「ああ……この時は
ジムに戻ってきた俺は師範と共に早速小仏選手の試合映像を見返すことにした。
しかも最初に見るのは7年前の師範の引退試合、『ダンクラス297』での
「……結構打撃も鋭いんですね。どっちかというと寝技の選手なのかと思ったんですけど」
試合は終始小仏選手のペースで進んでおり、結局3-0の判定で小仏選手の勝利で幕を閉じた。
「元々は柔道がバックボーンだったはずで……いや、ずっと柔術主体の選手だったんだよ。でもこの試合ではかなり研究していたようでね、保君の言う通りおじさんはかなり打撃に苦しんだように覚えているなぁ……」
おじさん……森田紋次郎選手……の引退試合だから引退してゆく選手に花を持たせる、みたいな配慮はまったくないようだ。もちろん真剣勝負のMMAだから当然のことではあるが、紋次郎師範の引退試合がフルマークの判定負けになってしまったのはやはり少し悲しい。
「この時は小仏君もたしか28歳くらい、技術とフィジカルが噛み合って一番脂の乗っていた頃だと思う。小仏君はおじさんに勝ってランカー入りしたからね、すぐにそのままタイトル挑戦者くらいには行くんだと思っていたけど……結局そこまで辿り着くことはなかったね」
師範の声には明るい諦念と哀愁があった。
自分に勝った相手にはチャンピオンになって欲しいと思う感情は自然なことだと今の俺にはわかるし、それが簡単に成し遂げられるほど勝負の世界は簡単ではない、ということをも師範は知り尽くしているのだろう。
次は小仏選手の一番最近の試合を見てみることにした。去年の春に行われたやはりダンクラスでの試合だ。
「……だいぶスタイルが変わってますね。ほとんどスタンドの打撃戦には付き合わない……いかにも柔術家っていう感じですね」
スタンドでの打撃戦の間合いになったら、ひたすら間合いを外して逃げるか、ガードしながら相手の打撃の打ち終わりに強引にタックルにいく……というスタイルだ。それから相手を引き込むシーンもよく見られた。
「引き込む」というのは相手に組み付きつつ、自分から後ろに倒れ込み寝技に持ち込む動きのことだ。
「そうだね、小仏君も近年はMMAの試合は年に1試合くらいで、柔術の試合に頻繁に出場しているみたいだし、スタイルも完全に柔術家という感じになっているね」
MMAでは寝技になった場合、基本的には上になった方が有利だ。だが高い技術があれば下からでも寝技を仕掛けて勝つことができる。多彩な寝技を持つ柔術家はその傾向が強く、あまり下のポジションになることも嫌がらない選手も多い。
たしかにどこからでも寝技で一本を取りにくる柔術家は厄介だ。だが……
「でも、あまり積極的に自分から仕掛けてくるスタイルでもないし、正直そんなに脅威には感じないですね」
俺は正直な感想を言った。
どちらかというと小仏選手は「待ち」のスタイルだろう。相手が攻撃を出したタイミングでそれに対するカウンターで組み付き寝技に持ってゆく、というスタイルだ。
もちろん注意は最大限必要だが、向こうのタイミングで仕掛けてくることは少なく、俺は自分のタイミングで試合を運べる可能性が高いということだ。
それにフィジカルの面でも俺が有利に見える。最近の小仏選手は他のバンタム級の選手に比べて少し線が細いように見える。MMAにおいてフィジカル面の差はかなり大きな要素だ。
「そう! おじさんも保君の言う通りだと思うよ。もちろん彼の技術と経験には注意が必要だが、保君のスピードとリーチ、フィジカルに小仏選手は正直付いてこれないと思う。間違いなく有利な戦いになるはずだよ」
映像で見た直近約1年前の試合も、結局小仏選手はKO負けで落としている。
その前の試合も負けているようだし、小仏選手もMMAではそろそろ引退も視野に入れているのではないか……というのが師範の見立てだった。
MMA選手の引退というのは意外と曖昧だ。必ず定期的に試合をする他のプロスポーツとは違い、オファーがなければ1年や2年試合をしない選手も多い。はっきりと引退を宣言することなくそのままフェードアウトしてゆく選手がほとんどだそうだ。
「ま、これはおじさんのさらに余計な邪推だから話半分で聞き流してもらいたいんだけど……これは笹塚さんなりのストーリー作りだと思うんだよね。あの場ではさして考えもなく適当に決めた風を笹塚さんは装っていたけれどね」
「あ~……なるほどです」
MMAはもちろんプロスポーツだし公平に行われるが、試合は基本的には主催者が組み合わせを考えて組む。選手は試合をそこまで頻繁に行えないため、他のスポーツのように総当たりのリーグ戦、というのは現実的に考えて無理だ。
そこで重要になってくるのは選手間のストーリーや因縁だ。近年ではSNS上でトラッシュトーク(過激な挑発的やり取り)繰り広げる格闘家も多い。もちろん本心でムカついている場面もあるだろうが、因縁を作っては観客の注目度を上げる演出としてそうしている部分が強いのだろう。
「ま、ダンクラスは何と言ってもマイナー団体だしね……おじさんくらいの選手でもダンクラスの中ではそれなりに知名度があって、それを利用しようということなんだろうね」
師範は苦笑した。笹塚CEOの苦しい台所事情も理解できる……ということなのだろう。
要は紋次郎師範の引退試合の相手だった小仏選手を俺のデビュー戦の相手に据えることで、師弟による仇討ちのような構図を作りたいのだろう。それと共にベテランの小仏選手に対して18歳の俺が挑み、世代交代なるか……という意味も含まれたストーリー作りということだろう。
「ま、笹塚さんの描いたシナリオがたとえそういうものだとしても、勝負は別だ。当たり前だけど勝てるかどうかは保君次第だ。でもここでキッチリ勝てれば、笹塚さんにとって保君は次の試合が組みやすくなる……もっとざっくり言えば人気が出やすくなるとも言えるだろうね。そのためには何が何でも勝つことだ」
師範の言葉に俺は大きくうなずいた。
色々な思惑や絡んでいようと、とにかく俺にとっては大事なデビュー戦を泥臭くとも勝つしかないのだ。