目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第22話 カーフキック

(今だ!)


突っ込んできた大兼君の攻撃をかわし一旦距離が空いた瞬間、俺は自分から間合いを詰め攻撃に出た。

フェイントとして相手の眼前にジャブを出し対角となる右足のキックを放つ。今度は1回戦の高松君相手に放ったローキックとは少々異なり、カーフキックと呼ばれる技だ。

ロ-キックは基本的に相手の太ももを狙う蹴りだが、カーフキックとはさらに低く相手のふくらはぎ辺りを狙った蹴りのことをいう。


バシン!

スネに着けたレガース同士がぶつかる乾いた音がした。


「……」


サウスポーに構えた大兼君の右足に、俺の右足カーフキックはまともに入ったのだが彼は一切表情を変えない。その面構えには負けん気と精神的タフさが滲み出ているようだ。


「ナイス、カーフ! 良いよ保君!」


師範の声が飛ぶ。セコンドは指示を出すだけでなく、選手の気持ちを盛り上げるのも大切な役割の一つだ。俺の方が有利なんじゃね? と少しでも思えたなら選手の動きはどんどん良くなってゆくものだ。


「全っ然効いてないよ、隼人!」「見えてる見えてる!」


それはもちろん相手セコンドも同じだ。プロ同士ともなれば煽りに近いような声がセコンド陣から飛ぶこともある。もちろんこれは高校生の大会だから、そういった過剰な煽りのような声はないだろうが。


「……うっす」


俺の攻撃を受けても一切表情を変えなかった大兼君だったが、セコンドの声には反応を示す。視線は俺に向けたまま、呟くようにこぼした声だ。

すぐさま俺は2撃目を放つ。今度はガードを固めたまま近付き、左足のカーフキックを直接大兼君の右足に当てた。




「大兼君は完全なレスリングスタイルだ。現状の保君ではまともにタックルを受けたらテイクダウンされるだろうし、そうなるとそこから立つのは正直かなり厳しいだろう」


試合直前の師範との作戦会議を思い出していた。


「今回の保君の作戦は単純明快だ。とにかく距離を取って打撃を当てる。これしかない」


俺自身も同意見だった。というか他に遂行可能な作戦が現状の俺には思い付かなかった。


「じゃあどうやって打撃を当てるのか、だ…………」




(こんな感じですよね!)


俺は再び踏み込み、今度はカーフを狙うフリをして、低く構えた大兼君の顔面にジャブを刺した。


「……チ!」


ジャブが当たった瞬間、大兼君がお返しとばかりにワンツーを放ってきたが俺はすぐにその攻撃の間合いから出ていた。

大兼君はガッチリとしたマッチョ体型で、腕も脚も長くない。リーチは俺の方がかなり長い。その分だけ俺にアドバンテージがあるのは確かだった。

触らせずに当てる……これがこの一戦の俺のテーマだった。

レスリングスタイルで前傾姿勢の大兼君は前に重心をかけているため、パンチよりも足元を狙ったローキック、さらに低いカーフキックが有効な攻撃になるだろう……というのが師範の立てた作戦だった。

当然上下の打ち分けも重要になる。攻撃箇所はなるべく散らした方が反応しづらくなるのは前戦と同様だ。

1回戦の高松君のようにKOできる可能性は低い。大兼君は一見してマッチョだしレスリング経験者らしく首も太い。高松君より遥かに打たれ強いのはたしかだろう。それでも俺が一方的に攻撃を当て続けていれば決定的ダメージを与えられなくとも、判定で勝てるだろう……というのが俺と師範の目論見だった。




(……ステップが、速い!)


だがそれ以降は俺の攻撃はほとんどまともにヒットしなかった。

俺の攻撃のタイミング、出す瞬間の兆しみたいなものを完全に読まれ始めたのだ。

レスリング選手というとスピードよりもパワー系……というイメージを何となく俺は抱いていたのだが、対峙してみるとそのスピードはかなりのものだった。俺が今までスパーリングしてきた人たちとは比較にならないほどだ。


カーン!


