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第60話 師範の策謀

だが新人王トーナメントは8人で争われている。俺はまだ1回勝ち上がっただけで、次の準決勝で足元をすくわれては元も子もないわけだ。

大兼君の想いはたしかに受け継いだが、俺はまず次の戦いに集中すべく気持ちを切り替えた。


準決勝はそれから4か月後の5月、緒方弘之おがたひろゆきという選手と行うことになった。緒方選手は俺よりも年下まだ高校3年生の18歳で、空手の全国大会優勝者ということだった。

空手日本一の打撃は俺が今まで学んできたMMAの打撃とは少し系統の違う技術であり、脅威だった。だがプロ2戦目の緒方選手はまだ組みの対応が不完全で、冷静にテイクダウンして上を取り、最後はマウントから腕十字で一本取って俺は2ラウンドで勝利した。


純粋な技術力だけで言えばプロ入りしてから今までで一番楽な相手ではあったが、今までで一番プレッシャーを感じた試合でもあった。

ここを勝って新人王トーナメント決勝に進むのと、敗退してしまった場合の差は、今後のプロキャリアが数年変わってくるような重みを感じる試合だったからだ。それだけ俺も色々なことを考えてしまう立場になったとも言えるかもしれない。




そしていよいよ9月の最終週、ダンクラス新人王トーナメント決勝として俺は宮地大地と戦うことになった。

もちろんこの新人王トーナメント自体が、金メダリスト宮地大地をMMAのニューヒーローとして祭り上げるために作られた舞台ではあったが、トーナメント出場者は当然死に物狂いだ。宮地大地を食って自分がこの大会の主役になってやる! ……という思いで臨んでいる者ばかりだっただろう。

そんな周囲が敵だらけの状況でも宮地君は準決勝でも危なげない戦いを見せ順当に決勝に駒を進めた。彼の勝負強さはそれだけでも伺える。

というか宮地君は試合をする度に進化していっているかのような成長の度合いだった。細かい寝技はほとんど仕掛けないが圧倒的なレスリング力を背景に相手をコントロールし、ほとんど自分のやりたい放題に試合を展開していっている様は圧巻だった。




「何ですかね、宮地君は? 精神と時の部屋で修行でもしてるんですかね?」


俺は思わず師範にそう尋ねたほどだ。


「そうだなぁ……宮地君はレスリング時代からずっとトップアスリートとして鍛錬を続けてきた。厳しいトレーニングにも耐えられる常人離れしたメンタルとスタミナがあるってことだ。相当追い込んだ練習をしても彼はさしてキツイとも思わないんだろうな」


「……結局子供の時からトップレベルでやってる人間が有利ってことですか?」


どうにもこうにも理不尽なことに思えて、師範の言葉に俺は何とか反発したくなった。

だが試合を改めて見返すと、宮地君の成長度合いはそんなこと以上に理不尽に思えた。


成長しているのは特に打撃……というかパンチだ。宮地君はほとんど蹴りは出さないが、それには理由がある。

蹴りを多用するスタイルは、重心がやや後ろ気味、背筋の伸びた姿勢で構えることが多い。その方が蹴りやすいからだ。その代わりレスリングの攻防にはあまり向いておらず、テイクダウンは割とされやすい。リーチがあって蹴りが有効に打てて、さらにはテイクダウンされてからの寝技に自信がある選手はこういうスタイルが合っていると言われている。

一方、宮地君が採用しているのは前重心で低く構えるボクレススタイルだ。ボクシングとレスリングに特化したスタイルで、アメリカのレスラー出身の選手などはこのタイプが多い。

大雑把に言えば、低く構えて相手のパンチを避けるため頭を振りながら自分から突っ込んでいくスタイルだ。細かいステップを踏みながら飛び込んでゆくので、自然とパンチの連打もしやすいし、パンチを振りながらそのままの勢いで強引に組み付いてゆくことも可能だ。


レスラー出身の宮地君がそのスタイルになるのは自然なのだが、特にパンチの技術の向上が並ではない。ジャブ、ストレート、ワンツー、左右のフック、アッパー……パンチの種類やコンビネーションはシンプルなものだが、一発一発がフィニッシュブローとなる破壊力に満ちているのが伝わってくる。パンチの練習なんて始めて1年にも満たないはずなのにだ。

実際、準決勝ではタックルを警戒した相手にパンチでダウンを奪い、そこからのパウンドでTKO勝ちを収めていた。

師範の聞いたところによると宮地君はボクシングジムに通ってパンチを練習しているそうだ。

でも例えパンチのスペシャリストに習ったとしても、普通はそんなに簡単には試合の中では練習の成果を十分には発揮できないものだ。どういう成長スピードなのか? と試合を見ていて言いたくなるのは俺だけではないだろう。




「でも、保君にとっては宮地君が前の試合でTKO勝利を上げたことはチャンスかもしれないぞ?」


「……どういうことですか?」


何度も宮地君の試合映像を見ていると、不意に師範の目が怪し気に光った。どうも何か策謀を思い付いた表情だった。


「宮地君が目指しているのは日本のMMAの頂点、いや世界の頂点だろう。次の試合相手である保君のことを舐めている……つもりはないかもしれないが、ダンクラスの新人王などは通過点と思っている可能性は高いだろう」


「まあ、そうですね……」


俺としては不本意だがそれくらいポテンシャルの差がある……と見る人は多いだろう。


「つまり今の宮地君は、完成されたMMAファイターを目指して自分を作り上げていっているという意識が強いはずだ。そして実際にMMAを始めてからの自分の成長速度にも当然自信を持っているだろう」


「でしょうね……こっちはその戦いの後のことなんて考えてる余裕は無いですけどね!」


俺みたいな人間がオリンピック金メダリストと戦える場所に来れただけでも奇跡なのではないか、と正直言って思う。


「だからだ! 保君との試合も自分を成長させるための機会……と捉えている部分が宮地君には間違いなくあるはずだ。MMA転向間もない時の宮地君だったらなりふり構わずにタックル、タックル、終始抑え込んでの判定勝ち……くらいしか勝利のビジョンがなかったはずだ。だが今は違う。前の試合では打撃でKOまで収めているんだ。保君との打撃戦にもある程度は付き合ってくれる可能性が高い」


「そうか! そうですね……」


師範の言わんとすることがようやく俺にもピンときた。

打撃の応酬に一切付き合わずひたすら組み付いて塩漬けにしてくるような宮地君だったら、はっきり言って俺の勝機はほぼないだろう。一本負けもKO負けもまずないだろうが、あのレスリング力には敵う筈がない。

だがMMAファイターとして覚醒しつつある宮地君が今さらそんな戦略で来るとは考えにくい。より自分の能力を試したいと思って臨んでくるだろうし、彼のことだから観客に楽しんでもらえるように……ということまで配慮して試合に臨むだろう。

それだけ彼が自負を持って試合に臨んでいることは見ていれば伝わってくる。本気で日本一、世界一のMMAファイターになろうと思っているのだろう。


だから、俺にもチャンスがあるのだ。

向こうも打撃に自信を付けているかもしれないが、純粋な打撃の技術だったら俺の方に間違いなく分がある。勝負のカギは間違いなくここになる。


「良いか、保君。次の試合の肝はスタンドの時間をどれだけ長く作れるか、だ。スタンドでの時間が一秒でも長くなればなるほど保君にとって有利になるはずだ。じゃあどうやって宮地君にスタンドに付き合わせるか……それを考えていこう」

「はい!」


師範の目は燃えていた。




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