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第47話 小仏ロール

「保君、良い感じだ! 次のラウンドもこのまま行こう!」


師範が親指を立てて迎えてくれた。


「……行けそうな気がします。組みの力も思ったほど強くなかったですね、正直」


俺もそれに応える。

1ラウンド戦ったアドレナリンの影響による大言壮語……というわけではなく、実際俺の頭はかなり冷静だったと思う。


「そうか! じゃあ当初のプラン通りでいけるね?」


どれだけ映像を見て動きを研究しても、組んでみた時の感覚・感触の方が情報としては優位だ。

打撃やその他の動きは傍目にもわかる部分が割と多いが、特に組技に関しては実際に組んでみないとわからないし、逆に言うと一回組んでみればその実力はある程度見えてくる。

見た目がマッチョな人でも組んでみればそこまで強くないなという場合もあるし、細身でも想像以上に力の強い人もいる。

腕相撲の強い人は試合開始前に手を握った感触だけでわかる……というのに近いだろうか。


小仏選手の組む力は、正直言ってあまり大したことがなかった。

バックを取られはしたがそこから簡単に引き剝がせたことが何よりの証拠だ。この感触ならば正面からの四つ組になっても負ける気はしなかったし、タックルに入られてもそれほど脅威ではないだろう……というのが正直な印象だ。


「オッケー! 1ラウンドは取ったと思う。でもくれぐれも油断は禁物だし、攻める気持ちを忘れたら絶対ダメだから! 自分から仕掛けていこう!」

「はい!」


今回の試合は5分3ラウンドの戦いだ。もちろんKO・一本で勝つのが理想ではあるが、3ラウンド戦って勝敗が付かなければ判定に勝負をゆだねることになる。しっかりポイントを取っておくことも勝利のためには重要だ。


「セコンドアウト! セコンドアウト! 間もなく第2ラウンド開始です!」




(……小仏選手は消耗してる? このまま押し切れるんじゃねえのか?)


第2ラウンドが開始しても俺のペースで試合は進んでいた。

試合が進むと打撃に目が慣れてきて対処されるケースも多いのだが、今回はむしろ逆に俺の方が小仏選手の動きを読めるようになり、動く先に打撃を放てるようになったような感覚だった。

小仏選手もステップを変えて、変則的な打撃を放ったりしてペースを変えようとしているのだが、初見のはずのその動きがことごとく俺には読めてしまっているのだった。


「行け行け保!」「KOしちまえ!」


吉田たちや平本さんたちジムの会員さんという、いわば俺の応援団からの声も不思議なほどはっきりと聞こえた。プロデビュー戦だというのにこんなに冷静に戦えていることに俺自身が驚くほどだった。


(……行くか!)


対面する小仏選手の動きがさらに落ちてきているように見えて、俺は決断した。

今までは遠間からの蹴りで削ってゆく戦いをしていたが、これだけダメージを与えていれば十分だろう。

リスクを回避して判定で勝つよりも、しっかりとKOを狙いに行って勝つのがプロとしての務めだ。お客さんははっきりした決着がみたいのだ。俺もプロになったからにはプロとしての自覚を持って試合をしなければならない。


(……ふう)


俺は一つ意識的に呼吸した。遠間からの蹴りではなく、さらにここから踏み込んでラッシュをかけて、KOを狙うのだ……そう決意した瞬間だった。

目の前に捉えていたはずの小仏選手が急に視界から消えた。


(は……?)


一瞬俺は混乱した。何もせずに小仏選手が勝手に倒れたのだろうか? と一瞬思ったほどだった。

そして次の瞬間には俺の足元に絡みつく小仏選手がいた。

俺の股下から両腕と両脚を伸ばし、無表情に俺を見上げる小仏選手が妖怪か何かに思えた。


「おおっと、小仏ロールだ! 田村選手、これは意表を突かれたか~!?」


『小仏ロール』……これがあることを完全に忘れていた。

小仏選手はほとんど地面を這うように突っ込み、さらに俺のほぼ真下で後ろを向いて仰向けになるように転がり、俺の奥足である右膝を掴んでいたのだ。

ここから踏み込もうというタイミング、爆発の前の一瞬の溜めのタイミングだっただけに俺は完全に虚を突かれた。


俺の右足を掴んだ小仏選手は、そこを支点にして背中付いてくるりと一回転すると、俺の右足を伸ばした。

俺は反射的に足を引き抜こうと試みたが、小仏選手のクラッチは固く自然法則に従うように俺は後方に尻餅をついて倒れた。人体の構造上そうするしかなかったのだ。


「流せ! そのまま身体を流すんだ!」


師範の絶叫のような声が聞こえた。


「さあ、小仏ロールからのヒールフックだ! 田村選手これは耐えられるか!?」


小仏選手は俺の右のかかとの辺りを持ち、両脚で俺の右膝をロックすると身体を大きく捻った。


(……ち!)


反射的に俺は空いている左足で小仏選手の顔面を蹴りたくなったが、師範の言葉を思い出し、捻られた力の方向に逆らわないように身体ごと大きく捻った。

ヒールフックやヒールホールドと呼ばれるこの技だが、実際には足首ではなく膝の関節を狙った技だ。膝の関節が可動域以上に捻られれば一瞬で極まる。膝関節は筋力で対抗することもできないため、一発で破壊される可能性のある危険な技だ。


もちろん俺も様々な寝技をその対処とともに学んでいたが、足関節を狙った技はどちらかというとややマニアックな技だ。しかもこの小仏ロールからの仕掛けは、スパーリングでも受けたことがなかった。

仕掛ける方が思いっ切り下になる入り方であり、潰されれば一気に不利な体勢になるのでリスクが大きい。そのためこうした仕掛け方は最近のMMAではあまり行われなくなっている……と聞いていた。

小仏選手も、自身の代名詞であるこの仕掛けから何度も手痛い逆襲を浴び、近年ではほとんどこの仕掛け方はしていなかったはずだ。


(……くそ!)


膝を捻られた方向に大袈裟なくらい身体を回し、何とか俺は窮地を凌いだ。

おお~、という観客からの歓声がダイレクトに俺に届いたことは、観客もこの技を知っているということだ。やはりダンクラスというマイナー団体をわざわざ会場にまで観に来る観客は目が肥えている。




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