1ラウンド終了のゴングが鳴った。


「良い感じだよ保君! このまま行けば勝てるよ!」


師範は俺を最大限の賛辞で迎えてくれた。だが、一方のすずは拍手を送ってくれてはいるものの、どこか浮かない表情を奥底に隠しているように見えた。すずには俺の心理が手に取るようにわかっているのかもしれない。


(……キツい!)


もちろん1ラウンドの攻防は俺にとっては合格点の出来栄えだったと言える。

大兼君の攻撃はほとんどまともにもらわず、俺の方は何度かパンチを当てた。どちらかと言えば俺の方に優勢のポイントが付く判定になるかもしれない。

だがやっている俺の実感としては、かなりキツイ展開だった。

大兼君は明らかに俺の様子を見ながら体力を温存している。その上でプレッシャーを掛けているのは大兼君の方なのだ。タックルを警戒して遠間からのヒット&アウェイを繰り返す俺と、リングの中央に構えジリジリとプレッシャーを掛けてくる大兼君とではスタミナの消耗に大きな差がある。

しかも俺の当てた攻撃は、実質的にはほとんどダメージとなっていない軽いものだ。


「保君! 2ラウンド、相手も勝負をかけてくる。保君もキツイけど相手もキツイんだ! ここからが本当の勝負だぞ!」

「はい!」


その通りだということはわかっている。俺の方が明らかに消耗しているし、ほとんど手の内も晒してしまっている。対する大兼君の方は体力的にも余裕だろうし、最大の武器であるタックルをまだ出してきていなかった。

でも合格点の1ラウンドだったこともたしかだ。1ラウンド目で師範の言う「自分の押し付け」を何とか俺はやり切ったから、俺はまだ希望を残しているのだ。




カーン!

2ラウンド開始のゴングが鳴った。


「お願いしまっす!」


大兼君が1ラウンドと同じグローブタッチをして挨拶をしてくる。その声はどこか嬉しそうな響きにさえ聞こえた。


(……クソ! 明らかに戦い方を変えてきた!)


対峙した瞬間に大兼君の変化は嫌というほどわかった。向こうの方から仕掛けてきたのだ。

大振りなフックの連打ではなく、右のジャブを刺して細かいステップを踏む。さらにタックルのフェイントも何度も混ぜてきた。

大兼君も俺の戦い方に付き合うのではなく、「自分の押し付け」を仕掛けてきたということだ。先手を取られた俺は、大兼君の攻撃になんとか対処することで精一杯だった。


(……来る!)


今までの明らかにフェイントだとわかる軽い動作とは違い、上体を落とすスピードが途轍もなく速い本気のタックルだった。大兼君はここで俺をテイクダウンしようとしているのだ!

タックルに入られることを最も警戒している俺としては、やや大袈裟に足を下げてスプロール(タックルを切る動作)で対応しようとする。

ガツッ!

その瞬間頭に衝撃が走った。タックルをフェイントにしての左のフックだった。


(……ヤバい!)


大兼君はパンチを打ちながら前に突進してくるタイプだ。無我夢中で俺は相手も見ずに両腕を振り回してそれを防ごうとする。

ドンッ!

その瞬間、今度は腹に衝撃が走った。

今度はボディへのパンチだった。味わったことのない衝撃に息が詰まり、胃液が逆流してくるのをたしかに感じた。


「保君、足だ! 足を使え!」


本能的にまた腕を振り回すことで相手を突き放そうと思った瞬間、師範の声が飛んできて何とか俺は冷静さを取り戻すことができた。

右に大きくステップをして何とか距離を取る。

全力で追撃に来るかと思われた大兼君だったが、今はまだそこまでの段階ではないと踏んだのか、俺が逃げるに任せ冷静に俺を見ていた。その顔にはまた微笑みが浮かんだような気がした。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?