「調子良さそうだな、保君!」
「はい、マジでよく寝られたんで絶好調です! 今ならミルコでもヒョードルでも倒せそうな気分ですよ!」
いよいよ試合当日となった。ジムで師範と合流すると自然と俺もそんな言葉が出てきた。
昨日の計量をクリアした後はリカバリーと言って、減量していた分を取り戻すかのように飯を食べて、水分を摂った。
しばらく食事を制限していたので、計量後の軽食としてお粥やゼリーを食べただけでも涙が出るほどに幸福を感じた。
それから少し経ってから師範やジムの人たちと焼肉に行き、夜は母親の作ってくれたカレーライスをたらふく食べた。ただそれでも俺の場合は水抜き1キロ程度だったから、そこまで大量のリカバリーというわけでもない。
ここ数日は緊張もありほとんど眠れなかったが、久しぶりにしっかり食べると驚くほどぐっすりと眠れた。おかげで朝起きた時はもう無敵の感覚だった。
食事をして睡眠を摂る……普段ほとんど意識することなく行っていることがいかに大切か、こういった機会があると痛感する。
「昨日、小仏選手を生で見て大体のステータスがわかったわ」
師範の隣にいたすずがそう言うと紙に書いて小仏選手のステータスを渡してくれた。過去の試合映像を見ておおよその推定値はわかっていたが、昨日の計量時に生で対面することでほぼ確定したようだ。
・小仏選手のステータス
……スピード62 パワー58 スタミナ63 打撃63(OF48、DF78) 寝技80(OF85、DF75) レスリング61(OF63、DF59)
・対する俺のステータスはこんな感じだ。
……スピード72 パワー64 スタミナ68 打撃73(OF78、DF68) 寝技48(OF38、DF58) レスリング63(OF58、DF69)
すずのスカウティング能力もさらに進歩し、打撃・寝技・レスリングそれぞれの局面での攻撃力・防御力も分けて見られるようになっている(OFが攻撃力、DFが防御力)。
「なるほどね、ありがとう! ……やはり寝技には気を付けなければいけませんね」
俺の言葉に師範もうなずく。
「まあ小仏君は試合慣れしているからな。その分慎重に試合に入ってくると思う……すずの出した数値の通り、総合的に見れば保君が有利だとは思うがくれぐれも油断は禁物だぞ?」
「はい、わかってます!」
すずのスカウティング能力の話が出る度に師範はそう言うし、能力と試合での勝敗は別物だということは間違いない。だが練習や試合を重ねる度に、すずの目算した能力値の正確さを俺は実感していた。
相手を舐めるつもりは決してないが、相手の戦力がわかっていれば作戦は立てやすいし、試合中に慌てることもない。試合を重ねる度にすずのスカウティング能力に対する信頼は増していると言って良い。
「赤コーナー!『ダンクラスの柔術仙人』
入場も終わり、間もなく試合が始まるところだ。
今までのユースカップとは違い、ダンクラスもプロの興行ともなると場内アナウンスも派手なものとなる。
「青コーナー!これがプロデビュー戦です!『逆襲のいじめられっ子』
(……これがプロの舞台か!)
客席の雰囲気、照明、声援や音響……何もかもが今までとは違っているように感じた。
良いリカバリーもできて、試合前はリラックスしていた俺だったが、流石にここに至っては心臓が飛び出そうなほど緊張していた。
「両選手、中央へ!」
(……怖!)
小仏選手は前日フェイスオフの穏やかな雰囲気とは打って変わって、レフェリーが諸注意を告げている時も俺の目を睨みつけていた。長く伸びた顎髭、乱れた長髪を紐で結び、鋭い眼光で俺を睨む姿はまさに『柔術仙人』そのものだった。
カーン!!!
運命のゴングが鳴った。
(さて……)
試合開始時のグローブタッチをすると、かなり遠めに俺は距離を取った。軽く前後にステップをしたり、遠間で軽くパンチを出したりしつつ様子を見る。
MMAに限らずすべての格闘技に通じるだろうが、間合いを測り、相手の出方を伺うこの時間はとても重要だ。観客の中には「そんな遊びみたいなことしてねえでとっとと全力で戦えや! こっちは金払って殴り合いを観に来とるんじゃい!」という人もいるかもしれないが、まあ慌てずに見て欲しい。この段階でも選手同士は相手の情報を探り、駆け引きを繰り返しているのだ。
(……フィジカルは俺の方が上だろうな。パンチへの反応はそこそこだけど、下の蹴りへの反応は全然だ……)
もちろんすずのスカウティングは信用していたし、小仏選手の試合映像も何度も見てその動きは頭に焼き付いていた。でも実際に対面して目の前で動きを見て、やっとそれらの情報が生きてくるような感覚だ。
とにかく目の前の相手が本物なのだ。ここに集中するしかない。
向かい合った印象の第一は、やはり全体的に身体の線が細いということだ。いつも練習している相手と比べるとフィジカルは一段階落ちるように思える。
スッテプを変え軽く打撃のフェイントを掛けてみた印象としても、反応はあまり鋭くなさそうだ。打撃はいくらでも入りそうな印象だ。
もちろん小仏選手の側も俺を観察してプランを組み立てているはずだ。それに対する警戒は必要だが警戒し過ぎても固くなるだけだ。
(……よし、行こう!)
試合開始からまだ1分も経っていないが、俺は少しずつ自分から仕掛けてゆくことにした。それが師範と立てていたプランでもあった。
やや遠めの間合いから一歩踏み込むと俺は右のミドルキックを放った。
バチン!
肉体同士がぶつかる派手な音に場内が沸く。
もちろん小仏選手はきっちりとガードをしており、今の一発が大きなダメージを与えたわけではない。だが俺のキックの威力に多少脅威は感じたようで少し下がって距離を取った。
サウスポーに構える小仏選手には、巻き込むような右ミドルは当たりやすく有効な攻撃だ。
さらに俺は追撃を試みる。
今度は先ほどと同じ踏み込み・予備動作からキックではなく右ストレートを放った。
バシ!
これも小仏選手がガードをしたので完璧には決まらなかったが、さらに一歩下がった。
それに合わせて俺も一歩踏み込み、また同じ予備動作から今度は右のローキックを放った。
ビシン!
このローキックはインロー(サウスポーに構える小仏選手の右脚の内側)にまともに入り、小仏選手はたたらを踏むようにバランスを崩した。
「ヘイヘイヘーイ! ナイスロー!」「っしゃ、良いぞ、保! 行け行けオラ~!!」「このまま決めたれ!」
場内に一際響く声援がして、吉田たちが応援にきていることがわかった。
(……行ける! 相手がプロだろうと俺の打撃は通用する!)
今の攻防で俺は手応えを感じていた。
自分の長所である打撃を俺はこの3年間磨き続けてきたのだ。相手にどの技が来るかをなるべく読みにくくするよう予備動作を少なくし、その上で多様な技を散らす……。
相手に何もさせず遠間からの打撃で一方的に試合を支配する、それが俺のリーチを生かした理想のファイトスタイルなのだ。