。
私は続いて、人差し指で自分の胸を差す。
『私のところへ持ってきてください』
「「――!?」」師弟が興奮のあまり、立ち上がる。
厳密に言うと、『私』『のところへ』『持ってきて』『ください』に分解されるが、最初はこのくらい簡単にした方が良いだろう。
今日のところは、職人から弟子への一方的なコミュニケーションで十分に事足りるのだから。
私は、
左手の平と右手の『コ』で四角を作り、
それから2本指を立てて、
最後に自分の胸を指差した。
『石材を2個、私のところへ持ってきてください』
「「おおおおおおおおおっ!?」」
師弟、大興奮。
声は聞こえないが、2人の喉が大きな声を発したであろうことが見て取れた。
よしよし、つかみはバッチリだぞ。
特別支援学校でも、コミュニケーションロスに悩む子供たちに超簡略化した手話を教えてコミュニケーションを取らせ、子供たちを笑顔にさせたものだった。
二十数年振りに前世のスキルが生きるとは、人生分からないものだ。
私は続いて、空想上のハンマーを握り、コンコンコンと振り下ろす仕草をする。
『木槌、または金槌』
それから、工具置き場を指差してみせて、
『を、工具置き場へ返してきてください』
「「おおおおお!」」
師弟が拍手する。
音は聴こえないが、悪い気はしない。
こうして、異世界における手話のモデルケース第1号が完成した。
◇ ◆ ◇ ◆
工事現場が、ざわめいている。
いや、私にも、そして壁建造の現場にいる誰の耳にも『ざわめき』は聴こえないが、しかし馬の上から現場を俯瞰する私の目には、生き生きと師匠を手伝う例のお弟子さんと、今までの2倍、いや3倍近いスピードで壁を造り始めた職人さんと、そんな2人をチラチラと横目に見ている他の人々たちの姿が映っている。
みな、気になっている。
今まで『給金の無駄だ』と思われていた弟子が急に生き生きと仕事をし始めたのも、その師匠が破竹の勢いで壁を築き始めたのも。
「閣・下!? こ・れ・は・いっ・た・い!?」
『閣下、あれはどういう魔法でしょうか? 詠唱がかき消されるこの地では、あらゆる魔法は封じられていたはずでは?』
職人たちが、唇の動きや筆談でサイレンに迫る。
サイレンはさらさらと木簡に書き、
『これは、手話だ』
微笑んだ。
微笑んだ、微笑んだのだ! あの、ぶっきらぼうで仏頂面しか見せなかったサイレンが!
『我が妻が考案した、この地を変えうるエクストラスキル【手話】である!』
これが、始まり。
私による、なんちゃってエクストラスキル【手話】無双の、始まりだった。