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第14話 ユースカップ

2学期に入ると当然学校の授業がある。学生の本分は学業であり、俺は真面目な高校生なので平日は毎日朝から夕方まで学校で勉強をしなければならない。

当然夏休み期間のように朝から夜まで格闘技のことだけを考えて過ごしていくわけにはいかなくなった。しかしそれでも俺の生活は充実していた。


朝6時に起きて階段ダッシュやシャドーを30分ほど。シャワーを浴びて朝飯を食べて登校する。

授業中はもちろん眠い時もあるが、集中しようとした時は授業にも以前より集中できるような気がしたし、勉強の効率は間違いなく上がった。

テスト前の追い込み期間も集中して取り組むことができたし、結果として成績も上がった。

身体を動かせば脳の血流も増えて頭の回転も良くなる……というのはジムへの入会を親に許可してもらうための方便のつもりだったが、たしかにその通りになったというのが俺の実感だ。


学校から帰って来るとまずは速攻で宿題を済ませる。

そしてクラスの始まる19時より少し早くジムに行き、紋次郎師範に軽く個人レッスンをしてもらう。その後は19時開始のクラスで1時間。曜日ごとに異なるキックボクシング・レスリング・柔術のどれかのクラスに大人に混じって参加して、その後は軽く補強運動として筋トレをして帰る。……というのがルーティンになっていた。

夜はクタクタだから風呂に入って飯を食ったらもうバタンキューだ。サブスクの動画を見たり、SNSやスマホゲームに費やす時間はだいぶ減ってしまった。別にそれがダラダラする悪習慣だから避けようという意識は特にないのだが、もうとにかく眠いのだ。1秒でも早く布団に入り、1秒でも長く眠ることを身体は欲していた。


充実した日々を過ごしていると、精神的にも余裕ができるというか、細かいこともあまり気にならなくなっていった。

依然として吉田たちヤンキー軍団に絡まれることもあったが、最近は良い距離感でかわすことができるようになってきた。というかヤツらも俺に対してかなり友好的な態度に変わってきたように思う。

そんな様子を見てか、自然と他の一般生徒たちも俺のことを気にかけてくれるようになっていった。


「田村君、今度の休みどっか遊びに行こうよ」

「格闘技やってるってマジ?」


あまり話したことのないクラスメイトから話しかけられることが増えた。

もちろん嬉しかったし感謝もしたが、人に「格闘技をやっている」などと胸を張って言えるレベルのものでないことは俺が一番わかっているから、調子に乗って偉そうに振舞うような真似はできなかった。

ちょっとスパーリングをやれば、俺はまだまだ普通のおじさん会員にもかなわないレベルなのだ。それでもやればやるほどMMAの技術の奥深さ、駆け引きの面白さ、変わってゆく自分を感じ、楽しくて他の遊びにも興味が湧かなかったほどだ。




「保君、今度年明けに『ダンクラス』のユースカップっていうのがあるらしいんだけど、出てみる気はあるかい?」


「何ですか、それは?」


11月も半ば秋も深まり冬の気配が感じられるようになった頃のこと。いつものように夜のクラスと補強トレーニングを終えて帰ろうという時、紋次郎師範が話しかけてきた。


「アマチュアの試合だよ。『ダンクラス』ってのは老舗のMMA団体でね、おじさんも昔は……」

「試合ですか!? やります! やってみたいです!」


たかがジムに通い出して数か月の高1の小僧が試合に出るなんて無謀だ……と言われても当然かもしれないがその時の俺は、試合で負ける怖さも、殴られる痛みも、まったく念頭に上って来なかった。

ただただ練習の成果を試してみたい、吉田との真剣勝負のようなあのヒリヒリした時間を過ごせるかもしれない……そんなワクワクした気持ちだけが先走っていた。


「お、おう。保君も毎日頑張ってるもんな! よしやってみるか! ……じゃあ明日からは試合に向けた練習を少しずつしていこうか?」

「はい、お願いします!」


いよいよ、俺も試合に出場するのか! と思うと興奮を抑えきれなくなりそうだった。

ジムに入ってからは様々なMMAの試合も動画で見るようになっていた。もちろん最初は技術的な勉強のため……という意味合いだったが、次第にただただ試合が楽しくて、出場している選手がめちゃくちゃ格好良く魅力的なものに映るようになっていった。つまり純粋にMMAのファンになっていった。


