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第64話 新人王はどっちだ!?

「よく耐えたな! 良いか、保君。第2ラウンドは向こうが取っただろう。3ラウンドは出るしかない。最後は気持ちの勝負だぞ!」

「……はい!」


師範の声に俺は大きくうなずきながらも、心は不思議な感覚を覚えていた。

宮地君の予想以上の強さを実際に体感できたことが嬉しかったのである。まだレスリングから転向してきて1年に満たない宮地君だが、どの局面での戦いももう完全なMMAファイターだ。その上でのあの異次元のレスリング力。こんなにも強い相手と正面から戦えている自分が嬉しい……という感情が占めていたのだ。


「ねえ、師範?」

「……どうした?」


これから勝負の第3ラウンドに入るというのに俺の声はずいぶんと呑気なものに聞こえたのだろう。師範は不審気な顔で俺を覗き込んだ。


「もしボクに、宮地君のあのレスリング能力があったら最強だと思いません?」


「そりゃあそうだけどな……とにかく今はその宮地君を倒さなきゃいけないんだぞ!」


師範に背中を叩かれてリングに俺は向かった。


(だからですよ、師範!)


宮地君を倒せばの能力で、俺は宮地君の力を奪えるのだ。あのレスリング力が手に入ればMMAで日本一になるくらいは容易いのではないか……俺は本気でそう思った。




(くっそぉ!)


だが現実はそう甘くなかった。今まではタックルと打撃を混ぜて試合を組み立ててきた宮地君だが、3ラウンドに入ると一気に塩漬けのような戦い方に変わった。

俺の打撃には一切付き合わずガードを固めて距離を詰め、ひたすらタックルに入ってきた。

3ラウンドになれば体力も落ち、タックルでテイクダウンするのは難しくなるのが普通だが、金メダリストともなればそんなこと関係ないのだろう。1ラウンドとなんら遜色のない光速タックルが俺を襲ってきた。


(……くそ、何度も何度もしつこいな!)


最初の2回ほどは距離も遠くなんとか切ってスタンドに戻すことができたのだが、宮地君の真骨頂は単なる光速タックルではなく、それを何度も繰り返せるしつこさと異次元のスタミナだということがわかった。

3回目に両足タックルに入られ、俺の背中は綺麗にマットに打ち付けらえた。


「……んだよ? もう疲れたのか……だらしねえな……」


またしても耳元で宮地君が俺に囁く。

たしかに俺の呼吸は酸素を必死で欲するような荒いものだったのに対し、宮地君はまだまだ余裕がありそうだった。


(いや、だが寝技のスキル自体はまだまだだな……)


宮地君は上を取ってもサイドに回っても、ポジションをしっかりと取って抑え込むことが第一にしていることが伝わってくる。隙を見て強烈なパウンドを放ってはくるが、ポジションを崩すこともいとわず一本取って極めよう、という仕掛け方ではなかった。

というか普通に考えて、経験の浅い宮地君はそこまで寝技のバリエーションもスキルもないのだろう。


「どう足掻いても俺の勝ちなんだからよ……とっとと降参してくれよ。……セコンドにお願いしてタオルを投げてもらえって……」


宮地君のダーティトークは続いていた。俺も何か言い返してやろうかと一瞬思ったが、こっちは体力的にそんな余裕はなかった。酸素を大量に消費する寝技の攻防をしながら、こんな会話ができる宮地君の心肺能力が異常なのである。


「おおっと、ここで宮地選手マウントを取ったぁ! これはいよいよ決着かぁ!」


ハーフガードのポジションにいた宮地君が俺の胴体を跨ぎ、マウントポジションに移行した。


「返せる……返せるぞ保君!」


若干慌てたような師範の声が飛んできた。


(もちろんですよ、師範! ……やっぱりマウントは慣れていないみたいだな……今だ!)


レスリングの攻防と抑え込む力は異次元の強さを持っていた宮地君だが、マウントを取ったことでいよいよKOチャンスが訪れたと判断したのだろう。強力なパウンドを放とうと宮地君が俺の腹に体重を乗せた瞬間、渾身の力を込めて俺は腰を上げてブリッジした。

バランスを崩した宮地君が前のめりになり右手をマットに着いた。

さらにその瞬間を狙ってヒップスローで一気に宮地君をひっくり返す。


「なんとここで田村選手、マウントから抜け出した! これはスクランブルだ。柔術仙人小仏選手の技が伝授されているのかぁ!?」


だが完全に上下を逆転することはできなかった。

隙を突いて仕掛けた俺のヒップスローだったが、宮地君の反応速度と身体能力は要次元だ。背中をマットに付けることだけは避け、両者片膝をマットに着いて投げを掛け合っているような体勢になった。


