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第9話 死闘

「はぁ、はぁ……」


早くも息切れがしてきた。

この一週間トレーニングとして階段ダッシュを毎日してきた。最初は5本もまともに上れなかったが、最後には10本ほど連続して上れるほど心肺機能は上がり脚の筋力もついた。

先ほどの一連の攻防の中で、吉田の攻撃をステップでかわし、逆に俺の方からジャブを当てられたのは明確な階段ダッシュの成果だ。自分のフットワークが間違いなく向上したことを俺は実感していた。


「おいおい、保ぅ。大丈夫か、もう疲れてきたのかよぉ?」


だが俺の様子を見て吉田がニヤリと片頬を歪ませる。

練習した分だけ間違いなく成長しているのだが、こうした本気の勝負になった場合にずっと動き続けられるほどのものではなかったようだ。

というか、俺にとっては本気のケンカなんて生まれて初めてだ。疲労を考えてのペース配分などできるわけがない。


ニヤリと笑いながら吉田が大振りのパンチを振り回してきた。いつの間にか距離を詰められていたらしい。


「……グッ」


咄嗟に腕を上げて頭をガードしたが、その衝撃で頭が大きく揺れてふらつく。

投げだけでなくパンチも一発でもまともにもらったら、それだけで終わってしまうパワーだということを再確認する。


「いけぇ、佳友クン!」「そんなもんかよ、保~!」


久しぶりの吉田の攻勢に雑魚ヤンキーたちも色めき立つ。

7月後半の暑さが今さらになって、ジトりと降りかかってくるようだ。

吉田と対峙している時間はほんの数分も経っていないはずだが、俺はもうすでに背中まで汗びっしょりだった。暑さからくる汗なのか、プレッシャーからくる冷や汗なのか、自分でもよくわからなくなる。


(クソ! やっぱ分が悪いよな!)


本当はスタミナ勝負でヤツを降参させるつもりだった。

ヤンキー同士のケンカは基本的に短期決戦で勝負が決まるはずだ。巨体の吉田は間違いなくスタミナ消費も早いだろう。フットワークとジャブで搔き乱し、吉田が疲れたところで勝負を賭ける……それが俺のプランだったのだが、そう簡単に思い通りには行かないようだ。

フットワークを常に用いヒット&アウェイを繰り返さなければならない俺と、ほとんど攻撃も出さずジリジリと俺を追い詰め、一発で勝利を決められる吉田とでは消耗する体力がまるで違う。

オマケに吉田は一見でっぷりとした巨体ではあるが、中学の頃は柔道で市選抜に選ばれていたほどの実力者だという。少なくとも当時は毎日必死で練習していたのだろうから積み上げてきた体力が違う。


(いや、弱気になるな! 自分から仕掛けろ!)


自分が不利な要素を数えても仕方ない。後手に回っては劣勢になるだけだ。分が悪く体力の消耗が激しくとも、俺の方から仕掛けるしか活路はない。

俺は再びステップインして左のジャブを放つ。そして今度はそのまま腰を返し、連続して右のパンチを放つ。

ワンツー。最も基本的なパンチのコンビネーションだ。左のジャブに比べて右ストレートは腰を返すことで威力も断然強いものとなる。

この一週間、俺が階段ダッシュと共にずっと練習してきたのがこの基本的なパンチだった。複雑なパンチを練習したって短期間で身になるわけがない。ジャブを当てて攪乱かくらんしたところで強い右ストレートを当てる……それが俺の勝利のイメージだった。


「ヒョロガリのくせにまあまあの威力だがな……その程度じゃ利かねえんだよなぁ!」


(クソ、これでもダメなのか……)


渾身の俺のワンツーだったが、吉田のガードの隙間を通すことは出来なかったようだ。

ストレートは吉田の肘の辺りに当たったようで、逆に俺の右拳がジンジンと痛んだ。だが少なくとも手袋をしていたことで若干だが拳のダメージは軽減された。俺が勝つとしたらパンチを当てるしかない! と踏んだ俺の多少の事前準備だ。


(それなら……)


何度だって俺は自分から攻撃するしかない。再び飛び込みワンツーを放つ。

だが吉田は俺のパンチにかなり慣れてきたようで、今度は余裕を持って捌かれてしまった。どうもヤツの柔道経験はこうした落ち着きにも出ているように思う。

もうそろそろ俺の攻撃はすべて見切られ、すぐにあの怪力に捕まって地面に投げ飛ばされるのだ。

そしてそのまま上に乗られて俺はジ・エンドだ……そんなイメージがすぐに浮かんでくる。

そのイメージを振り払うためにも苦しくなろうとも攻撃を続けるしかないのだ。どれだけ苦しくとも止まったら死んでしまう回遊魚と一緒だ。


(でもな、パンチは囮だよ!)


