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第17話 試合に向けたトレーニング

「ちょ、ちょっと師範、一旦……」

「ダメだよ、保君! キツいのはわかる! キツい練習をやってるんだ! けど今はやらなきゃダメだ! 今頑張らないと後で後悔するぞ!」


紋次郎師範もんじろうしはんとのマンツーマントレーニングは激しいものになってきていた。


「あと10秒だ、10秒だけ全力を出そう!」

「……ッ!」


声にならない声を振り絞り手と脚を動かす。心臓が悲鳴を上げ、需要に対する酸素の供給は全く足りていなかった。


ピ、ピ、ピー!

タイマーの音が無機質に鳴り響き、地獄から解放された安堵で一気に俺はマットに倒れ込む。

身体中を血液が流れる音が聞こえてくるようだ。


「よーし、1分だけ休んだらミットやろう!」


「……は、い」


息もいまだ整っておらず俺の返事もほとんど音声にはなっていなかったかもしれない。

12月の後半に差し掛かった頃、俺の初試合である『ダンクラス』のユースカップまで約1ヶ月までと迫り、トレーニングも追い込みの時期となっていた。


今行っていたのは心肺機能を上げることを目的としたトレーニングだ。

持久力トレーニングというと、多くの人はマラソンのように長い時間一定のリズムで動き続けるようなトレーニングを思い浮かべるかもしれない。だが格闘技で必要とされるのはもっと短時間に高出力で動けるようにするスタミナだ。

20秒全力で動き10秒休憩する、というのを何セットも繰り返すのだが……まあとにかくこれがキツい!

今までも階段ダッシュやキックボクシングのクラスで類する練習は行ってきたが、試合に向けてのトレーニングということで今回はかなり負荷を上げている。


師範の指導も今までよりも熱が入っていた。

ジムに通い始めた当初は、いつもニコニコと穏やかなこのおじさんは果たして本当に格闘家だったのだろうか? と若干疑っていたのだが(もちろんその強さはすぐにわかったが)、この追い込み期間に改めて向き合ってみて初めて、その内面にある熱さ・激しさに触れることできたように思う。


(……クソ! 俺はこんなこともできないのかよ!)


今までとは違い厳しい言葉が飛んで来ることもある。それはもちろん俺への期待の表れでもあるだろうが、それに応えられない自分の弱さに情けなくなる。

でもそんなことで感情を動かすこと自体が無駄だと気付いた。今は自分の弱さを受け入れ、ただただ無心で目前の練習に集中するしかない。

もちろんユースカップで勝ちたいという気持ちは強かった。何と言っても俺の初試合なのだ。

でもそれよりも、この追い込みの練習で自分に負けることが嫌だった。キツさに負けて自分の全力を尽くすよりも先にギブアップしてしまうことだけはしたくなかった。


「オッケー!! 今日はこれで終わりにしよう。お疲れ様!」


「はひ……あひがとう、ごじゃり、まひた……」


この日のメニューを何とか終えると、俺はそのままマットに大の字になって倒れ込んだ。




「お疲れ様。毎日よくやるね」


気付くと目の前にすずがしゃがみ込んでいた。すずはいつものラフなジャージ姿だった。


「これ、プロテイン。飲んでおいたら?」


「……あ、ありがとう」


激しい練習をしているとどうしても身体は消耗する。体力もだが筋肉もすぐに分解してしまうのだ。それを防ぐため練習後のリカバリーは早ければ早いほど良い。もちろん食事も摂るが、吸収の早いプロテインなどのサプリメントは身体を作ってゆくアスリートにとって有効だそうだ。

プロテインを飲み始めてから回復の早さを俺もたしかに実感していた。


「大丈夫、スタミナも打撃のスキルもきちんと伸びているよ」


「あ、そうなの? まあ、そういってもらえると助かるよ」


自分の弱さを直視するような練習はメンタル的にもキツいものだ。でも厳しい練習をした分だけ成果がきちんと出ているとわかれば、精神的にはかなり救われる。


「え、ちなみにだけどさ……どれくらい伸びてるとかわかるもんなの?」


以前すずは、少し動きを見ればその人の能力がどれくらいのものか詳細にわかる……ということを言っていた。どれくらい強いの? どれくらいの能力があるの? なんていう質問は普通なら答えにくい曖昧な質問だが、すずの眼力に興味があって尋ねてみた。


「そうね。ウチの父親の打撃を70、スタミナを60だとすると……保君の打撃は50、スタミナは55といったところかしらね」


「え、そんなにはっきりとわかるんだ……」


まさかそこまで細かく数値化されるとは思っておらず、流石に俺も驚いた。

やまとが「巫女の血を引く女としての能力だ!」というようなことを言っていたが、すずの眼力がここまで正確なものだとすれば、凄いことだし俺にとってかなり有利になるのではないだろうか?

