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第33話 急報

保が野島とのタイマンを始めた時、黒い小さな影が現場である廃工場から走り去ったのに気付いた者は誰もいなかった。保を現場に連れてきた当人である梶ヶ谷も、目の前で繰り広げられている決戦の他には何も目に映らなくなっていたようだ。


「小娘、起きろ」


現場から走り去ったのは、花田神社の氏神である黒猫のやまとだ。


「……ん……」

「ええい、起きぬか! この寝坊助!」


氏神としての神通力を用い超速でやまとが侵入したのは、巫女である森田すずの寝室であった。

鳴いても猫パンチを当てても目を覚まさないすずだったが、やまとが顔に爪を軽く立てると流石に顔をしかめた。


「ん、イタ……」

「ええい、いい加減に起きぬか、小娘! お前はこの神社の巫女じゃろうが!」

「……猫が、しゃべってる……まだ夢か……」


再び夢の中へと戻ろうとするすずを、やまとが何とか引き戻す。


「待てい! お前の寵愛する例の少年の危機なのじゃぞ!」


「……危機? 少年? ……誰のことよ? ……って、うわ! やまとが何でこんな所にいるのよ?」


暗闇に黒猫。金色に光る瞳だけがやまとの存在確認の手段だった。


「ふん。例の❘たもつとかいう小僧のことじゃ。あのお人よしの小僧は悪童たちの集まりにのこのこと出向いてゆき、今頃は乱闘騒ぎになっておる。……無論ワシにとっては多少目を掛けた小僧一人がどうなろうともさして重要なことではないのじゃがな、お前たち人間の習わしを重んじてこうして急を告げに戻って来てやった……」

「どういうことよ! 詳しく教えなさいよ! でも簡潔に!」


ただ事ではないと一気に目を覚ましたすずが、やまとの首根っこを掴んで持ち上げる。すると偉そうな態度だったやまとも一気に借りてきた猫のように大人しくなった。猫のこの習性は一説には子猫の時に母猫にくわえられて運ばれた名残だという。




やまとから事態を聞いたすずはすぐに部屋を飛び出した。


「お父さん、起きて!!! 緊急事態だから!」


寝室の和室の障子を乱暴に開け、寝ぼけまなこの森田紋次郎師範を叩き起こした。そしてやまとから聞いた事件のあらましを伝えると、すずはそのまま家を飛び出した。


「とにかく私は先に行くから! お父さんも付いて来て!」


あまりの早業に呆気に取られている紋次郎師範とやまとであったが、すずは再び戻って来てやまとを抱え上げた。


「アンタが来なきゃ話になんないでしょ! ちゃんと案内して!」


巫女に抱えられて現場へと戻る氏神様やまとであった。




決戦は続いていた。


「少年。悪いけど現役バリバリのお前と違ってな、こっちは長く楽しんでるほどの余裕はなさそうだわ」


野島が自嘲気味に笑う。


「……それは、残念ですね」


平静を装って答えたが俺ももちろん消耗していた。テイクダウンして仕留めようとした野島に対し、俺は壁レスの技術を使って立ち上がった。組技の攻防は攻守どちらも体力を消耗するものだ。

まだMMA歴半年に満たない俺の身体は選手としての完成には程遠い。

しかも野島はまだまだ更なる技術を持っているように見える。あっさり立たせてくれたのも、言葉とは裏腹に俺との攻防を楽しもうとしているからではないだろうか?


「つうわけなんで、よろしくな!」


野島が仕掛けてきた。


(……低い!)


先ほどの緩いフェイントとは真逆の一気にギアを上げた攻撃だった。そして野島は頭と上体を下げて突っ込んできた。タックルだ!


(うお!……)


バチン!

だが俺がタックルを切るため、腕を下げてスプロールの体勢を取ろうとした瞬間、顔面にパンチを被弾していた。


「へへ、これがMMAだよな。ボクシングともキックとも違う駆け引きが、やっぱMMAケンカの醍醐味だよな!」


(……フェイントか!)


どうやら野島はタックルの体勢をフェイントにして身体を倒し、自分の頭の上を通る軌道のパンチを放ってきたようだ。オーバーハンドフックと呼ばれるパンチだ。やはり打撃においても野島の方が技は多彩なようだ。


……ベッ!

まともに顔面に被弾し鼻の中を生温い液体が流れてくるのを感じた。そして吐き出す瞬間には鉄の味がした。

試合とは違いヘッドギアもマウスピースもないのが不安だったが、幸い歯は折れていなさそうだ。アドレナリンの効用か、ほとんど痛いとは感じなかったが、鼻が少し詰まっているような感覚がある。あまり鼻血が多いと呼吸にも影響してくるかもしれない、


(……いや、でもこっちの方が勝機はあるんじゃねえか?)


まともに入った野島の一発、そして俺の鼻からポタポタと落ちる鮮血を見て北高ヤンキーたちは喝采を上げていたが、俺の頭はまだ冷静だった。

恐らく組技・寝技の攻防になれば野島の方がスキルは上だろう。野島のMMA歴がどれほどのものかはわからないが、ユースカップでも俺は打撃で勝負してゆく戦略しか立てていなかったのだ。

打撃スキルのレベルもトータルで見れば野島の方が上だろうが、俺も打撃の攻防には慣れているし何よりリーチは俺の方が長い。このアドバンテージは大きいだろう。


(……そのためには、どうすれば良い?)


考えがまとまるよりも速く俺の身体は動き出していた。打ち合いを誘うには俺の方からも打撃を仕掛けることだ。


「おっほ! やべぇな!」


飛び込んだ俺は渾身の右ストレートを放った。体重を乗せた右ストレートは俺が一番得意とするパンチだが野島は間一髪ダッキングでかわし、髪をなぞる感触が少しだけ残った。

もちろん俺はさらに追撃を試みる。

だが顔面へのパンチ→ローキック、という得意のコンビネーションもしっかりとかわされてしまった。

そして俺の攻撃直後を狙って野島はしっかりと反撃を当ててくる。ローキックをかわしざまカウンターのパンチを当て、パンチをサイドステップで外してはローキックを当ててくる……俺のやりたいことをそのまま返されるような攻防だった。


(けど、悪くない……)


顔面にパンチを被弾し、蹴られた太ももは痛んだが、それでも俺の狙い通りの打撃の展開になっていた。




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