現在日本のMMAの花形は何といっても『FIZIN』だろう。

日本国内での最メジャー団体であり、その興行の規模も出場する選手の強さも知名度も国内ではダントツだ。

だがその『FIZIN』も俺が産まれたころに設立された団体だそうだ。日本でMMAというものが認知され広まったのはおよそ30年前ほどだが、様々な要因から当時の最メジャー団体は解散してしまっている。日本に於いてMMAは一度流行したがまた廃れてしまったのだ。

そんなMMA冬の時代を支えたのが『ダンクラス』だ。『FIZIN』には知名度も規模も劣るが、その歴史は『FIZIN』よりも古く、日本にMMAという競技が入ってきて以降ずっと続いてきた団体だ。

紋次郎師範はその『ダンクラス』でプロMMA選手として活躍していたそうだ。思い入れも関係性も深い団体に俺が出ることになり、師範も感慨深いようだ。


「そういえば……そのユースカップのルールはどうなってるんですか?」


ざっくりとMMAの練習を俺は今までしてきたが、実は団体や試合によってルールは結構異なる。


「ああ、ここに書いてあるけどまあ高校生年代の試合だからね。安全面にもかなり配慮されたものだよ」


師範は送られてきたユースカップのポスターを見せてくれた。

それを読むと3分2ラウンド制。ヘッドギアとレガース(すね当て)を付けての試合で、オープンフィンガーグローブも普通のプロの試合で使われえるものよりも、少し大きなもののようだ。

発達途中の高校生年代ということで、安全面にはかなり配慮されているという印象だ。


「ちょっと危ない場面だと思われたらジャッジも早いからね、まあ不利な状況をなるべく作らないようにすべきだろうね。ま、保君はまだ初めて半年も経ってないんだから勝ち負けにはあんまりこだわらずにさ、MMAの楽しさ、本気の試合の楽しさを感じれたらそれでいいんじゃないかな?」


「……そうですね、頑張ります」


俺は少し不満だった。師範が俺の勝利にはあまり期待していないような口ぶりに聞こえたからだ。もちろん指導者としては、とにかくMMAという競技を楽しんで長く続けて欲しいというのは本心だろう。

でも俺にもっと光る才能があれば勝利を強く期待するはずだ。現時点で俺はそこまでの存在ではない……ということなのだろう。


「あ、何? 保君、ユースカップ出るの?」


森田家の居住スペースの方にいた(家とジムは同じ敷地内にある)すずがこちらに来て話しかけてきた。


「おお、そうなんだよ! 保君、とてもやる気になってくれてな! ウチのジムからユースの選手が出るなんて何年ぶりだろうな!」


「……お父さん。嬉しいのはわかるけどさ、前みたいに無茶な練習させて保君がやめちゃったら元も子もないんだからね? わかってる?」


「大丈夫、大丈夫! わかってるさ! なあ保君、ちょっとずつ頑張っていこうな!」

「……? はぁ、頑張りますけど……」


親子のやり取りの意味がよくわからなくてその場は曖昧なまま頷いたが、後から話を聞いて理解できた。

数年前にプロ志望で元ヤンキーの高校生がジムに入ってきたことがあったそうだ。紋次郎師範も彼にとても期待して、毎日情熱を注ぎ自分の全てを伝授するくらいの気持ちで指導していたらしい。だが彼はある時を境にぱったりとジムに来なくなってしまった。

どうも指導が厳しいものであったことが、彼がジムに来なくなった原因のようだ。

しかも遠く人づてに聞いた話によると、彼は格闘技をやめてヤンキー同士の抗争の場に戻っていってしまったそうだ。

当然師範はひどくショックを受けてしばらくふさぎ込んでいたそうで、それ以降このジムでは元ヤンキーの入会希望者を断っているとのことだ。

これだけヤンキーや不良の多い地域だから、当然彼らの中に格闘技に興味を持つ者もいるだろう。なのにこのジムに暴力的な雰囲気の会員さんがいない(元ヤンっぽい人は何人かいる)……というのが不思議だったのだが、話を聞いて謎が解けた。


「ま、そんなわけでね……保君みたいな存在はおじさんにとっては本当に奇跡みたいに見えるんだよ。ゆっくり頑張っていこうな」


おじさんはポンポンと俺の肩を叩いた。

師範が俺にとても良くしてくれている理由がわかった気がする。もちろん要因はそれだけでなく、師範の人間性が一番大きいのだろうが。


……にしても、師範のヤンキー嫌いがそこまで強いものだとは知らなかった。吉田との件を話さなくて良かったな~!




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