「ダンクラスのファンの皆さん、MMAファンの皆さん初めまして! 宮地大地です!」
宮地大地の勝利後マイクパフォーマンスに会場は熱狂していた。
圧倒的な話題を集め期待を背負った金メダリストのMMA初戦が、鮮やかな1ラウンドTKO勝利に終わったのだ。期待されていた光景が期待通りに実現したことに観客も大いに満足しているのが伝わってくる。
(クソ! あいつ、近いうちに絶対潰してやる!)
1ラウンド敗北という最も悔しい結果に終わった小仏さんと共に退場しながら、俺は強く思った。
リングからは宮地大地のマイクが未だ会場に鳴り響いていた。
リングから控室までの移動は観客席の中を通っていく。つまり観客からすればさっきまでリング上で戦っていた選手が目の前を通ってゆくのだ。
だが目の前を通って退場してゆく小仏さんに観客はほとんど見向きもしない。未だリング上でマイクを握っている宮地大地の言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を
(……これが勝者と敗者の差か……)
あまりにも落差の激しい構図に俺の目には映った。
命懸けで戦ったって敗者は見向きもされないのだ。観客の目には小仏さんはまるで最初から存在していなかったかのようだった。たった1試合の勝者と敗者でこれだけの差がつくのだ。
「いやぁ、MMA初戦ってことでめちゃくちゃ緊張してたんっすけど、意外とあっさり勝てちゃいました! オレすぐに世界チャンピオンになるんで……井の中の蛙の世界チャンピオンとかじゃなくて誰もが認める本物の世界チャンピオンになるんで、オレに付いて来て下さい! あ、ちなみにオレノーダメージなんで、なんなら明日にでも試合できますんで笹塚CEO次の試合よろしくお願いしまーす。世界チャンピオンになるにはのんびりしてられないんで、マジでよろしくです! ……ってわけで今日はありがとうございました! これからも宮地大地を応援して下さい!!!」
宮地大地の最後の言葉に、一部の観客は感情を爆発させるような声を上げて応える。
格闘技ファンは非日常的な熱狂と陶酔を求めているのだろうな……ふとそんな感想を抱いた。
「……いやぁ、参った参った。あんなやられ方するなんて思ってなかったよ!」
選手控室に戻った小仏さんは肩の荷が下りたかのような声を出した。戦闘モードはもう終わり、いつも目にしている思慮深く温和な小仏さんに戻っていた。
「田村君見た? あのタックル! マジで尋常じゃないよ! 俺も階級上の選手とスパーしたことあるけどさ、ミドル級の選手のフィジカルかと思ったよ、アレは!」
「そこまでですか! ヤバいですね……」
もちろん俺もショックではあったが、誰より悔しいのは敗戦した小仏選手本人に決まっている。
その小仏さんが落ち込む様子も見せず明るく振舞ってくれたことは、俺やチームの皆としてはとても助かった。
ちなみにミドル級というのは俺たちがやっているバンタム級よりも20キロ以上重い階級だ。試合後の興奮で小仏選手がやや誇張して語っている可能性もあるが、宮地君のフィジカルが本当にそこまでのものだとしたら同階級の選手で彼を止めることは至難の業だろう。
「つうわけで、まあ俺もこれでMMAは一区切りだな。あとはよろしく頼むよ、田村君」
宮地大地をどう倒すか……ということを考えていると小仏さんが俺の肩をポンポンと叩いてきた。まさかの引退宣言に俺も慌てる。
「いや待ってくださいよ、小仏さん! これで引退は違いますって! 本当の小仏さんはもっともっと強いじゃないですか! せめてもっと強いところをお客さんに見せてからにして下さいよ!」
小仏さんが引退を考えていることは薄々感じていた。というか一緒に練習するようになってからも本人は度々口にしていた。でも俺としては練習で組み合う度に新たな強さが見えてくるばかりだったから引退には反対だった。
「いやぁ、もう老体にMMAはキツいのよ。減量も大変だしさ。最後にメインイベントでやらせてもらってさ、俺としては思い残すことはもう無いよ。これからは田村君たち後輩を支える側に回って時々柔術の試合に出るくらいがちょうど良いんだよ。今回宮地君に負けたからってのはもちろんあるけどさ、それがなくても俺はそろそろ引退しようと思ってたんだって。っていうか正直言えば田村君との試合も受けるかどうかかなり迷ったくらいだしね」
「小仏さん……」
俺としては知れば知るほど小仏さんのことを好きになっていたし、その強さをもっと多くの人に知ってほしいという気持ちはあったが、進退は本人が決めることだ。本人の決定に他人が口を挟む余地はない。
「小仏君すまん!」
しんみりとした空気が漂い始めた控室に飛び込んできたのは、我らが師範
師範も会場で今回の試合を見ていたのだった。
「保君! 今笹塚さんがリング上に上がってきてな、バンタム級新人王トーナメントを開くっていう宣言をしたんだ!」
「……新人王トーナメント、ですか?」
師範の言葉はすぐにはピンと来なかったが、師範の興奮っぷりから俺にとっても重大なことなのだろうという推察はできた。
笹塚CEOが告知した新人王トーナメントの概要は以下の通りだ。
・プロデビューから3年以内の新人選手8人を集めてトーナメント戦を開く。
・トーナメントの優勝者は即タイトルマッチとして現チャンピオンに挑戦することを保証する。
というものだ。
まだ具体的な出場選手など詳細は決まっていないものの、笹塚CEOの狙いが、宮地大地をスターに祭り上げるためのものだということは誰の目にも明らかだ。
注目度も抜群の宮地君には当然他の団体からもオファーが来ているはずで、そんな彼にダンクラスで一戦でも多く戦ってもらうこと、そしてできればダンクラスチャンピオンという箔を付けてからメジャー団体に送り出したい……というのが笹塚さんの狙いのようだ。
「良いか、保君。保君も新人王トーナメントに出場する可能性は高い。そもそもトーナメントを開けるほど多くの選手がダンクラスからデビューしていれば、3年以内なんていう中途半端な枠を設けず今年デビューの選手に限るのが普通だろう。それだけ駒が少ないんだよ。保君は今年デビューしてまだ10代、しかも2連勝している。どう考えてもこの8人の枠には入るはずだ」
「……そうですね、はい」
新人がそれだけ順調に揃うのであれば、毎年新人王トーナメントを行うこともできるだろう。それができないのは、師範の言う通り駒が揃わないからだ。
「もちろん笹塚さんの本命は宮地君だ。彼をスターにするためにこのトーナメントが組まれたことは間違いないだろう。でも勝負は勝負だ。とにかく勝てば宮地君の代わりに保君がスターになることも可能なんだよ!」
「……いやぁ、別にボクはそこまで注目を集めたいわけじゃないですけど……」
「保君……チャンスはそんなに何回も回ってくるわけじゃないぞ。なんとしてもこの機会を掴むんだよ!」
師範の言葉には熱が籠っていた。
あまり過剰に注目されるのは俺自身望ましいことだとは思えなかったが、たしかに師範の言うことももっともだ。格闘技人生は長いようで短いのかもしれない。数年後に必ずしもプロの舞台に立ち続けられている保証はどこにもないのだ。わずかでも注目を集める手段があるならそれを使わないのは、プロとしてはむしろ不誠実な行いなのかもしれない。
どこか自分事のような熱を帯びている師範の目を見ていると、俺はそんなことを思った。