ダンクラスユースカップの初戦を迎えていた。試合開始当初は対戦相手高松君の勢いと場の雰囲気に呑まれかけた俺だったが、すでに冷静さを取り戻していた。
(これは……いけるんじゃね?)
カウンターで取ったテイクダウンは少しの攻防の後ですぐに立たれてしまったが、高松君にはかなり力を使わせることができた。ほんの30秒程度のグラウンドの攻防だったが、再びスタンドで向き合うと高松君の肩が上下に動き息が上がっているのが見て取れた。
スタンドに戻った状態から、今度は俺の方から踏み込んでいった。
遠い間合いから出した最初のジャブは空を切ったがそれは計算通りのフェイントだ。さらにもう半歩左足を踏み込み2連撃目のジャブを重ねる。
2発目のジャブは高松君の顔面を捉え、驚いた彼に向かって俺はさらに踏み込み右ストレートをつなげる。ジャブワンツーというパンチのコンビネーションだ。
……右ストレートの手応えはばっちりだったが、運悪く当たったのは高松君のオデコの真ん中だったようだ。オデコは骨が固くパンチを受けてもほとんどダメージにはならない。むしろ打った拳の方が痛むこともあるくらいだ。
「いいよ保君! 深追いしないで。慌てず行こう!」
師範からの指示が飛んでくる。
俺もこの一連の攻防で手応えを感じていたし、高松君の動きは完全に最初の勢いがなくなっていた。
最初のカウンターのテイクダウンに成功した後に簡単に立たせてしまったのは、傍からは好機を逸したように見えていただろうが、俺のゲームプランは最初から打撃で戦うことだったのでこれで良かったのだ。
再び距離を取って、ステップとジャブのフェイントを入れつつ、タイミングを見て踏み込んでジャブを打つと面白いようにヒットした。
「……オラ! なめんな!」
時折苛立った高松君が大振りのパンチを振り回しながら強引に突っ込んできたが、俺は左右へのステップで外すことができた。
だがまだまだ高松君の目は闘志に満ちており動きも落ちてはいなかった。当然不利な状況であることはとっくに理解しているだろうが、より闘志を前面に押し出してくるあたり、ヤンキーらしい気持ちの強さが見える。
カーン!
さてここからどう料理すべきだろうか……と思った瞬間にゴングが鳴った。
俺にとっては短いと感じる3分間だった。
「良いね、保君! プラン通りだ。あとはもう少し追撃していって、可能ならフィニッシュを狙おう!」
ラウンド間のインターバル、コーナーに戻ると師範がサムズアップして迎えてくれた。
「はい!」
俺の実感としても師範の言う通りだった。最初こそ勢いに呑まれる部分はあったが、パンチの技術もグラウンドの技術も高松君より俺の方が上に思えた。
「それと上下の散らしだ。パンチばかりだと向こうも目が慣れてくる。少し蹴りを混ぜていこう」
師範の指示に俺は大きくうなずく。そうだ、それもプランの一つだった。
まだ対戦相手がどの選手かわからない時点から、打撃主体で戦うことを俺と師範はプランとして立てていたのだった。
相手の情報も無いし、そもそも相手に合わせて戦い方を変えられるほどの技量も引き出しも無い俺は、とりあえず自分の長所で戦ってゆくべきだという判断に至ったのだった。
俺の長所はリーチの長さだ。
この61キロバンタム級という階級で180センチ近くの身長の選手は今大会恐らく俺しかいない。ほとんどは170センチ前後、高い選手でも175センチくらいだ。
しかも俺は腕が長い。見た人にひょろっとした印象を与えるのは、撫で肩で両腕が長いことも要因の一つだろう。
ひょろっとした体型は弱そうな印象を与えるし、日常生活ではあまりプラスのイメージを与えることはないだろうが、リーチは格闘技においては重要なアドバンテージだ。
ともかくこの大会、俺は自分のリーチを生かし打撃主体で戦うことを師範と決めていたのだ。
「そうね、彼は特に打撃のディフェンスが拙いわね。でも保君も油断してはダメよ? パワー自体はかなりあるわ」
すずからのアドバイスに俺はもう一度うなずく。高松君は俺よりもおそらく10センチほど身長が低い。でもその分パワーがあることは筋骨隆々たる体型にも表れていたし、最初に組んだ時にも感じた。俺がムリに寝技の攻防をしなかったのは、そのためでもある。
「はい、セコンドアウト! セコンドの人は出て下さい!」
レフェリーから声がかかる。ふと相手の高松君のセコンド陣が目に入った。全員が白髪に近い金髪で如何にもイカつい見た目をしていた。……やはり選手はセコンドに似るものなのかもしれない。
カーン!
