ガシャ、と
「……保か……夜中にマジで悪い……吉田君たちが捕まってるんだ……」
梶ヶ谷君は吉田ヤンキー軍団の構成員で(別に彼らに正式な組織があるわけではないだろうが)いつも一緒に行動していたうちの1人だ。ちなみにすずと一緒のクラスというのはこの梶ヶ谷君のことだ。
「……どういうことなの? 事情を説明してよ? っていうかなんでボクに連絡してきたの?」
花田神社の頂上から見る冬の夜景は驚くほど澄んでいた。しかしどれだけの絶景だろうと1月の夜中に外に出て星を眺めるよりも、布団の中にいたかったというのが俺の本音だ。ましてこれから起こることが星空観察よりもはるかに面倒臭い事態であることは目に見えていた。
「すまん! 頼れるのが保しか思い付かなかったんだ! 保が迷惑なのはわかってるんだが……」
「わかったから。事情を説明してって」
相当な事情と緊急性があって俺に連絡してきたことはわかっているし、そもそもそれに応じるつもりが全くなければ、俺だってわざわざ夜中にここまで来たりはしていない。
「その……実は、今日、北高とのデカい喧嘩の当日だったんだ。……俺たちは先輩も含めて20人くらい。向こうの北高のヤツらも同じくらいの人数だった。……北高の区内にある古い廃工場に集まってな……。で、俺たちは絶好調だった。事前の予想ではもっと苦戦するかと思ってたんだけどな、ほとんど戦闘不能で離脱するメンバーもいないまま北高のヤツらを制圧できそうだったんだ。……俺たちが勝てば北高は全面的に降伏する、俺たち一高の配下に入るっていう事前の
「なんや意外とあっけなく勝負がつきそうやのう、吉田?」
「……うっす」
相槌を打ったのは我らがお馴染みのヤンキー
吉田は戦闘能力においては一高最強と誰もが認める存在であったが、まだ1年であり当然番長始め3年たち先輩には従うのがヤンキー社会における鉄則である。
「
「あ、や、特には……」
苦笑交じりに小比類巻が尋ねるが、もちろん吉田も「少し前に格闘技をやっている田村保というシャバ僧に手解きしてもらった」などと馬鹿正直に答えたりはしない。
「それより小比類巻先輩……約束通り俺たち1年メンバーは、この
「わあっとる、わあっとる! まあお前らも最後だと思えば死力を尽くしたってとこか?」
小比類巻はニヤリと微笑み吉田の顔を見た。吉田は表情を変えずに軽く会釈で返す。
「おおい、お前らそろそろカタを付けようや!!! 聞け北高のボケども! 今降参してきたら全員許しちゃるけどな、まだ抵抗を続けるんなら全員容赦せんけんな! どうするんや!?」
廃工場の隅に戦闘中の北高メンバーは押しやられており、彼らを取り囲む一高ヤンキーの包囲網はどんどん狭まりつつあった。ほぼ勝敗は決したかに見えたが、それでも北高メンバーたちは抵抗を止めない。
「最後まで戦うか……ええやろう! 武士の情けや。ただしそれ相応の覚悟はせえや!?」
小比類巻が北高の連中に向かって声を張り上げたその時、廃工場の入口に1台のバイクが止まった音がした。そして1人の男がふらりと入って来た。
長ランやボンタン、そしてバットや鉄パイプというヤンキーたちが
体格もそれほど大きくは見えないし、武器による喧嘩の真っ最中に素手で乗り込んできたその男はまさに場違いに見えた。
だが見る目のあるものが見れば、その男は暴力の匂いを色濃く漂わせていた。黒髪でやや後ろ髪の長いオールバック。その下の眼光は鋭く、目の前の光景を見ても至極冷静だった。中肉中背の普通の体型には見えたが、その立ち方には隙がなくすぐに動き出せる姿勢と足運びを自然と取っていた。
「……んだ、てめぇ! 今は取り込み中だ! 部外者は出てけ!」
その男に気付いた一高のヤンキーの1人が威嚇すると、その男はようやく表情を変えた。
「俺もできればそうしたいんだがな……残念なことに部外者じゃないんだよ、俺は」
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!」
婉曲な彼の返答を理解しないまま最初に声をかけた一高のヤンキーが襲いかかる。彼も喧嘩の真っ最中なだけにアドレナリン全開だ。思慮深さや慎重さなどはこの場には求めるべくもない。
だが襲いかかった彼は一瞬にして地面に這いつくばった。周囲の人間もその男が何をしたのか把握できる者はいなかった。
襲いかかってきた一高ヤンキーを一瞬の反撃で昏倒させたソイツは、そのままの勢いで北高の残党を取り囲む一高ヤンキーの輪に迷いなく向かっていった。
ある者は後頭部を殴られ一瞬で昏倒し、ソイツの出現に気付いた別の者が振り回した鉄パイプは紙一重で避けられ、カウンターの三日月蹴り(腹部の急所を
「……てめぇ、調子に乗んじゃねえぞ!」
1対1では敵わないと見た一高のヤンキーの1人が後ろから羽交い絞めにして、ソイツの自由を奪った。彼はかなり大柄の体格でその拘束を抜け出すのは容易ではないだろう。
「やれ! やっちまえ!」
2,3人がその言葉を待たず一斉に躍りかかった。だがそれでもソイツは表情を変えない。
やられる……と思った瞬間、ソイツは後ろ向きのまま、羽交い絞めにしている相手の耳をちぎらんばかりに引っ張り、怯んだ相手の拘束が緩んだ瞬間にストンと地面に落ちるように体勢を低くした。そして相手の股の間に潜り込むように転がり、逆に相手の背後を取ったのだった。
鮮やかな身のこなしに立場逆転! ……と思う間もなくソイツは背後に回り込んだ瞬間首を絞め、一瞬で意識を刈り取ってしまった。
只者ではない! と一高のヤンキーたちが青ざめるころには、全体の戦況はとっくに逆転していた。いつの間にか追い詰められているのは一高の方だった。
「野島さん!」「来てくれたんっすね!」
一高の囲みから抜け出した北高ヤンキーたちがソイツに声を掛ける。敗勢濃厚だった状況を彼1人の登場で逆転させたのだから、北高のヤンキーたちにとって彼は文字通り救世主として映っていたことだろう。むろん一高ヤンキーの側から見れば悪魔だろうが。
「……ったく、ガキのおままごとに俺みたいな人間を駆り出させるんじゃねえよ」
だが当の本人……野島と呼ばれたその男はダルそうな無表情を崩しはしなかった。