18歳大学1年生の5月にダンクラスでのデビュー戦、
相手はプロ3年目、2勝3敗というキャリアの
試合が始まると俺は、遠間での打撃の攻防をしつつ、近い距離になった際には自分から組み付いて積極的にテイクダウンを狙っていった。
小仏選手のジムへの出稽古はずっと続いており、寝技に対する苦手意識は完全に消え、自分から組んでゆくことも大きな選択肢として持てるようになったことは大きかった。
藤堂選手側からすると完全な打撃戦になるという予想だったようで、意表を突いた俺からのテイクダウンはかなり有効だった。
自分から良い状態で持ち込んだだけにグラウンドの展開でも俺は優位に進め、ほとんど良いポジションを譲らなかった。だが一本を取るには至らず、結局3ラウンドを終了して勝負はまたも判定に委ねられることになった。
(……くそ! あんなに頑張ってきたのにな!)
小仏選手にみっちりと寝技をしごかれ、俺のためにほとんど技術を伝授してくれたことを思い出すと悔しさが込み上げてきたが、結果は3-0フルマークの判定勝利だった。
「誰が見ても保君の完勝だったよ!」と師範は言ってくれたが、俺は何としても一本勝ちを収めたかっただけに少し悔しさの残る試合内容だった。
「お疲れ様、田村君」
「……あ、小仏さん! すみません、絶対一本極めたかったんですけど! ……これじゃあ『柔術仙人』のスキルが泣きますよね!」
試合後、控室に戻ると小仏選手が挨拶にきてくれた。
「何言ってんだよ! デビュー戦に続いて2連勝だろ? 贅沢言ってんじゃないよ!」
バシッと肩を叩かれガハハと笑われると、俺も笑って返すしかない。もちろん一本極めて勝ちたかったのも本音だが、それが可能なほど今回は余裕を持って戦えた……というのも事実だったから、小仏選手が言うように気分は良かった。
「それよりな……俺もさっき笹塚さんに呼ばれて次戦決まったぞ」
「あ、そうなんですか! 相手は誰なんですか?」
俺と試合をした直後には「MMAの試合はもうやらないかもしれない」と言っていただけに、小仏選手がMMAに対して前向きになってくれたのは純粋に嬉しかった。
「……まだ正式発表があるまでは内緒で頼むぞ?」
キョロキョロと周囲を見渡して俺の耳元に口を寄せてくる小仏さんの仕草を、俺はある種のギャグだと思っていた。
もちろん公式発表まで情報は秘密にしておくべきことではあるが、ダンクラスなどというマイナー格闘技団体に興味があるのはコアなファンに限られているからだ。秘密も何も……という気がしたのは正直なところだ。
だが次の小仏さんの言葉に、俺は正直言って鳥肌が立った。
「宮地大地君だよ。レスリング金メダルの。年末に彼のデビュー戦をやるみたいだ」
「……………マジですか? 噂はありましたけど、マジでダンクラスでデビューするんですか……」
「ああ、そうなんだ。けどこれはダンクラスにとって良い流れかもしれないぞ」
小仏さんの目は俺と対戦した時よりもギラついているように見えた。
笹塚CEOはさしてやる気がなさそうに見えて相当な
オリンピック金メダリストのMMA転向ともなれば、大金を積んででもウチで試合をしてほしい……という団体は多いだろう。どんな手を使ったのかは定かではないが、ダンクラスがそれを引き当てたのだ。
そして小仏選手の話の通り10月の初頭には年末の「小仏真人VS宮地大地」が正式に発表された。
それに伴い、俺はユースカップで戦って以降の戦友である
大兼君も元々はレスリングからの転向組であり、仮想宮地大地として小仏選手の練習相手には最適の人材だと判断したからだ。
小仏選手にはここ最近はずっと世話になっていたから、少しでも宮地戦に向けた力になって欲しいとの思いからの行動だ。相手が金メダリストだろうが何だろうが、共に練習している小仏選手に俺は勝って欲しかった。というか小仏選手の多彩な寝技にMMAキャリアのないデビュー戦の選手が付いてこられるとは到底思えなかった。
「ま、良いんだよ。おじさんは負けたって。俺を踏み台にしてみんな強くなってってもらえばそれで嬉しいんだよ」
キツいスパーリングの後などは時々小仏選手はそう漏らしたが、もちろんそんな言葉が本音だと俺は思わなかった。口では何と言おうとも本心では「絶対俺の方が強い!」と思っているのがファイターというものの性だ。
「そう言えば大兼君はレスリング時代、宮地選手のことは知ってたの?」
ある日の小仏選手の道場での練習後、俺はふと大兼君に尋ねてみた。
「そりゃあ、知ってるっすよ。知ってるに決まってるじゃないすか! 宮地大地なんてエリート中のエリートっすよ。レスリングに関わったことのある人間で知らない人間なんかいないっすよ!」
大兼君の反応は俺の想像以上だった。
「え、対戦したこととかはあるの?」
「あるもなにも、中学初めての全国大会の初戦が宮地大地だったんっすよ! ……秒で負けたっす。気付いたらフォール負けしてたっす。マジであのスピードとパワーは意味わかんなかったっす」
「そんなにも違うんだ……」
当時を思い出し露骨に凹んだ大兼君を見て驚いた。いつもは強気の大兼君だし、そもそも大兼君の身体能力は抜群に高い。俺の練習仲間の中では随一と言っていい。そんな彼が『意味がわからなかった』と評するだけの身体能力を宮地大地は持っていたわけだ。
「アレを味わったのがきっかけになって自分はMMAへの転向を決めたんっすもん。ここから何年レスリング必死にやってもこれだけの実力差をひっくり返せることはないだろな……ってわかっちゃったんすよね」
「そうなんだ……」
「まあ、でもこれからはお互いMMAの土俵ってことっすからね。MMAなら負ける気1ミリもないっすよ! いつかぶっ潰してやるっすからね!」
だがそれでも大兼君も最後は強気に締め括った。
たしかにMMAでは何年も前から毎日練習してきて、先にプロデビューまでしているだけに大兼君のその気持ちも妥当なものだろう。
レスリングだけでなく、柔道やボクシング、さらには野球やサッカーなど他の競技から流れてきたMMAファイターはとても多い。彼らがその道のトップ選手であり続けられたなら、恐らくMMAに転向してきたりはしなかったわけで、そういった意味ではMMAが彼らの受け皿になっているとも言えるわけだ。
もし大兼君VS宮地君の試合がいつか実現して、レスリングの負けをMMAでリベンジする……ということにでもなれば、それはとてもロマンのあることだとも思う。
最後に勝つのは強いヤツじゃなくて諦めずに挑み続けるヤツなのかもしれない。