2ラウンド目が始まった。
高松君の構えが変わっていた。今まではガードの低い構えだったのに比べ両手を顔の辺りまで上げ、きっちりとしたガードを作ってきていた。
さらに一撃でノックアウトしようという大振りのフックではなく、細かくジャブを突き左右へのステップワークも混ぜてきた。
(……それなら)
恐らくは1ラウンドで俺のパンチを何度も受けたことへの反省だろう。だが、それでも師範の言っていたこちらの戦略は有効なはずだ。それに高松君の動きはやはりどこかぎこちなく見える。1ラウンドのような攻撃こそが本来の持ち味なのだろう。
俺は踏むこみながらジャブを打つ。もちろん高松君の高く上げたガードに阻まれてヒットはしないが、これで良い。
もう一度ジャブを放ち距離を詰めると、俺はそのまま右足のローキックを放った。上(パンチの防御)に意識の行っていた高松君は左脚にまともにローキックを受けた。
「……ち!」
高松君は反撃として力任せに左右のフックを振ってきたが、その時には俺はステップバックし間合いの外に出ていた。
すぐにまた俺は踏むこむ。今度はワンツーをフェイントにして左足のローキックを、高松君の左脚に再び当てた。
「……なめんな、オラぁ!」
反撃のために高松君は左フックを返し、俺がステップバックすることを見越してさらに追ってきたが、俺は左にステップすることで追撃をいなした。
高松君の肩が上下しており、その表情には苛立ちとともに嫌悪感が出ていた。
(練習通りいってるな……)
打撃で攻めるという方針を立ててから意識して練習したのが、この上下のコンビネーションだ。
特に対角と呼ばれる右のパンチから左のローキック、逆に左のパンチから右のローキックというコンビネーションは最も遠い箇所への攻撃であり、人体の構造上どうしても反応が遅れるものだ。
今度は目線だけでフェイントをかけて、右足のローキックを直接当てる。
「……オラぁ!」
高松君が再度反撃のパンチを打ちながら声を出す。だがその追い足もパンチも少し鈍ってきたようで、かわすのも楽になってきていた。
(もう軸足が踏ん張れないのかな?)
左足を前に構えるオーソドックススタイルの高松君にとって(俺もオーソドックススタイルだが)、左足はパンチを打つ時の軸足となる。軸足が踏ん張れないとなるとフットワークも鈍り、パンチやキックも威力が半減してしまうのだ。
俺は一瞬迷った。ローキックが効いているのは間違いない。このままフィニッシュを狙ってパンチで畳み掛けるべきか、それとも万全を期してさらにローキックを重ねるか……
「保君! 行こう! フィニッシュだ!」
師範から声がかかったが、俺はその時にはもう動き出していた。
ジャブを放ち顔面を狙う……と見せかけ対角となる右のローキックを放ったところだった。
バシッ!
(……うお!?)
右足はたしかに高松君の左脚にヒットしたが、同時に俺の頭も衝撃を受けて揺れた。
予想外の一撃に一瞬だけ視界がふらつく。
「やり返せ、洋二!!!」「ぶっ殺せ、オラぁ!!!」
会場から高松君の仲間ヤンキーたちの品のない応援の声が響く。
……どうやら俺のコンビネーションは高松君に読まれていたようだ。俺がローキックに出て来るところを狙い、高松君は右ストレートをそれに合わせたようだ。
「……しゃあ!」
一気に息を吹き返した高松君が突っ込んでくる。勢いというのは恐ろしいもので、相手が劣勢になった……と思った瞬間に自分のダメージや疲労はどこかに消え去ってしまうものらしい。また試合開始当初のようなアグレッシブな動きに戻っていた!
「保君、落ち着け! 大丈夫だぞ!」
だが若干慌てかけた俺の元に、師範の声が届く。
高松君のカウンターに一瞬驚きはしたが実際のダメージはほとんどない。
ここぞとばかりにパンチを振ってくる高松君に対し、再び足元へのタックルに入った。
「……くそぉ……」
高松君はそこでため息まじりの声を漏らす。ここが反撃のタイミングだ! ……と思っていた気勢が殺がれるのは、ずっと劣勢だった場合よりもむしろ心にダメージを負うものかもしれない。高松君の息遣いからはそんなことが伺えた。
「卑怯だぞ!」「正々堂々殴り合え!」
高松君の応援ヤンキーたちからはそんな声が飛んできたが、これはMMAなのだから卑怯でもなんでもない。殴り合いだけが見たければMMAではなくボクシングを見てくれ!
テイクダウンを取った俺だったが、抑え込むだけで展開のない状態が続きレフェリーから「ブレイク」がかかる。ポジションを動かしたり、極め技を狙うため動くなどの展開がない、状況が膠着している、と判断された場合はレフェリーからの指示でブレイクがかかる。そうなるとスタンドからの試合再開となるのが今回の大会ルールだ。
(……行こう!)
さっきは俺の迷いがピンチを招いたようなものだ。組み合った時も高松君はかなり疲れているのがわかった。俺はフィニッシュを狙うために踏み込んでいった。
ワンツーで飛び込んで行き、3発目のパンチとして左のボディブローを放った。
上下に散らすにはパンチと蹴りだけでなく、こうしたボディへのパンチも有効だ。
一瞬身体を曲げた高松君に対し再び顔面へのワンツーを放つ。
距離を取ろうとした高松君は前蹴りを放ってきたが、それにも構わず俺は強引に突っ込んでパンチを放ってゆく。
高松君をロープ際に押し込んだところでゴングが鳴り、レフェリーが両手を高く掲げ試合終了を宣言した。