反射的に俺は宮地君の足を俺の足で払った。レスリングで足払いは禁止されている技だから、咄嗟には反応しづらいはずだと踏んだのが当たったようだ。

反応の遅れた宮地君が咄嗟に両手をマットに着いた瞬間、俺は宮地君の背後に回ってバックを取った。


「良いぞ、保君! 呼吸忘れるな!」


膝を着いた状態の宮地君から何とかバックを取ったが、俺は一連の攻防の中でかなり力を使っていた。有利なポジションを取って一息吐いて落ち着きたかった。


「大地、動き続けろ! 一回立とう、立てるぞ!」


相手セコンドからは当然逆の指示が飛んでいた。流石の宮地君も呼吸は荒くなっていたが、まだまだ余力を残しているだろう。

まだ両者ともに中腰のような微妙な体勢が続いていた。背中から宮地君の胸の辺りでクラッチを組みタスキを掛けた俺は、バックチョークのタイミングを狙っていた。

完全に尻を着いたグラウンドに移行できればバックを取っている俺が有利だし、完全に立てば宮地君が楽になる。


(弛んだ! ……えっ!!!)


一瞬宮地君の力が弛みチョークに移行できるかと思った瞬間、俺の身体は宙を舞っていた。


「これは宮地選手の鮮やかな投げだぁ!」


実況の声よりも会場のお客さんが一気に沸いたのが耳に残った。

この時は何を食らったかはっきりわかっていなかったのだが、後から映像で見返すと柔道の背負い投げのように前に投げられていたというわけだ。


(来る?……いや来ない)


だが前方にあまりに綺麗に投げられ受け身も取れたため、すぐに立ち上がることができたのは幸運なことだった。


距離を取ってスタンドで改めて正対したところで宮地君がニヤリと微笑んだ。俺もそれに微笑みで応える。別に奇を衒ったり強がったというわけではない。純粋にこの戦いの場が楽しかったのだ。

俺の腕はパンパンで肺はゼエゼエと悲鳴を上げていたが、宮地君も肩を上下させておりその身体からは湯気が立ち上ってくるのが見えた。

俺と宮地君とが戦っているこの時間と空間は2人でしか作れなかったものだろう。




残り時間は2分ほどのはずだった。スクランブルを抜け出しスタンドに戻ったのは俺にとって有利な状況だ。

スタミナは残っているとは言い難かったが、死力を振り絞り打撃を出し続けた。


(なんとか一発入れたいな、くそぉ!)


明確なダメージとなるような一撃だ。

試合の序盤ならローキックやボディブローなどの攻撃はじわじわと効力を発揮しただろうが、残り時間がほとんどない状況ではダウンを奪うような一撃が必要だった。


「保君、いけいけ! 余力を残すな!」


師範の指示も根性論的なものになってきた。この状況では細かい指示を出してもその通りは動けないだろう……という意味では的確なものだった。


(右ストレート……それかタックルに膝を合わせるんだ……)


余力のない俺は自分の得意な2つに狙いを絞った。

スタンドの攻防の中で隙があれば俺の一番得意な右ストレートをぶち込む。

そしてもう一つはタックルにきたところに膝蹴りをカウンターで当てるということだ。宮地君の狙いは打撃でのKOだけでなく、パンチを放ちつつのテイクダウンも含まれているだろう……という予想のもとでの作戦だ。


(ここだ!)


俺のワンツーをかわした宮地君が右のジャブを出しながら入ってきた。このジャブはパンチを連打してくる際のジャブとは少し質が違うように感じたのだ。

俺は左足を引いて構えをスイッチした。そしてタックルで突っ込んできた宮地君に向かって左膝を炸裂させたのだった!


「……ぅ」


(いやいやいや、まともに入っただろ!)


手応えはバッチリだった。

俺の狙い通りタックルにきた宮地君にカウンターのテンカオがモロに入った。普通なら一撃でKOとなる攻撃なのに、一瞬息を止めただけで平然と宮地君は動き続けていた。


(いや、絶対に今の一撃で動きは落ちる。右ストレートで仕留めるんだ!)


向こうもプロだ。というか金メダリストだ。俺以上の精神力を持っていると考えるのが普通だろう。今の一撃が効いていないわけがないのだ! 精神力でダメージを見せないようにしているだけだ!


(ほら、タックルも見え見えだよ!)


やはり宮地君の動きは鈍っている! 今までのタックルとは違い容易に切れそうに見えた。

これを切ればさらに宮地君はスタミナを使う。次で仕留めるんだ! と俺は意気込んだ。


ガツッ!

……だがその瞬間、頭の辺りに衝撃を受けて俺の意志とは関係なく膝が崩れ落ちた。


「あ~っと、田村選手ダウンか!? 宮地選手のパンチが命中したようだ!」


タックルを切るためスプロールの体勢を取った瞬間、宮地君が左のアッパーを俺のアゴに的中させた……ということらしい。すべては後から映像で見返して初めてわかったことだ。


(くそ!)


膝の落ちた俺だったが、意地と気合でダウンは回避する。ここで立てなきゃ負けだ。まだこの試合を宮地君と続けていたかったし、宮地君にこの程度でダウンするような人間だとは思われたくなかった。

だが意地で立ち上がった次の瞬間、正真正銘の高速タックルで俺は鮮やかにテイクダウンされていた。

そしてそこで試合終了を告げるゴングが鳴ったのである。




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