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第62話 MMAでのレスリング

「良いね。良い立ち上がりだよ、保君! このままいこう。それと蹴りをもっと使って距離を作っていこうか」


「はい、わかりました!」


汗を拭きながら師範の言葉に俺はうなずく。蹴りを使ってゆくというのは戦いが始まる前からのプランの一つだった。1ラウンドは思ったよりも静かな立ち上がりとなり、蹴りを多用するほどぶつかり合わなかった……というのが正直なところだ。

1ラウンドの採点がどちらに付いたかはわからない。俺の方が攻撃を当てたのでポイントを取ったかもしれないが、まあ微々たる差であることは間違ない。判定まで行くことを想定して試合を進めてゆくのが必ずしもファイターとして正しい態度なのかはわからないが、現実問題として宮地君にKO・一本で勝てる確率は高くないだろうからポイントを取ることも大事だ。

何と言ってもこの試合に勝つのと負けるのとでは天地の差があるのだ。


「セコンドアウト、セコンドアウト! 間もなく第2ラウンドが始まります!」


実況の声に会場も再び沸く。

大丈夫、俺を応援する人たちも沢山会場に来ているはずだ。

宮地君を応援する歓声がかなり多かったような気がしたが、俺はそう自分に言い聞かせる。そう言葉にすると沢山の人の顔が浮かんできた。

カーン!


(1ラウンドよりも向こうは出てくるはずだ。出てきたところを止められるかが勝負だな……)


俺にとっても百点とは言えない第1ラウンドだったが、宮地君陣営にとっての方が不本意な第1ラウンドだったはずだ。だから2ラウンドはかなり思い切って攻撃を仕掛けてくるはずだ。

振り返れば1ラウンドは宮地君の方がかなり慎重になっていたように思う。金メダリストといえど緊張もするし、ミスをすることもある。同じ人間なんだから臆することはないということだ。


(かなり前傾姿勢になっているな……)


宮地君の後のない気持ちが構えにそのまま表れていた。今にも飛び込んで来そうな姿勢だ。


(よし……)


俺は一歩踏み込みながらジャブを出し、それを追うように右のインローキックを出した。

バチン! と太ももに蹴りがヒットした瞬間俺もパンチを被弾していた。宮地君が俺のローに合わせて右フックを返していたのだ。


(流石、相打ちの覚悟もあるってことか……)


ローキックの方が射程は若干長いが、踏み込んだ瞬間はパンチも当たる距離のことが多い。そして足を蹴るよりも顔面を殴る方がKOの確率は当然高い。

経験の浅い人間は自分が打撃をもらうことを恐れて逃げ腰になることも多いが、宮地君は自分が蹴りをもらってもパンチを返せば良い……という覚悟があるということだ。

宮地君の試合開始前の金メダリスト然とした余裕の表情はいつの間にか消えていた。

ここで対峙しているのは金メダリストのレスラーではなく、完全なMMAファイターだと言って良いだろう。


(ここからが本当の勝負だ!)


今度は宮地君の方から仕掛けてきた。

右のジャブをフェイントで出した次の瞬間、すぐに沈み込み光速のタックルを仕掛けてきたのだ。

俺の左足を狙った片足タックルは今まで対峙した誰よりも鋭いものではあったが、当然俺もそれを想定してタックルの対処の仕方を身体に沁み込ませてきたのだ。




「良いか、保君。競技としてのレスリングをやったら保君と宮地君は正直言って大人と子供くらいの差があるだろう。でもこれはMMAの中でのレスリングなんだ。そのことを忘れずに、そして宮地君にもそのことを教えてやるつもりでやっていこう!」


宮地君との試合が決まり対策練習を始める時、師範はまず俺にそう言ってくれた。

MMAの中でのレスリング……それは単にレスリングの前に打撃の段階がある、レスリングの後に寝技の段階があるというだけではないのだ。




宮地君が俺の軸足である左足にタックルに来た瞬間、俺は反射的に左足を後ろに引いた。まずは少しでも相手から自分の身体を遠ざけ、重心をズラす……というのは基本だ。

同時に腰を捻りやや半身になるようにしてさらに身体を遠ざける。


(吉田たちにイジメられていた時「投げられない方法を教えてください!」 ってジムに入って師範に教えてもらったのが俺のキャリアのスタートだからな。投げられないのは得意だよ、俺は)


昔のことを一瞬だけ思い出して笑いそうになってしまった。

低い重心でタックルにきた宮地君のパワーは凄まじいものだったが、俺はその力に正面から反発せず、受け流すように自ら後ろ側に足を進めた。

俺の身体の後ろ側にあるのはリングのコーナーポストだ。そこに身体を預けるようにして一息吐く。

コーナーを背にすれば、宮地君も俺の背中側で両手をクラッチすることはできない。クラッチを組ませなければひとまずタックルで倒される危険はかなり減る。

こうした壁を使ったレスリングの技術はMMAの初歩ではあるが、ダンクラスのようなリングの場では発揮しにくい技術である。(コーナーではなくロープを背にしている場合は簡単に背中側に手を回されてしまうからだ)


「……くっそ……」


試合中初めて宮地君の声を聞いたような気がする。彼にとっては渾身のタックルだったのだろう。

相変わらずの凄まじいパワーではあったがこの体勢になってしまっては、簡単に俺をテイクダウンすることはできないだろう。

片足タックルでは取れない、と判断した宮地君の両手が段々と上がってきた。狙いを胴タックルに切り替えてきたということだ。

だがそれでも俺は、やや半身になりつつなるべく距離を離すような体勢を取り続けた。そして隙ができた瞬間、膝蹴りを宮地君の太もも辺りを狙って何発か重ねていった。

腹や頭ではないし距離もほとんどないのでさして大きなダメージにはならないが、これは地味に嫌な攻撃だ。蹴っている俺の左膝を押さえるように、宮地君が右手を俺の背中側から自分の身体の方に戻したことからもそれはわかる。


そうこうしている内にお互い体勢が固まり膠着状態になってしまった。下手に動くことは不利になり一方的に攻撃を受ける可能性が高いからだ。

俺の狙い通りの展開だった。繰り返しになるがこれはレスリングの試合ではない。俺の方からはレスリング勝負を挑む必要は無いのだ。

10秒ほど膠着状態が続きレフェリーが「ブレイク」を宣告した。

距離を離してスタンド状態からの試合再開となる。


(いや……これは蹴りで突き放して距離を取るってのは難しそうだよな……)


今の一連の攻防は俺にとってはかなり上出来だったと言って良いが、それでも宮地君の圧力は相当なものだった。

蹴りで距離を突き放しタックルに入らせないという当初のプランは理想的なものではあるが、万が一蹴り足を掴まれては簡単にテイクダウンされるだろうという予感が俺の頭の中を占めていた。




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