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第55話 金メダリストの実力

「小仏さん、いつも通りやれば大丈夫ですからね。……まずは距離を取って打撃でしっかり削っていきましょう。向こうも組んだ力は相当あると思いますけど、有利な体勢だと判断したらこっちから組んで仕留めに行ってもオッケーです。でも打撃でイケそうならそのままKOしちゃってもオッケーです」


試合前マウスピースをめながら、俺の言葉に小仏選手がうなずく。

いつもの温厚な表情とは打って変わって、鋭い眼光の戦闘モードに入っていることに俺はむしろ安堵を覚えた。


例の金メダリスト宮地大地のMMA転向初戦の相手を小仏選手が務めることとなり、俺はそのセコンドに志願したのだった。

俺のプロデビュー戦の相手をしてくれたこと、その後も継続して寝技を教えてくれている小仏選手は俺にとって第二の師匠とも言える存在になっていたからだ。


(勝って欲しいな……)


これから戦いに向かう小仏選手の背中を見て改めて思った。

細身に見える小仏選手だが、MMA選手の背中は総じて逆三角に広がっている。若い頃から組技の鍛錬を続けてきた小仏選手の背中は誰が見ても「戦う男」の身体だ。


宮地選手がMMA転向してくる際の報道を見て俺は彼に強い反感を抱いたのは前述の通りだが、少し落ち着くとそんな怒りは消えていた。

もしかしたら彼は彼で注目を集めるためにああした言葉遣いをしたのかもしれないし、金メダルを取るような超一流アスリートがこれからやる競技のことを舐めているわけがない。試合まで死ぬ気で練習を積み重ねてくるに決まっているし、その努力は我々一般人とは違う水準にある可能性が高い。

むしろ、彼がこの場をデビューに選んでくれたことはダンクラスという団体が注目を集める大きなチャンスだし、そういう意味では俺などはむしろ彼の参戦に恩恵を受ける立場なのかもしれない。


今回の試合も大会のメインイベントとして設けられていた。デビュー戦でいきなりメインカードを務めるなんてことは異例ではあるが、彼が金メダリストでありそれだけ注目を集めていることを考えれば自然なことではある。ダンクラス各階級どのチャンピオンよりも宮地大地の知名度は圧倒的に高いのだ。


でもだからこそ小仏選手には勝って欲しかった。

何年先になるかはわからないが、宮地選手のポテンシャルが完全に発揮されれば日本のトップ層まで一気に上り詰める可能性は普通にある。MMAに於いてレスリング能力は大きなアドバンテージだからだ。だからこそその前に小仏選手にはMMAの難しさ・厳しさみたいなものを彼に教えて欲しかったし、彼を通して小仏選手をもっと評価して欲しい……というのが共に練習をするようになって抱いた感情だった。




「セコンドアウト! セコンドアウト!」


いよいよ開始のゴングが鳴った。


「まずは足使っていきましょう! 距離感大事に! 近付きすぎないようにね!」


当初のプラン通りの声を俺は掛ける。もちろん本人もわかってはいるだろうが、こうして外から声を掛けてやることでタイミングを取りやすくなったりもするし、緊張が解れる場合もあるものだ。


(う~! 緊張する! これなら自分が試合してた方が百倍マシなんだけど!)


序盤はお互いに遠間の距離での探り合いが続き、焦れる展開となった。

試合が始まってしまえばセコンドにできることは選手に声を掛けるだけだ。緊張感が続く割には何もできることはなくて、これなら自分が殴り合っていた方がまだ緊張感がほぐれるのに……と思ってしまう。師範がいつも俺の試合のセコンドに付いていた時の気持ちを思うと頭が下がる。


「オッケー、ナイスロー!」


小仏選手が放ったローキックはクリーンヒットしたとは言えなかったが、それでも俺は声を出す。そうやって選手を心理的にノせてやるのもセコンドの役目だからだ。


(……にしても、タフそうだな)


間近で見る金メダリスト宮地選手の動きは速く軽い。もちろん組み合った時の身体の強さは言うまでもないだろう。


「小仏さん、中間距離はダメ! 一回離れよう!」


宮地選手は171センチ。身長は小仏選手と同じなのだが、リーチは手脚の長い小仏選手の方が上回っている。

こちらの戦略としては基本的には遠間の距離から踏み込んでのジャブやミドルキックなどで徐々に削ってゆく、というものだ。もちろん近距離になったら『柔術仙人』の本領である寝技に持ち込むのもアリだが、まずは打撃の勝負で優位を示したかった。

組み合いに持ち込むにしてもこちらのタイミングで組むのか、相手のタイミングで組むのかでは大きく変わってくる。最終的にどうなるにせよ、スタンドで優位を築くことが肝心なのは変わりない。


セコンドである俺の言葉に軽く頷いた小仏選手は一旦構えを外して、距離を再度作り直した。

その瞬間、宮地選手が両腕を振り回しながら突っ込んできた。

意表を突いた左右のフックの連打……といえば聞こえはいいが、素人っぽい無茶苦茶なパンチだ。


(……あれじゃあKOは無いな!)


もちろん宮地選手もMMA挑戦に向けて打撃も練習をしてきたのだろうが、数ヶ月では付け焼刃というところだろう。

余裕をもって小仏選手が外したところで、宮地君はさらに強引にタックルに来た。


「小仏さん、見えてる見えてる! 切って次だよ!」


普通のタックルに来る間合いよりも感覚的に言えば二段階ほど遠い間合いだった。脚へのタックルは基本的に膝や太もも辺りに自分の胸を当てに行くようなイメージだが、宮地君のタックルはさらに遠く低く、ほぼ地面スレスレ、足首を掴みに行くようなタックルだった。

タックル自体は流石金メダリストという鋭いものではあったが、いくらなんでも無理矢理だろう……というのが正直な感想だ。いくらなんでもこの体勢では、上から潰してタックルを切るのは容易に決まっている。

このまま上から潰して一旦距離を取って再度スタンドの展開に持ってゆくか、あるいは潰して上から技を掛けるかは、小仏選手の選択次第に見えた。


(は……?)


だが、あっさり潰されるように見えていた宮地君のタックルは中々潰れなかった。

それどころか宮地君は、低い体勢のままグイグイと小仏選手をコーナーポストまで押しやってしまった。

タックルを切れないと悟った小仏選手が、上から宮地君の背中にパンチや肘を落としていったが、支障となるほど大きなダメージにはならなかった。コーナーに押しやられた小仏選手の身体がのけ反るように立ち上がらされる。そのタイミングで宮地君は再度タックルを仕掛けた。


ほんの目の前2メートルの攻防なのに見逃したような、異次元の速さのタックルだった。

そしてすぐに次の瞬間、小仏選手の身体は宮地君に抱えられ宙吊りになっていた。


「おおっと、まさかのリフトだ! 宮地選手、これが金メダリストのパワーだ!」


実況の声に場内が一斉に沸くのが見て取れるようだった。

宮地選手はそのまま肩に小仏選手を軽々と担ぐとリング中央に持ってゆき、後ろに落とすように投げた。


「小仏さん、こっから! 慌てないで相手を見て! 立てるよ!」


俺も必死で声を掛ける。

派手な投げ技ではあったが、綺麗に投げられて受け身も取れたためダメージはほとんどなさそうだった。だがこんな大技を食らった経験は流石の小仏選手もないのだろう。動きが一瞬止まった。

その瞬間すぐに宮地君が小仏選手の上に乗り、マウントポジションからパウンドのラッシュを放つと、すぐさまレフェリーが試合を止めてしまった。


小仏選手まさかの1ラウンドTKO負けである。




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