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第46話 距離感

「ヘイヘイヘーイ」「行け行け保~!」「そのまま蹴り続けろ~」


俺の攻勢が続いていた。原因は俺にとって有利な距離感で試合が進んでいたからだ。

180センチというバンタム級の中では長身の俺に対し、小仏選手は恐らく170センチほど。さらに俺は手脚の長い体型なのでリーチ差は15センチほどあるだろう。

たかが15センチと思う人もいるかもしれないが、この15センチの差はとてつもなく大きい。

MMAに限らないだろうが格闘技はほとんど距離の取り合いである……とやればやるほど思う。

相手の攻撃をもらわない位置にポジションを取り、如何に好機に侵入し攻撃を当てるか……特にスタンドの局面ではそういうことになってくるのだと思う。パンチの距離、蹴りの距離、足元へのタックルの距離、四つ組の距離……それぞれに適切な距離がある。

もちろん前後の距離だけでなく、高さ、角度なども含まれるから、空間の取り合い、と言った方が適切だろうか。


時折パンチを混ぜながら、基本的には俺は自分の蹴りの距離で戦うことができていた。

パンチよりも蹴りの間合いの方が遠い。小仏選手のパンチの届かない距離から俺は蹴りを当てることができるのだ。


(……来る!)


小仏選手の気配が変わったのがわかった。蹴りを受けることも覚悟の上で強引に組み付いてこようという気迫だ。だが俺もすでに始動している蹴りのモーションを止めることはできない。


「ぐ……」


俺のミドルキックは脇腹にまともに入り、小仏選手がうめき声をもらす。

だが俺の蹴った右足は小仏選手が小脇に抱えるようにキャッチしていた。


(……わかってる! 想定内だよ!)


蹴りはリーチも長くパンチよりも威力の高い強力な攻撃だが、連打は出来ないしバランスを崩すことも多いリスキーな技だ。こうして掴まれてしまってはテイクダウンされる可能性も高い。MMAでほとんど蹴りを出さない選手もいるのはそのためだ。

だが当然俺もこうなる危険性も承知していたし、その上で対策も練ってきたということだ。

蹴り足を掴まれたからといって慌ててケンケンのような体勢で後ろに飛び下がるのは、余計にテイクダウンのリスクが高まる。

俺は蹴った方向にそのまま力を流して、足をたたみながらくるりと一回転するように動いた。軸足を回すと自然と蹴り足も回る。そう動くことで、掴まれた足は相手の腕の中で滑り自然と外れやすいことを俺は知っていた。


(……まだ来る!)


掴まれた俺の右足は狙い通り外すことができたが、その瞬間に小仏選手が猛然と突っ込んできた。

回転しながら蹴り足を外したため、俺は小仏選手に背中を向けるような体勢になっていたためだ。


「お~っと、ここで小仏選手! 田村選手のバックを取ったぁ!」


場内のアナウンスの声がなぜかとても鮮明に聞こえた。それに合わせるかのように観客も声を上げる。


(……そんな沸くほどの場面ではないだろ!)


内心ツッコミを入れられるほどに、まだこの時の俺は冷静だった。

スタンドバックを取られる。背中側から相手にホールドされる……というのはもちろん不利な体勢だ。自分の背中側に攻撃することはほぼ不可能なのに対し、相手は正面に俺を抱えているのだ。

しかしまだ決定的な場面とは言えないだろう。


「保君、慌てないで! 力使わずにコーナーまで行って外そう!」


セコンドの師範の声に俺は大きくうなずいた。自分の側のコーナーが近いのは心強い。

俺は一度意識的に大きく呼吸をした。呼吸が浅く速くなるとそれだけで余計にスタミナを使う。

そして改めて小仏選手が俺の胸の前で組んでいるクラッチを確認し、その両手首を左右それぞれ掴む。相手の両手首を掴んでおけば、締め技や組手の変化にも対応できる。


(……よし、コーナー行こう)


小仏選手も足を掛けてテイクダウンしようとしてきたが、向こうも体勢が不十分のようでテイクダウンされる脅威はあまり感じなかった。

スタンドバックの体勢のまま俺は前にゆっくりと歩き、リングのコーナーのところに身体を預けた。


「……ふう」


俺はもう一度意識的に大きく呼吸をした。

ダンクラスではリングで試合が行われており、コーナー以外はロープが張り巡らされている。こうして壁レスのテクニックが使えるのはコーナー部分だけになる。ケージ(金網に囲まれた試合空間)とはまた展開が変わってくるのだ。

組み技の展開は体力を消費するが、こうして壁を使い相手のテイクダウンを防ぐだけならそれほど消耗はしない。無理に倒そうとすれば小仏選手の方が遥かにスタミナの消耗は大きいだろう。


(……今だ!)


小仏選手がテイクダウンを諦め、一息つこうとプレッシャーが弱まった瞬間だった。

俺の腹の辺りで組まれている両手首を上から押さえ付け、クラッチを切ることに成功した。

そしてできた少しの空間を利用して強引に正対した。……だけでなく、さらにこちらから両脚タックルに入った。


「おおっと! ここで田村選手、今度は自らタックルを仕掛けたぁ!」


あまり体勢も良くなくやや強引だったのでタックルは簡単に切られてしまったが、その結果距離を取ってスタンドで正対することになった。スタンドで勝負したい俺としては狙い通りの展開だ。




「良いぞ~、保!」「プロ相手にも負けてねえな!」「……おい、保ももうプロになんだって」「あ、そうか。悪ぃ悪ぃ」


一連の攻防、そして入れ替わるポジションと展開に観客からも声援が飛んでくる。


(……行ける!)


俺も多少は消耗していたが、対面する小仏選手の肩が上下し呼吸が荒くなっているのを見ると、俺の方が優勢のように思えた。


カーン!


このまま攻めるぞ……と意気込んだところだったが、そこで1ラウンドの終了を告げるゴングが響いた。




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