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第36話 終幕と逃亡

「……なぁに舐めたこと言ってんだ野島ぁ! てめぇに勝手に降参する権利なんかねえんだよ! 今すぐこのガキをぶっ殺せ! でないとお前がそうなるんだぞ!」


野島の行動にその場の誰もが呆気に取られ、一瞬訪れた静寂を切り裂いたのは北高のボスだった。

彼がそんな結末を許せるはずもないのはその立場を考えれば当然だろう。その表情は憤怒と呼ぶしかないものだった。




ウゥ~ウゥ~……ウゥ~ウゥ~……


だがその時には誰もが異変に気付いていた。段々と近付いてくるパトカーのサイレンの音が、この廃工場に向かって来ていることは疑いようもなかった。


「お巡りさん、こっちです!」


入口の外でこの場には不釣り合いな澄んだソプラノの声がした。

だ! すずも師範と共にここまで来ていたようだ、ということをその時になって俺は初めて気付いた。


「……チ!」


焦った表情を見せたのは北高ボスだった。警察がここに踏み込んでくることまでは想定していなかったようだが、それでもボスはすぐに次の行動を起こした。この判断の速さは流石と思わせるだけのものがあった。


「お前ら! 絶対ポリ公の思い通りにさせるんじゃねえぞ! 俺さえ生き残ってれば北竜会は絶対に安泰だ! 必ず復活する! お前らも絶対に助けてやるし、必ず北竜会の一員としてのうま味を味わわせてやるからな!」


部下である北高ヤンキーたちにそう吐き捨てると、1人素早くその場から逃げ出したのだ。

ヤツはバイクでこの廃工場に来たはずだが、表に停めてあるそれを取りに行くような時間はないと判断し、乱立する廃工場の奥の方に逃亡していった。

逃亡のためにそれはとても合理的な方法だった。突入してきた数名の警官の目に入るのは、まずはこの場に広がっている数十人の乱闘後のヤンキーたちであり、1人逃亡した親玉がいると判断することは難しいだろうからだ。

あるいはボスは最初からそうした逃亡経路までも想定してこの場を選んでいたのかもしれない。




「よーし、動くなよ! 逃げると後で大変なことになるからな!」


警棒を構えた警官が4人ほど廃工場の入口のドアを開けてゆっくり入ってきた。


「ちょっと待ってくれよお巡りさん! 俺らは被害者なんだって!」「本当なんだって、俺らは騙されてたんだよ!」「何言ってやがる、お前らが始めたこのヤマだろうが!」

「わかった、わかった! 話は署で聞くから!」


入り乱れる一高ヤンキーと北高ヤンキーと双方からの悲鳴をいっぺんに聞かされ、警官もうんざりした様子で声を荒げた。


「……という感じでよろしいでしょうかね、森田師範?」


最後に入って来たやや年配の警官が紋次郎師範に伺いを立てるような様子を見せたことに、俺は若干の驚きを覚えた。


「いや、それはもう……警察の方々のやり方に自分などが意見を申すつもりはありませんので……」


どうやらその年配の警官と師範は旧知の仲だったようだ。お互いの表情からそう読み取れた。


「……少年、いい勝負だったぜ。またやろうな」


ふと背後から囁くような声がした。

警官と30人近くのヤンキーたちとが揉み合っている様子を、俺はどこか現実感のない光景として眺めており、それが野島の声だということに気付くのに若干の時間がかかった。

慌てて振り向こうとすると、野島に肩を抑えられ止められた。


「悪い、少年。振り向かずそのままいてくれ……。俺は逃げたアイツを始末しなきゃいけない。これは俺にしかできない仕事だからな。……すまんが紋次郎師範にもよろしく言っておいてくれ。……必ずスジは通す。それだけは信じてくれってな……」