だが今度のパンチはあくまで次の攻撃のための布石だった。

ガードの上がった吉田の脇腹目掛け、今度は右足のキックを放ったのだ。


……入った!

俺の右スネはたしかにヤツの脇腹を捉えた感触がした。

だが……


「……残念だったな、捕まえたぜ」


ミドルキックを放った俺の右足は吉田の左脇の下で抱えられホールドされていた。

片足立ちになった俺は何とかバランスを保とうと、必死でケンケンをする。

ヤバい。自分の顔から血の気が引いていくのが自分でもわかった。俺が致命的なミスを犯したことは傍目にもわかりやすく顔に出ていただろう。

吉田は俺の致命的ミスを見逃してくれるほど甘い相手ではない。瞬時にヤツの右足が俺の軸足を払った。


「……グッ!」


一瞬何が起こったのかわからなかったが、それでも俺は地面に手を付き頭の直撃を防いでいた。おじさんとの受け身の特訓の成果が反射的に出たということだ。だが……


「パンチはまあまあだったけどな、何だよあの蹴りは? 見え見えだったぜ、保よぉ~」

「……くッ」


何とか受け身を取り一気に寝かされることは免れたが、尻餅をついた状態の俺の上に吉田がのしかかってくる。

ヤツの手を放したらヤバい! ……と思った俺は両手でヤツの手首を本能的に掴んで、何とか殴られることを回避していた。

だがヤツの体重がグングンとかかってくる。ヤツは何か技をかけてきているわけではないが、100キロの吉田と60キロそこそこの俺では体重差があり過ぎる。上から自分の体重を落とせば良いだけの吉田に対し、それを下から跳ね返さなければいけない俺は明らかに不利だった。

徐々に徐々に俺の背中と地面の接触面積が大きくなってゆく。完全に地面に寝かされたら、俺は完全に自由を失う。必死で俺はもがいた。


(……ヤバい……もうダメか……)


だが一気に呼吸が苦しくなってゆく。それに伴い腕も脚も腹筋も力が出なくなってゆくのが自分でもはっきりとわかる。

対面する吉田の表情はまだまだ余裕だ。興奮で歪んだ吉田の顔が、息がかかるほど俺の顔に近付いてきた。


「おら、保? もう終わりかよ? 最初は一瞬だけ焦ったけどな、こっちは場数が違うんだよ。てめぇみたいな一般人パンピーのザコに舐めたクチ利かれるのが俺らは一番ムカつくんだよ。死ぬほど後悔させてやるからな! 」


「やっちゃえ、佳友クン!」「おら保、今のうちに念仏唱えとけよ!」「馬鹿ここは神社だぞ。念仏は寺だろ!」


意外と接戦になったことに緊張していたのか、雑魚ヤンキーたちも固唾かたずを飲んで戦況を見守っていたが、ボスの勝利が近いと安堵していつものヤジを飛ばし始めた。




(くそ、なんであの時吉田に暴言を吐いたんだろう? タイムマシンがあったら俺は自分を止めに戻るんだけどな……)


ハァハァと呼吸が露骨に荒くなり、前腕はもうパンパンに張っていた。食いしばった歯が痛み、両目からは涙がこぼれてきた。

俺は昔からそうだった。肝心なところで間違える。

親や周囲の人間たちに対してもそうだった。「大人しくていい子」のレッテルを貼られ、普段はその期待に応えなければ……と過剰にいい子を演じるようになる。だけど俺自身自覚のないところで溜め込んだストレスが爆発する時がある。

周囲に驚かれ距離を置かれることもあったが、今回は最悪のケースだった。

暴発した相手が暴力上等のヤンキーたちだった、だから俺はその報いを受けているということ……因果応報というやつで仕方のないことかもしれない。

まあ、ヤンキーたちもまさか事件になるほどの大ケガをさせるつもりはないだろう。いかにここがヤンキーだらけの荒れた地区だとはいえ、流石に法治国家として警察は機能しているはずだ。……そうだろう? え、そうだよな? 毎年、行方不明者が出ているとかないよな?




「エビだよ、エビ! 立つんだって!!!」


不意に澄んだ声がして俺は目の前の光景に引き戻された。




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