かの兵法家孫氏へいほうかそんしも言っていたではないか! 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」と!


「え、ちなみにさ、その能力って実際に肉眼で見て初めて分かるものなの? それとも映像とかでもわかるの?」


「そうね、もちろん生で観た方が正確だけれど、映像でもある程度はわかるわ。今の数字は最高を100……私が見た中での最高の選手を100としているのよ。もちろん私は『WFC』の試合を生で観たことなんてないから、映像で判断して数値を付けているのだけれど」


『WFC』というのはアメリカのMMA団体だ。興業の規模も選手のレベルも世界最高のMMAの舞台であることは格闘技ファンなら誰もが同意するだろう。

つまりすずは、世界最高の技術レベルを100として、そこから相対的に数値化しているというのだ。どうやらこれはかなり正確な数値といえそうだ。


「保君はどっちかというと打撃の方が得意だと思うわ。寝技のオフェンスが33、ディフェンスが37、レスリングが42といったところね」


「あ、ふ~ん、そうかぁ……」


すずにいきなり自分の能力を告げられて俺はドキリとした。ここまで正確に自分の能力が数値化されているというのは、何か裸を見られているのに近いような感覚を覚えた。

もちろんまだまだ師範に及ぶべくはないが、果たしてユースカップに出場する選手たちはどれくらいのレベルなのだろうか?


「お、保君。すずに能力を見てもらってたのかい?」


そこに紋次郎師範が来た。追い込み練習の時の厳しい表情とは違い、いつもの柔和なおじさんに戻っていた。


「すずの能力はすごいぞ! 実はおじさんも現役の時はすずに能力を見てもらっていたんだ」


「え……師範が引退したのって、たしか10年近く前っていう話でしたよね?」


まさかの師範の発言に俺も驚く。当時すずは小学校に上がるか上がらないかという年齢だったことになる。


「その……当時はまだ子供だったし、今の方がもっと詳細に見えるようになってきているし……」


なぜかすずはやや気恥ずかしそうな表情を見せた。当時はその能力も未熟だったということらしい。


「でもな、保君。能力ばかりを気にし過ぎてもダメだよ? もちろん勝負は能力が高い方が絶対に有利だ。けれど、必ずしも能力が高い方が勝つわけじゃないんだ。勝負は一回きりだ。10回中9回負けるくらい能力の差があっても、本番の勝負で勝った方が強いんだ! そして不思議とそんな10分の1の勝利を引き寄せるような選手が時々本当に存在するんだよ。おじさんは15年くらい格闘技界にいたわけだけど、そういう選手がスターになってゆくのをずっと見てきたよ」


師範の言うことは何となくわかるような気がした。だからこそ余計に尋ねてみたくなった。


「……強いって、何なんですかね?」


「……さあねぇ? それは、おじさんも一言じゃ答えられないよ。勝負は運もある。それは間違いない。おじさん自身も幸運だったからプロ格闘家を続けられたっていうのは間違いない。でも運を引き寄せるのは間違いなく必死で努力している人間だし、気持ちの強い方が最後は勝つ。時代遅れの根性論だって言われるかもしれないけど、おじさんはやっぱりそう思うよ」


師範の言葉にすずも頷いた。


「そうね。必ずしも能力の高い方が勝つわけでない、というのはその通りね。強い方が必ず勝つのなら私の勝敗予想は百発百中になるはずだけれど、実際には全然そんなことないわ」


すずは少し自虐的に笑っていた。


「やっぱりね、保君。MMAってのはもちろん各方面の能力も大事だ。けどね、戦略がより重要になってくるんだよ。どうやって戦うかだ。これはおじさんの経験から強くそう言える。でだ、今度のユースカップ保君がどうやって戦うかということになるんだけどね……」


話題が俺の試合に関わることになった以上、当然俺もスイッチを入れ直して話に耳を傾ける。


「対戦相手もまだ未定だし、初出場の選手も多いだろうから情報は無いみたいなもんだ。それに保君にとっては初めての試合だ。今後の成長を考えても、対戦相手に合わせるんじゃなくて保君の得意なスタイルを考えてやっていくべきだろうね」


「はい、ボクもそう思います」


相手選手がどうこうよりも、俺がどんな選手で、どんな戦い方ができるか、それを見極める方が先なのは当然のことだろう。


「それで保君がどう戦ってゆくかということになるんだけど…………………………………………」


師範のアドバイスを元に俺自身の意向も加味し、よりMMAとしての実戦的なスタイルの模索が始まった。




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