「……野島さん?」


その言葉の真意がイマイチ理解できず、肩を押さえる物理的圧力も少し和らいだのを感じて振り向くと、そこに野島はすでにいなかった。

野島の影が廃工場の奥に消えていくのが薄っすらと見えた気がしたが、俺はまだどこか夢見心地の気分を引きずっておりそれを引き留めることなど思い付きもしなかった。

その直後、小さな黒い影が足元にまとわりついたのもまだ夢の続きのようだった。


「ほれ小僧、お前もボサっとしとるな。逃げぬか! 岡っ引きなんぞに捕まってまともにこちらの言い分が通ると思っておるのか、お前は!」


……やまとだった。やまとは俺の身を案じて野島や北高ボスのように逃亡せよ、と勧めてくれているようだが、もちろんそれに頷くことはできなかった。


「大丈夫だって。紋次郎師範もいるんだし、ボクが逃げちゃったら吉田君たちのことどう説明するんだよ」


俺自身も警察の取り調べを受けるという面倒は当然引き受けなければならない。ここで逃げては師範やすずにも、吉田たちにも申し訳が立たないだろう。






相当覚悟して臨んだ警察の取り調べだったが、俺は驚くほどあっさりと解放された。

どういう話の伝わり方でそうなったのかはわからないが、俺に対しては「ヤンキー同士の抗争にたまたま巻き込まれた一般生徒」という見方が、取り調べの始まる前から警察内で出来上がっていたようだった。

従って俺への取り調べは実に通り一遍のもので「知り合いに呼び出されたからと言ってあまり簡単に夜中に出歩いてはいけないよ」「ヤンキーたちに寛容なのは良いが自分の身を守るためには付き合う友達も考えた方が良いよ」という注意を受けただけであっさりと解放された。

どうやら紋次郎師範の弟子であるということがかなりの効力を発揮したようだった。


その後話を聞くと、急行してきた警官のうちのやや年配の1人……巡査部長だそうだ……は師範とは旧知の仲どころか門下生として道場に通っていた時期もあった、とのことだ。紋次郎師範に対する絶対的な信頼はそのことに由来しているようだった。


また、事態全体の経緯についても聞くことができた。

やまとの急報を受けたすずが師範に告げ、とりあえず2人(+1匹)も現場に来た。それと同時に紋次郎師範は例の巡査部長に事態を伝えたようだ。

もちろん警察の方でも『北竜会』のもたらしている数々のトラブル、巻き込まれているヤンキー少年たちについては問題として捉えていたから、巡査部長はすぐに人数を集めて現場に直行したそうだ。単に110番通報をしなかったのは師範がそうした事情も知っていたためだし、やまとからの又聞きという不確実な情報では警察は動いてくれない可能性があったからだ。


先に逃げた北高ボス、そして野島の行方は事件から3日経った現在も未だわかっていないようだ。北竜会関係者に匿われていたり、あるいはその手引きですでに逃亡している可能性もある、とのことだ。もちろん警察は威信にかけて身柄を確保するために全力で動いているそうだが。

その身代りというかトカゲの尻尾切りのように残されたのが北高ヤンキーたちだ。彼らはボスのやっている事業……組織的な売春や薬物の売買、さらにはもっと直接的な強盗などの類の犯罪……壮大な悪事とも言えるその全貌をほとんど知らなかった。

彼らはボスが時折見せる煌びやかな世界への誘惑に騙され、その実行部隊となっていたようだ。だからといって彼らもお咎めなしというわけにはいかない。数々の暴力事件や無関係な一般生徒への恐喝事件などが明るみに出て、これから1人1人綿密な取り調べがあり、場合によっては然るべき更生施設に送られるようだ。


もちろん我が校のヤンキーたちもお咎めなし、というわけにはいかない。

あの場に残っていた吉田や番長である小比類巻もきっちりと事情聴取をされ、それによって他の余罪も明るみに出てきたようだが、厳重注意・保護観察といった処分で済むことになりそうだ……というのは幸運なことだろう。




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