「宮地選手、金メダル獲得おめでとうございます! 日本レスリング界にとっては久々の快挙ですね!」
「はい、ありがとうございます! 本当に皆さんの応援のおかげです!」
取材用の部屋に入ってきた記者の
各所で散々賞賛の言葉を浴びてきたのでもう特に感動は無いが、彼が幼少期から受けてきた「アスリート教育」の中にはメディアへの丁寧な対応というものも含まれていたからだ。
「金メダルが確定した時の気持ちを教えていただけますか?」
「そうですね、幼い頃から目標にしていたことの一つがようやく達成できてとても嬉しかったです、はい」
至って普段通りのテンションで宮地大地は応える。
「なんだか意外と冷静だったように聞こえますが、宮地選手はそれだけの自信があったということでしょうかね! ところで宮地選手はまだ18歳とお若いので、4年後の五輪でも22歳、8年後の五輪でも26歳と今後もメダル獲得の期待が高まりますが……」
「あ、いえ……競技としてのレスリング、というお話ですよね? 実は今回でもうレスリングは卒業しようと考えておりまして、協会にもその意志はすでに伝えてあります。オリンピック金メダル以上の目標を自分は見つけられそうもないですし……」
遠慮がちに言われた言葉とは裏腹にその内容の大きさに記者は目を丸くした。
「……え! ということはもうレスリングは引退ということですか!? 何か大きなケガを負ってのメダル獲得だったとか?」
「あ、いえいえ……身体は普通にピンピンしています。レスリングでもうこれ以上戦いたい相手というのも居ませんし、自分には他にやりたいことができたというかですね……」
そこで宮地大地は一旦言葉を切り、椅子に座り直した。
そして次の瞬間、模範的トップアスリートの仮面を脱ぎ捨てた、宮地大地の素の人格が少し垣間見えたような印象を受けた……と後になって記者は語った。
「まあ、正直言いますとですね……自分は世界最強の男になりたいんですよ。子供の頃に抱いたその夢に向かってバカ正直にやってきたんですけどね、とりあえず競技としてのレスリングはもう極めたな、っていうのが正直な感覚です」
「……世界最強ですか……」
記者は生真面目な性格らしく、想定外の宮地の応答にそれ以上の言葉を持っていなかった。
「そうなんですよ。レスリングは素晴らしいスポーツだと思います。でも殴っちゃダメ、蹴っちゃダメ……って制限があまりに多くないですか?」
「はぁ……それがレスリングというスポーツですからねぇ……」
記者は顔を引き
「ところがそれが許される競技があるんですよ。MMAっていうんですけどね。……まあ自分自身の感覚で言えば正直もう世界最強だと思っています。でもそれを誰もが認める形で証明しなければならない。……どうでしょうね、3年くらいは掛かりますかね? 3年の内にMMAで世界最強のチャンピオンになることにします。はい」
宮地の言葉に記者が戦慄したのは、彼の言葉が煽りや自分を追い込むためのビッグマウスなどには聞こえず、淡々と事実を述べているかのようなトーンだったことだ。
「……それだけ自信があるということはもしかして、今までもレスリングの練習をやりながらMMAの練習も少しずつ積み重ねてこられたということですか?」
「ははは! いえいえ、そんな片手間で金メダルを取れるほどレスリングも甘くないですよ。今までは正真正銘レスリングに全力を注いできましたよ!」
「ではMMAでは誰か戦ってみたい相手などはいらっしゃるのですか?」
レスリング選手としての宮地大地の今後の展望を聞く……というのが今回の取材の趣旨だっただけに、金メダリストがまさかのMMA転向という一大事を聞かされ記者も大いに困惑していたが、何とか頭を切り替えMMAに話を振っていった。
「いやぁ、特に誰というのはいないんですよね。とにかく強い相手とやってみたいなと。まあでも結局すぐ世界チャンピオンになっちゃう気はするんですよねぇ」
「何ですかコレ? ……いや、なんなんですかコレは? ふざけてるんですか? ふざけてるんですよねぇ!?」
スポーツ新聞のWeb欄に初めて掲載された記事を見た俺は、怒りに震える気持ちを師匠である森田紋次郎師範に吐き出さざるを得なかった。
「ああ、レスリングの宮地君がMMAに転向してくるって話だね」
俺がここまで腹を立てるのは極めて珍しいことのようで、師範も苦笑しながらそれに応える。
「MMAはそんなに甘くないでしょうが! って話ですよね、師範! ……何が『片手間で金メダルを取れるほどレスリングも甘くないですから笑』だよ! ふざけんなっての、このこのこの!」
言葉にすればするほど余計に腹が立ってくるようで、気付くと俺は傍らのサンドバッグに膝蹴りを一発入れるとそのまま左右のフックを連打し始めていた。
最初
「けどな、保君……」
鬼のパンチ連打で俺の息が切れるのを待っていたかのようなタイミングで、師範が声を掛けてきた。
「もちろんMMAは一朝一夕の努力でどうなるものではない。学ばなければならない技術が物凄く多岐にわたるし、その技術を試合でちゃんと出せるようになるためには経験が必要だ。……けどなオリンピック出るような人間なんてのいうはホンモノの化け物なんだよ。そんな常識を軽々と飛び越えてしまう可能性がある」
「……え?」
師範も苦労してMMAのキャリアを築いてきた人だから俺に完全同意し、宮地大地とかいうちょっとレスリングで金メダルを取っただけのアマチュア小僧には辛口の批判を浴びせてくれるとばかり思っていただけに、俺は背後から冷や水を掛けられたような気分だった。
「しかも彼はダンクラスからデビューするかもしれん……という話だ。少し前に笹塚CEOがそう話していた。彼ほどの人物ならば当然『FIZIN』も放ってはおかないだろう。だが宮地君はしっかりとマイナー団体から始めようとしているらしくてな……ビッグマウスに見えて堅実なキャリアの築き方だよ」
師範は一人うんうんと頷いていた。
……マズイだろ! 師範は彼を批判するどころか、そのマインドまでも誉めちぎっているではないか!
だがそれよりももっと直接的に問題なのは……
「……え、だ、ダンクラスに出るんですか? え?」
ダンクラスに彼が参戦してくるということは、俺とも接点ができる可能性があるということだ。しかもレスリングでは59キロ級だったということは、俺と同じバンタム級で参戦してくる可能性が高い。
彼はマイナー団体であるダンクラスなど一足飛びに飛び越えて、国内最メジャー団体『FIZIN』 に出るべき人材だと思っていた。
「まあ、とにかく決まっていない先のことを考えても仕方ない。保君は保君の目の前のことに集中するしかない。笹塚さんから宮地君参戦の話を聞いたのはたしかだけどな、当然『闘道』や『DIVE』、『ファイトチャンプ』なんかにも話は行っているだろう。まあ万が一本当に彼がダンクラスでデビューするとなれば、保君にも注目が集まるチャンスだぞ!」
『闘道』『DIVE』『ファイトチャンプ』はダンクラスと同格と言ってよいMMAマイナー団体だ(マイナー団体の中では有名な方ではあるが)。どこの団体で彼がデビューするのかはもちろんわからないから、とにかく俺は俺の為すべきことに集中しろ……というのはあまりに真っ当なアドバイスだった。
まあもちろん俺も彼のことがここまで気になっているのは、そのインタビュー記事を読んだがゆえのことだし、時間が経てば嫌でも興味は薄れ、自分自身のことに集中してゆくものだとばかり思っていた。
だが、俺と彼との縁はむしろ時を経るごとに濃くなってゆくのだった。