カーン!
いよいよ運命の一戦のゴングが鳴った。ダンクラス新人王を賭けた一戦だ。
俺も宮地君もリング中央に出てグローブタッチを交わす。宮地君は俺の顔を見ているのがわかったが、俺は敢えて彼の目を見なかった。
陽の当たる道を歩んできた宮地君に対して、俺は彼に対する劣等感を今回の試合では炸裂させてやろう……そんな気持ちで試合に臨むことに決めていたからだ。今までMMA選手として培ってきた精神とは真逆のモチベーションの高め方だが、今回の戦いに限ってはその方が合っているように思えたからだ。
(さて……)
俺も宮地君もかなり遠く距離を取った。
まずは相手を知ることだ。俺も宮地君も当然相手の試合映像などを観て、対策も作戦も立ててきただろうが、やはり対峙してみないと本当のことはわからない……というのがファイター全員が持つであろう実感だ。
(スゲェ身体だな……)
さっきリング上で対面した時も思ったのだが、こうして遠間で対峙してみるとそんなバカみたいない感想が第一に出てきた。
計量直後はお互い水分も絞り切った極限に近い状況だったので、あまりそうは思わなかったのだが、リカバリーを済ませた宮地君の肉体は機能美そのものといった素晴らしいものだった。ボディビルダーのような人工的な肉体ではなく、戦う機能を最大限まで突き詰めた肉体を見ていると、俺も自然とそれだけで武者震いしてくるようだ。
だが今の俺はそれに見惚れている場合ではなく、あの肉体を倒さなければならないのだった。
(打撃への反応はまあまあ速そうだな……)
ここまでは俺も宮地君も、軽くステップを踏みながら牽制のジャブを出したり飛び込んでゆくフェイントを掛けたりしていたが、まだ遠間でのほとんど当てるつもりのない様子見の段階だった。
これは軽く牽制を掛けてお互いの反応を見ているのだ。相手の反応がどれくらいの速さなのか、何か反応の鈍い攻撃はあるのか……少しでもそういった情報を得ようとする段階だ。
試合開始とともにいきなり全力で倒しにいく戦い方もあるが、それが有効なのは明らかに実力差がある場合や相手がスロースターターだとわかっている場合に限られる。反応の良い相手にはきっちりカウンターをもらってそのまま試合終了……というケースもあるので、開始直後はどうしても慎重な立ち上がりになるものだ。
(揺さぶってみるか……)
ここからは少し段階を進める。もう一歩踏み込んで打撃を当てるための間合いに入ってゆくフェーズだ。もちろんそれは向こうからの反撃のリスクも増すことを意味する。
遠間からのゆっくりとしたジャブを出した俺は、そのまま思い切り飛び込んで……というか相手を飛び越えるくらいの感覚だった……二段階の飛び膝蹴りを出した。
右膝を出しながら高く飛び上がり、空中で右膝と入れ替えるように左膝を繰り出すという技だ。
「おおっと田村選手、いきなりの大技だ! だが宮地選手もこれを間一髪でかわす!」
間一髪で
だがともかく「俺にはこんな武器もあるんだよ」ということを見せておきたかった。警戒しなければならない武器が多いほど相手は迷うものだ。
大技を仕掛けた直後は当然隙も大きい。着地した瞬間に背後に回った宮地君が狙ってくることは予想済みだった。だから飛び膝をかわされた俺は、そのまま後方にでんぐり返しをするように転がった。
「おっと田村選手、まさかの『小仏ロール』だ! 宮地選手もこれには少々面食らったか、大きくバックステップで距離を取りました! そういえば田村選手はデビュー戦で戦った小仏選手と現在は頻繁に練習をしているということで、こうしたグラウンド技術も伝授されたというのでしょう!」
相手と正対している状態から足元に入るのが『小仏ロール』なので、アナウンスは全然正確ではないのだが、まあ狙いはほとんど同じなので良いだろう。
(これはMMAだ。寝技の攻防もあるんだぜ……)
これも俺が準備した奇策の一つだ。
宮地君陣営は俺が「タックルを切ってスタンドでの勝負」に出ると予想しているはずだ(大まかに言えばこちらの狙いはその通りなのだが)。「それだけではないよ。こちらから組んでの寝技の展開も選択肢として持っているよ」ということを示したかったのだ。
レスリング金メダリストに正面から組み付くのはあまりに無謀だが、意表を突いた入り方をすれば宮地君のレスリング力を無効にして寝技の攻防は可能だろう……という読みだ。
俺も『柔術仙人』小仏選手の下で寝技の
(来る!)
俺の派手な動きに観客が少し沸き、会場の熱量が増したことを宮地君も感じたのだろう。
今までの様子見のステップとフェイントではなく、俺に当てるためのパンチを振ってきた。左→右→左という三連続の大振りなフックの連打だった。
俺を倒してやろう……という迫力のこもったパンチの連打だった。やはり宮地君はパンチにかなりの自信を持っているのだろう。
ダンダンダンというリズムに合わせて俺も後方に避けて、最後の左フックに対しては左側にいなすようにターンをして、こちらからワンツーを返した。
宮地君もそれをガードして、また少し距離を取って向き合った。
宮地君を打ち気にさせ、最初の攻撃としてパンチを「振らせた」という意味ではここまでは俺の戦略は成功と言えるだろう。
(どっちもアリで突っ込んでくるのがどうしたって厄介だよな……)
だが戦略は狙い通りに行っても、その攻略は簡単ではなさそうだ。
今の宮地君の攻撃は以前の試合映像で何度も見たものだったので反応できたが、眼前で見る攻撃の迫力は流石だった。そしてそれ以上に厄介なのが向こうは必ずしもパンチを当てなくても良いという点だ。パンチを振り回しつつ距離が詰まったら強引に組み付いてしまえば良いのだ。
何と言っても向こうは圧倒的なレスリング力がある。きちんと綺麗にタックルが決まらなくとも、指一本でも引っ掛かりさえすればそこを起点にして掴んでしまう……ということが可能だろう。
もちろん打撃自体にも警戒しなければならない。まともに貰ったら一発でKOされる威力を備えているパンチなのは間違いないのだ。
かといって間合いの外に逃げるような回避の仕方ばかりでは、こちらから反撃できないしスタミナを消耗するばかりだ。
受け身に回ってはキツくなるばかりだ。それを避けるにはこちらからプレッシャーを掛けてゆくしかない。
(この距離だろ!)
ジリジリと間合いを測った俺はワンツーを放ち、本命の右ローキックを強く当てた。
バチン! という乾いた音が響いた次の瞬間にはバックステップを踏んで、宮地君の反撃のパンチを避けていた。
そしてまた一呼吸置いた後、ジリジリと距離を詰め、今度はジャブをフェイントに右のボディストレートを腹にめり込ませた。
(くそ、笑ってやがる!)
パンチはまともに入ったはずだが、宮地君は何ともないという風に首を傾げ「効いてないよ」というアピールをした。
そのポーズを見た会場からはまた歓声が上がる。
屈強なボディには本当に効いていないのか、それともポーズとしてそうしているだけなのかは定かではないが、打撃を上下左右に打ち分けるコンビネーションに対する反応はあまり鋭くはなさそうだ。レスリングではそんな攻撃を受けることはないから当然ではあるのだが、これは少し攻略の糸口になるかもしれない。
カーン!
この中間距離での攻防をできるだけ長く続けよう……と思った所で1ラウンド終了のゴングが鳴った。俺としては感触が良かっただけに、もう少し攻撃を重ねたいところだった。